2003年4月4日

SARS①  成田発

SARS が流行っているというのに、イタリアに行ってきた。

3日の放送が終わった日、夜21時50分発のエアー・フランスでパリヘ向かい、ミラノに入ろうというものだ。

ここまで遅いと、他にフライトはほとんどない。成田空港の売店がシャッターを下ろしかけているところに滑り込み、マスクを購入。SARSも怖いのだが、飛行機は乾燥する。どこへ渡航するにも機内でマスクは必需品だが、万が一のために、余分に持っていくことにした。

用心深い私の考えでは、もしかしたら搭乗の際、マスクが配布されるのでは、と淡い期待を抱いたのだが、全くその気配はなし。それどころか、空港内でマスクをかけている人が一人もいないのである。この無防備が恐ろしい結果を生むのではないかと心配しつつも、搭乗ゲートに向かうと、もう一人だけ、日本人女性がマスクを着用していた。

機内が込んでいて驚いた。この便にはもともと欧州人が多い。くわえて観光客風の日本人もたくさんいて、ほぼ満席だ。この中でマスク着用者は二人だけということになると、感染者だと疑われそうで所在無い。こう発想してしまう私は、つくづく日本人だと思う。障害者に寛大な欧州やイスラーム社会とは違って、日本のような差別社会ではSARSにかかった人が名乗り出るのに勇気がいるだろう。らい病やエイズの時と同様、自分が社会から締め出されるに違いないと不安になるからだ。そんなことを考えつつ、朝5時から起きていた私は、飛び立つとすぐに深い眠りに落ちた。

エアフラの夜便は仕事が終わってから出発できるので便利だが、そこからの乗換えとなると、空港の指定された場所で時間をつぶすことになる。早朝の空港は気が抜けた炭酸水のようだ。くたびれた夜の終わりとやがて明ける朝をつなぐ2時間を、水底のようなカフェで過ごす。今回は機内で隣に座っていた日本人女性と会話をするうち、あっという間に時が流れた。

やがてセキュリティチェックを受けなおし、搭乗ゲートへと向かうと、空港はもう新しい顔に変わっている。早朝便で旅をしようとする人々で活気に満ち溢れている。ここは完全にEU。マスク着用者は一人もいない。

さすがの私もミラノの空港から市中へのマルペンサ・エクスプレスに乗った段階で、マスクをはずすことにした。イタリア滞在中、私の頭からSARSへの恐怖はすっかり消えていた。

