毎朝「花子とアン」を観ながら、女学生ファッションにトライしたくなった私。いくらなんでも真っ赤は派手と仕舞い込んで、袖を通したことのなかったお召しを出してきました。
花子(安東はな)がこんな色(半襟も赤系だったような)を着ていたなあと思いつつ・・・。というのも、引っ張り出した頃には、山梨の教師として少し地味系の着物に変わり、確認できていないのです。
帯は龍の丸文。帯揚げをモスグリーンにして地味風にしてみましたが、やっぱり「若作り感」が満ち溢れて、無理があるなあ。それに、袴が欲しくなります、この色だと。
投稿者: AKIO Satoko
5月末では、さすがに絽は早すぎる?
5月31日の今日、ある女性とお食事する機会を得て、ぜひとも和服を着たかった私。34℃という予報に、断念したのでした。どう考えても、単衣では汗だくになります。さりとて、5月に絽の着物というのは、京都では顰蹙を買いそう。6月なら許されそう。あと1日のことなのに・・・。
旧島津の FORTUNE GARDEN。ランチは美味でした。働いている男子も美形でびっくり。披露宴の後、お茶していた男子も皆、美形。日本男子の顔が変わってきたということでしょうか。
ご婚約、おめでとうございます
午前中に速報が飛び込んできて、驚きました。日本史にどんなインパクトを与えるのか、興味深い。15時から記者会見が開かれるようです。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140527/imp14052711410002-n1.htm
会見を見て・・・
遷宮が重なるとは、こういうことだったのですね。7年前に知り合ったそうですが、お待たせをした、プロポーズの言葉はなかった、という典子さまの発言から察するに、遷宮の翌年に周囲がセッティングしたということでしょうか。
御法川靖子さん三回忌
2014年5月 法要の装い@御法川靖子さん三回忌
御法川靖子さん(みのもんた氏の奥さま)が旅立たれて、早いもので2年。一周忌には、花街のお姉さま方が和服でいらして、皆さん、とても素敵でした。みのさんは、ご夫妻で、祇園や赤坂や神楽坂の女将
さんとも交流されたようですね。51枚の写真パネルが展示され、夫の名司会で進められる追悼の会からは、靖子さんの細やかな気遣いの痕跡と、夫婦の密度の濃い愛の日々が伝わってきます。
三回忌の今年は、私も背伸びしました。和服好きでいらした靖子さんに喜んでもらえるような気がして。
ホテルでの追悼の会に何を着るかは迷うもの。親戚でもないのに黒帯は重いので、淡いねずみ色に蓮文の名古屋帯を締めました。母の箪笥にあったのですが、合う帯締がなかったので、捜すのに苦労しました。バッグはアイボリーしか持ち合わせず、来年以降続く叔父、父、祖母の十三回忌までにグレーのバッグをみつけたいところ。
薬膳の会、「感じて漢字の世界」、トミー・バハマ・・・
今朝、一番驚いたニュースは、タイの戒厳令。時代錯誤とさえ思えてくるこの事態。いまさら軍のクーデータなのか。この国の歴史は、こればっかり。治安維持のためなら、いいけれど。
ニューオータニにて「薬膳の会」に出席。写真を撮り忘れ、思いだしたのが最後のお粥だけ。菊の花入り、超美味。
その後、TFMにて、アドバイザーを務める「感じて漢字の世界」の収録に立ち会う。
夜は銀座でワインを飲みながら打ち合わせ。その後、銀座のバーに連れて行かれたが、女性の私には面白くない。若いころはね、お姉さんに教わることもあって、面白かったけど。若い子ばっかりで、なんだかなあ。
途中、旧松坂屋の裏にトミー・バハマ東京店を発見。やっぱり日本では割高。でも、雰囲気はホノルルに近いものがある。バーもいい感じ。暑くなったら、また来よーっと。
平田暁夫さんを笑顔で送り出す会
2014年5月 鴨川をどりへ立涌のお召しで
2014年5月 葵桂尽くし
葵祭と呼ばれる理由



葵祭のために昨年、誂えた葵文紗袷の着物に、今年は葵文の帯を締めました。あいにくの雨で和コートを纏い、ビニールのポンチョを被ったので、本殿祭のときくらいしか見せられなかったのが残念。そこで、翌日に上賀茂神社を訪れ、記録しました。雨天順延にしてくれたら、こんなにお天気だったのに。
人もみな かつらかざしてちはやぶる
神のみあれにあふひなりけり ――紀貫之
本来は「賀茂祭」。「葵祭」と呼ばれる理由は、祭儀に関わる人々、社殿の御簾・牛車が二葉葵を挿し、飾るからなのです。昨年、御所の観覧席に集った人々はみな、葵文の和服姿でした。江戸時代、将軍家以外は禁じられた葵文。徳川家の家紋が三葉葵なのは、賀茂社とのご縁からです。








