自宅から大文字が見えるんです。今年も一人静かにしんみりと故人を送り、ご先祖さまに感謝を捧げました。
送り火は、東山の大文字に始まり、西へ西へと点していきます(極楽浄土説)。大文字点火の後、北上して「妙法」を観るのも悪くないのですが、昨年から点火の時差が10分から5分に縮まり、移動時間が勿体無い。途中、最上階の廊下からわずかに船形の炎が見えるのを確認し、結局、今年も自室から眺めつつ、静かに手を合わせた私です。
今夜、東京から戻りました。
70年前の今日、東京は晴天でした。玉音放送が流されて外に飛び出した女性も子どもたちも、あの日の太陽の輝きをはっきり覚えています。
これで戦争が終わった。もうB29におびえることはない。新しい時代が始まるんだ。開放感でいっぱいだった。そう私に語ってくれました。
でも、本当の終戦は9月2日です。
詳細は『ワシントンハイツ』(新潮文庫)でご確認ください。
よみうりテレビの夕方のニュース番組「かんさい情報ネットten」に呼んでもらいました。皆あったかくて、いい感じ。とりわけ最初に迎えてくれた女性APの女性の笑顔がいいわあ。清水健キャスターも優しいの。細かい気遣いに、感激しました。
水曜日の「街かどトレジャー」、家にいるとつい、見入ってしまいます。興味のあるネタだと、後追いで取材に出かけたこともあるくらい。ますだおかだ増田さん、大人気らしい。
詳細は、後ほど。とりあえず、ご報告まで。
今年の夏も大活躍だった組み合わせについて、知り合いによる昨年の目撃談をご紹介します。
京都の烏丸三条みずほ銀行前で信号待ちをしていた私の後ろにいた女性が二人、こんな会話をしていたそう。
「夏に雪華、しゃれてるね」
「どんな人が締めてはるんやろ」
すぐに信号が変わり、私が足早に去ったので、幸か不幸か、二人は私の顔を確認しないまま。
知人のコメントはこう続きます。
お二人は、暑い夏に雪文を持ってくる価値がわかるセンスを持ち合わせていたようだ。私の後姿には花街のお姉さんのような色気が漂っていなかったために、どんな人か興味がわいたのではないか、と。
祇園祭では室町界隈にある町屋の夏座敷で、縁側に氷柱が置かれていることがありますが、夏に雪の文様を持ってくるのも、和服ならではの涼のとりかた。実に楽しいです。
誕生日はひっそり静かに過ごしたいと考えた時期もありましたが、 ここ数年は、素直に、生あることに感謝する日としております。
今年は特に、戦争で犠牲になった方々へ思いを馳せるこの季節に 自分が生を受けたことの意味を噛みしめつつ、 日本の伝統文化と近現代史の、次世代への伝え手として 気を引き締め、ますますの精進を誓ったところです。
誕生日を機に、これまでHP内に掲載してきた和服の記録から、ダイジェスト版「きもの適齢期」をFBで公開することにしました。お立ち寄り頂けましたら幸いです
70年前の今日、長崎に原爆が落とされました。犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
黙祷は11時2分。当初は10時半からの「日本の一番長い日」を観にいこうかと考えていたのですが、70年の今年は、同時刻に黙祷を捧げるべきと思い、NHKの中継を見ました。映画の内容については、資料を読みこなして私なりに把握しているつもりなので。
平和への誓いを読み上げた谷口さんの壮絶な70年を、あるドキュメンタリー番組で見て、胸が苦しくなった私です。被爆して、背中全体に焼けどを負って、1年9ヶ月もうつ伏せのまま激痛と闘われたのです。腹部は床ずれで、心臓が肋骨を通して透けて見えるのです。妻はそうとは知らず恩師に薦められて彼と結婚し、今日まで添い遂げています。総理の挨拶に、そうした壮絶な人生を受け止めた部分が含まれていたら、もっと世論に支持されるのに。
せめてこの日だけでも、原爆で命を落とした方々、その後も病と偏見に苦しんでこの世を去られた方々に思いをはせることが、戦後70年間、平和な日本で今日まで生きてこられた私たちの礼儀と考えます。
夜風に秋の気配。なんだか足がだるい。祇園祭疲れだろうか。
大文字が終わると、いきなり秋になるんです、京都では。
米軍の資料をあれこれ読んでも、不可解なことの多い原爆投下。
せめて毎年8月6日8時15分に黙祷を捧げたいと考えます。
NHKで広島平和記念式典の中継を見ながら、毎年、子どもたちの言葉に涙してしまいます。今年は土砂災害で友人を失った話から始まりました。祖母祖父の代から命がつながれることへの重みを語ってくれます。
市長のスピーチにも胸をうたれました。なのに、安倍総理の挨拶の空しいこと。当事者じゃなくても、広島の70年に寄り添って話せないものか。想像力の有無もあるでしょうが、少なくとも、原稿はもっと練っておくべきだった。被爆70年なのに、緊張感なさすぎです。