2003年3 月23日掲載 今こそ日本の姿勢 真剣に考える時だ

 いっそ大統領が病死するか、暗殺されれば下のルーマニアでも、スハルト政権下のインドネシアでも、独裁者の圧政に苦しむ人々の多くは“密かに”こう念じていた。
 独裁者の罪は重い。民主化は人々の悲願だ。しかし、だからといって大国によって祖国が爆撃されることを誰が望むだろう。次はシリアかイランか北朝鮮か。米国が独裁者とみなせば、「自由の名の下に」非力な人々が次々と命を落とすことになる。国連の推定ではイラクの死傷者は50万人に及ぶそうだ。
少なくとも父ブッシュは戦争をせずにチャウシェスク政権を崩壊に追い込んだではないか。その息子が25万?以上の兵士を動因してまで戦争する理由は何なのか。
それを知るにはブッシュ政権の顔ぶれに注目せねばならない。
 9・11テロ直後、「先制攻撃もいとわない」
と謳ったブッシュドクトリンは、国務次官だったウォルフォヴィッツが書いた国防政策案が9年後に晴れて陽の目を見たものだ。彼は現在、国防総省の副長官である。
 冷戦構造崩壊で覇権を争う相手を失った米国は、軍事力を駆使して世界一の座を保たねばならない。ネオコン(新保守主義派)と呼ばれる人々のこうした構想は、民主党のクリントンが政権をとってお蔵入りとなった。そこで彼らはテキサス州知事だったブッシュを大統領選に担ぎ出し、政権の中枢に入り込むことに成功したのだ。
 ようやく本紙でもネオコンの思想や背景に切り込んだ記事が出た。彼らは「ユダヤ人以上にイスラエル寄り」(11日付特報部)であり、彼らのいう「民主化」とは、中東地域に米国やイスラエルに都合のいい政権ができることなのだ。
 くわえてネオコンが軍拡に走る背景に軍需産業との癒着があるのも見逃せない。政権内で石油産業関係者は21人に対し、軍需産業関係者は32人存在する(15日付特報部)。イラクの解放と言いながら、実は最新鋭の武器試用が戦争の目的かと疑いたくなる。そして11日付本紙はこう結ぶ。「ネオコンの野望達成の好機に9・11があったのかもしれない」。
 そんな中でせめてもの救いはパウエルなど穏健派の存在だった。彼らはこれまで米国暴走の歯止め役を担ってきたのだ。国際社会での米国孤立を防ぐため、彼らは国連の安保理で開戦の同意を得ようと試みた。しかし結果は失敗。ネオコンの勝利は決定的になった。
 小泉総理は日米同盟と国際協調の大切さを強調した。それ自体、私も否定はしない。戦後の日本の安保も繁栄も米国に保障されたものであり、同盟関係は維持すべきはである。
 しかし、いまのブッシュ政権は国際協調を重んじる穏健派と一線を画す。国連安保理の決議を無視して戦争にひた走る米国に従来通り追随することが、総理がいうように「国際協調と両立できる」とは思えない。間接的にせよ、正当性のない戦争に加担するのでは、平和憲法を守り通した日本のアイデンティティが大きく揺らぐ。
 ついに戦争は始まった。日本は何を死守し、どういう国家であるべきか。米国に寄り添って十分な議論をしてこなかった私たちが「十字架」を背負ったことは間違いない。

2003年3月20日

開戦

ついに戦争が始まった。

それはきわめて奇妙な状況だった。今日は木曜日。私が「スーパーモーニング」に出演する日だ。当初、日本時間10時の開戦直後、ブッシュ大統領が演説をする予定であり、それを見込んで「スパモニ」は番組の枠を延長、特別番組の様相を呈することになっていた。演説に時間によっては、11時あるいは11時半までと、終了時間はワシントンの状況を見て番組中に決定することになっていた。

おそらく各局、特別番組の準備をして、それぞれキャスターが待機していたに違いない。戦争の始まりを見越して、それを待っているというのは異常である。軍事ジャーナリストの田岡さんによれば「戦争はすでに始まっている」にも関わらず、トマホークなり派手な攻撃をきっかけにブッシュが意味づけを行うという。メディアの性とはいえ、戦争を止めることもできず、ここまでアメリカに振り回されている現実を私たちは恥じなければいけない。

12年前、まだ30過ぎだった私は、友人と戦争が起きないことを祈念し、どこかでその可能性を信じていた。レギュラー番組を持たなかった私は、あの朝、友人からの電話で開戦を知って涙した。「どうして人間は愚かなことを繰り返すんだろう」。同じ言葉を12年後に再びつぶやくとは・・・。ジャーナリズムに身を置いて、国際政治を研究しても、私には何もできなかったのかと思うと、悔しくてならない。

そもそも9.11の直後、アフガニスタンを攻撃すると言い出した段階で、ブッシュ政権の内情を検証をすべきであったのだ。ワールドトレードセンターが崩れる映像を見た瞬間から、日本国民もアメリカ人のショックを共有してしまったらしい。外務省と日本政府はといえば、湾岸戦争のトラウマからアメリカ支持をすぐに表明した。今度こそアングロサクソン社会に評価されたいというのが彼らの本能だったらしい。

その日、日本にいなかった私は、9.11の悲劇をモスクワのイミグレで知った。旧ソ連時代よりも官僚的になったイミグレでさんざん待たされて不愉快な思いをしていた私は、後ろの男性3人組の一人が携帯を見ながら、英語でこう話すのを聞いて耳を疑った。「すごいニュース速報が入ってきたよ。WTCとペンタゴンがやられたらしい」。悪い冗談だと聞き流した。

しかし、ホテルに到着してみると、レセプションに設けられた大型のテレビにはWTCが崩れていく様が映し出されているではないか。ここでも散々待たされたあげく、私は混乱したまま部屋に入り、TBSモスクワ支局に電話した。そして何が起きたかを知ったのである。

私がロシアに渡ったのは、自分が主演したウズベキスタン映画が、キノショック映画祭に出品したからである。黒海沿岸のアナパという町で開かれるその映画祭の挨拶のために現地にしばし滞在。その間にロシア語のニュースしか聞けず国際世論から遠ざかっていた私は、日本に帰ってきて驚いた。飛行機の中と成田で眼を通した新聞によれば、みなが官邸詣でをして、アメリカへの全面支持を進言したと答えていたからだ。全世界がアメリカに同情して、すべてアメリカに都合よく進んでいる。

ウサマビンラディンが首謀者だという証拠はどこにもないのに、なぜ報復攻撃に誰も反対しないのか。もしもイスラーム過激派の仕業だとして、アメリカがなぜ標的になったのかという議論はどこにもないではないか。翌朝5時にはTBS「いちばん!エクスプレス」が控えている。この「アメリカだけが正しい」空気で覆われた日本のメディアで私はどこまで自分の意見を言えるだろう。

結局、翌朝は控えめにして、翌翌朝の番組から、イスラームへの誤解をなくすことに力を注ぎ始めた。過激派の異常さは否定しないが、一般のイスラーム教徒はアメリカ人が忌み嫌うような考えの持ち主でないこと、アメリカの中東政策に問題があること、アフガン攻撃は間違っていることを、数は少ないが同じ論調の新聞記事を使って解説していった。

おかげで「反米がすぎる」というお叱りの電話をもらった。

メールを通して友人にそれを伝えると、報復がなぜいけないのかという反論メールが返ってきて、友人を失ったこともある。アメリカが変質していくことに直感だけで言い知れぬ危うさを抱いた私は、論破できずに孤立していった。欧米社会だけを見てきた人々が何の疑問もなくアメリカ支持に走っていく中で、 通じ合えたのは、アジアや中東地域に精通した人々だけだったのである。

いま私が強く反省しているのは、あの段階でブッシュ政権の解析に手をつけなかったことである。いま言われているネオコン(新保守主義)が何をもくろんでいるのかは、当時から始まっていたのであり、私だけでなく、メディアもそこに目をつけるべきだった。東京には限界があったと思うが、ワシントン特派員ならできたのではないか。しかし、一端戦争が始まってしまうと、戦況を追うのに精一杯になるのがメディアの癖である。現場からの中継や戦況分析で、そのエネルギーのほとんどを費やしてしまった。

アフガン報復には反対しなかった連中も、今回は反戦を唱えている。今ごろ騒いでも遅いのだ。あの段階でアメリカの変容と真剣に向き合わなかったツケが、我々日本の姿勢に反映しているのである。ブッシュ政権との同盟のあり方について、昨年から議論を重ねていれば、我々がこんなに無力感にとらわれなかったに違いない。政治家やその取り巻きが愚かなのはどうすることもできないが、メディアと知識人には何かできたはずだ。

日本と韓国がワールドカップに沸いている間も、アメリカは着々とイラク攻撃の準備をしていたのである。

*ブッシュ政権については東京新聞のコラムに二回書いている。

2003年2 月23日掲載 試される平和主義 政府は世論配慮を

 ブッシュ政権に何も進言できない日本政府もだらしないが、米国の策略に乗って報じてしまう日本のメディアも同様に情けない。

その典型が4月10日付朝刊の一面だ。全紙一斉にフセイン像が直角に倒れる写真を掲載した。本紙にも早々と「フセイン政権崩壊」「バグダッド陥落」の見出しが躍った。

 前夜テレビの中継で一部始終を見守った人は、その紙面に違和感を抱いたに違いない。像を倒そうと試みたのはわずか数人のイラク民衆であり、それを引き倒したのは米軍の戦車だったからだ。像の首に鎖をかける際、米兵が頭部を米国の星条旗で覆った瞬間を見た人も、読者には大勢いたはずだ。

なのに、本紙のどこを探しても、米軍の戦車や星条旗をかける米兵の写真はない。あるのは、笑顔の市民、焼け落ちたイラク国旗、破かれた大統領の肖像画、倒された銅像に駆けのぼるイラク人たち、花を贈られる英軍の女性兵士、そういった写真ばかりだ。民衆が自ら自由を勝ち取ったかのようである。おかげで、米国による空爆で家族と両手を失ったアリ君の痛々しい写真までもが、独裁政権崩壊に伴う当然の代償と映ってしまう。

 鬼の首をとったようにラムズフェルド国防長官は語った。「ベルリンの壁が崩れ、鉄のカーテンが落ちたのを思い出さざるを得ない」

  89年、東欧革命で民衆がレーニン像を倒した光景には世界中が感動した経験がある。その記憶になぞらえて、圧政の象徴であるフセイン像を倒した映像が世界中に配信されれば、「大義なき戦争」も民衆の勝利に見せかけることは可能だ。

 この作意は本紙編集者にも見透かせたはずである。数多あるフセイン像の中からパレスチナホテル前の像が選ばれた点も見逃せない。そこは各国報道陣の宿であり、しかも前日には滞在中の記者が狙撃され米軍が世界中から非難を浴びたばかりだ。そのホテルの真ん前でいきなり一部民衆が立ちあがりフセイン像を倒すのは出来すぎではないか。それが自発的かどうか疑わねばなるまい。これまでにも途上国のデモが実は扇動されていたケースはいくらでもあり、その経験則も働くはずだ。

ようやく翌日の朝刊に「市民蜂起、米軍が演出」という記事が出た。しかしえてして読者は写真の衝撃に引きずられるものだ。せめて、本紙10日付朝刊一面の写真説明に「米軍の装甲車が倒した」ことを明記してもよかったのではないか。少なくとも毎日新聞は社会面は星条旗の写真を大きく取り上げていた。  

入ってくる情報を真に受け、戦況や勝敗ばかりを追いたがるのは、伝える側にとってこの戦争がどこか他人事で、ゲーム感覚で観戦しているからとしか思えない。紙面構成者に求められるのは、戦争当事者の欺瞞を見抜く洞察力と歴史観だ。

戦勝ムードに沸く米国は、これからも武力を行使して中東地域の反米政権を壊していくだろう。再び戦争になれば同じことを繰り返す。せめて日本のメディアは冷静な分析を心がけてほしい。日本人が戦争への怒りを忘れたら終わりだ。

2003年1 月26日掲載 若者が希望持つよう首相は生きざま示せ

 今年の新成人は 152万人。数の上では昨年と同じだが、彼らはメディアの中で特別視されてきた年代だ。西鉄バスジャック事件を起こした少年や「殺す経験をしたかった」と主婦を刺した愛知の少年と同い年。3年前、「理由なき犯罪」世代といわれた、あの「十七歳」たちである。 
 14日付「こちら特報部」では、彼らが世間の偏見の中で苦悩の日々を過ごしたことが読み取れる。事件が起こるたび、教師は「何を考えているのかわからない」と頭を抱え、親には「こんなになるなよ」と言われたという。「何かを『壊したい』と思っている人が周りにもいるのかと思うと怖かった」と打ち明ける女性の声や同世代の犯行に及んだ動機を自分なりに分析する青年たちの姿勢が痛々しい。
 当時、メディアではさまざまな形で少年たちの心の闇を解き明かそうとした。だが、そうした試みは社会全体を正すには至らなかった。結果的にメディアは「十七歳」への偏見を高める拡声器の役割を果たし、彼らを新しい差別の枠の中に追いこんでしまったのだ。その彼らが成人の日にこう語る。「善い悪いを自分で判断できる大人になりたい」「カッコいい人間になりたい」。カッコ良さとは「吸殻をゴミ箱に捨てるような人間」だという。
 一瞬、幼稚に響くこの発言は、既存の大人へのアンチテーゼである。要は「自分で責任をとる大人になりたい」と話しているのだ。私は健全な社会には「なりたい大人」が存在するものだと思っている。彼らから「目標となる人物」の名前が出ないのは、日本の大人がだらしない証拠だ。子供が大統領に憧れるアメリカや、ホテル王が目標だったりする中華社会の方がずっと前向きである。
 実際、10日付3面に掲載されたネットアンケートによれば、8割以上の新成人が「日本の未来は明るくない」と答え、「今の政治家たちじゃ無理」だと感じている。
 小泉総理はこの結果を真摯に受け止めるべきである。本来、国民が夢を見られるような国づくりをするのが総理大臣の仕事だ。混迷の時代、それには時間を要するというのなら、まずは総理の生き様で見せるべきだ。
 一時的にせよ、日本の若者たちの期待を集めたのは小泉総理ではなかったか。「改革」を声高に叫ぶ総理を、彼らは世の悪を裁いてくれる大岡越前と重ね合わせた。多くの小学生は「小泉さんのようになりたい」と憧れ、当時4歳だった私の姪も「小泉さんはカッコいい」と新聞に掲載された写真をスクラップしていたくらいだ。
 だが、その姪が正月に一言。「小泉さんはもう辞めるんでしょ」。幼児の嗅覚を侮ることなかれ。 
 薄っぺらいパフォーマンスはもう要らない。バラエティ番組に出るよりも、週に一度、テレビで政策について国民に語りかけることに意味がある。丸投げしても構わないから、すべての政策に自ら説明責任を負うことだ。万が一失敗したら、担当大臣に責任をとらせ、総理自らが誤りを認めて政策転換を宣言すればいい。
「この程度の約束を守らなかったのは大したことない」といった弁明は、子供の教育に悪影響を及ぼすだけだ。良策がなければ、潔い闘い方を見せて希望を与えるのが任ではないか。国民は総理自身が「痛みに耐えて頑張る」姿を待っている。

2002年 12月29日掲載

 今年1年の本紙紙面の中で最も違和感を抱いたのは、6月19日の社説である。ワールドカップ初戦でトルコに敗れた翌日のことだ。「トルシエ監督とその息子たちに『ありがとう』と言わせてほしい。ここまでやるとは思わなかった」
 本紙だけでなく、一般紙社説は申し合わせたように同じ内容に終始した。タイトルさえも横並びである。「よくやった、ありがとう」(朝日)「よくやった、みんなで拍手を」(毎日)「日本チームが元気をくれた」(読売)。
 見事なまでの絶賛の嵐だ。思いがけず自分の子供が優秀と知り、舞い上がっている親の心境を吐露しているようでもある。しかし、社説というのは、読者の感情をなぞって活字化するのが任ではない。老練な論説委員の目を通した冷静沈着な見解が求められる。苦言を呈してこそ、社説の醍醐味というものだ。
 せめて一紙くらい敗因の分析を試みても良かった。たかがサッカーの話とはいえまい。地方自治体の誘致合戦に始まり、チケット問題でも大騒ぎになった。一試合ごとの経済効果も桁外れ。国民的大イベントだったはずだ。最近の日本人は責任の追及が苦手だ。自分が責任をとらない。かといって、他人を批判することもない。みなで「いい人」でいることに安住している。
 ベスト16に進出できたのはトルシエ監督の功績が大きい。しかし、負けた段階では、その采配を問題視する冷静さを持つべきである。半年経って、監督自身はこう語った。「(トルコ戦では)他の選手を起用しても良かったのかもしれない」。
 日産のゴーン社長同様、監督も日本の救世主というわけではない。彼らは次の就職先への手土産として数字上の実績を上げるのが仕事なのだ。その目線なしに、彼らを万能の神のように称えるのは一面的で危険である。
 また、終わればすべて良しとする風潮もどうかと思う。スタジアムの状況、空席問題、誘致合戦、それJWOCという寄せ集め組織の脆弱さを検証し、次回へとつなげるべきだった。さらにいえば、W杯の問題で終らせず、韓国との比較を通して日本社会を考察することを私は一般紙に期待していた。
 経済危機の時もそうだったが、韓国政府が掲げる目標は明確だ。W杯を通して国際社会に韓国の回復を知らしめたい。日本にだけは負けたくない。人々は「ベスト16」という具体的な目標数値をイメージして応援した。
 他方、日本はなんとなく勝利を望んだだけだった。敗れた後も韓国を応援する自分たちを美しいとさえ感じたはずだ。勝利に執着しない謙虚さや曖昧さは日本のいいところでもあるが、政府の姿勢がそれで良かったのか。スタジアムの更衣室で裸の選手と抱き合い、はしゃいだだけの小泉総理に、なぜ批判の目が注がれないのか。
 日本政府も知恵を絞れば、W杯を景気回復の好機にできたはずだ。そうした声がメディアから上がらないのは、危機意識に欠けているとしか思えない。
 新聞が批判の精神を忘れたら終りだ。本紙は常に複眼的思考を持ち合わせ、流されやすい日本人に、意図的に「待った」をかけてほしい。別の角度から光をあてた社説にはっとさせられることを信じ、新年を迎えたい。

2002年12月1日掲載 新聞は反政権貫き 読者に思考させよ

 いまの日本に必要なのは「考える教育」だと私はかねて主張してきた。自分で考え、自分の言葉で表現し、相手を説得できるようにする。そして誤ったときには自ら責任をとることを教える。極論をいえば、小学校の低学年では、それを徹底させるだけでも十分なくらいだ。
 ところが先月14日に発表された教育基本法改正の中間報告を見て驚いた。「愛国・公共心」に基本理念を置いている。「個の尊重を強調するあまり『個と公』のバランスに欠け、倫理観も不足している」からだという。
 なるほど、最近の不可解な事件をみれば、若者は自己中心的で人との関係をうまく結べないと判断されても仕方ない。年配者が道徳心を植えつけたくなるのも理解できる。しかし、個の確立ができていないのに公共心を説いたところで、主体性のない人間を大量生産するだけだ。結果、独裁者にとって都合のいい社会ができあがる。
 今回の中間報告に対し、本紙も危機感を募らせた。「戦前の軍国主義から脱却して、一人一人のためにあるとして歩んできた戦後教育を、事実上転換させものだ」(11月15日付社会面)と解説。同日の社説ではこうも指摘している。
「憲法改正の前哨戦として、まず教育基本法から変えたいという政治的思惑が影を落としているのかもしれない」
 だとすれば、実に由々しき事態である。拉致問題を機に被害者意識を共有した日本社会には、いま不思議なナショナリズムが蔓延している。そこへ、この中間報告だ。さらには有事立法にメディア規制法。すでに国民には番号がついている。いつ戦争へ突入しても、おかしくないということだ。
 これが小泉改革だったのか、と疑いたくなる。しかし、竹中大臣の経済改革の果てに自己責任の時代が来るという。ならば、そこに対応できる強い個人を育てることが筋ではないのか。
 ワールドカップ開催中、六本木に繰り出した若者たちを観察し、私はこう印象を持った。幼稚―。何の目標も闘争心もなく、ただ皆と一緒に漂いたい。何か楽しいことを共有したい。その枠組みに収まっていればいい。異質人は受け付けない。「私に任せておけば安心だ」。そう言ってくれる人を待っている。
 小泉人気の理由がここにあると私は思う。23日、24日付の朝刊に小泉支持率のねじれ現象が載っていた。経済政策に期待はできないのに、支持率は高い。政策の是非よりも、すべてを一言で片づける総理のパフォーマンスの方が人々の心に浸透してしまうのである。
 だからこそ言いたい。
 新聞まで総理のイメージ戦略に寄り添っては駄目だ。野党が機能しない昨今、新聞が徹底的に反政権を貫いてこそ、ようやくバランスがとれるのではないか。
 総理の言葉の垂れ流しではなく、本紙ならではの解釈を示してこそ、新聞の使命を果たせるというものだ。考える教育を受けてこなかった日本人に「考える習慣」を提供する紙面を本紙に望みたい。

2002年11月3日掲載 竹中案が呼び出す “未来図”の検証を

 竹中大臣は日本をどうしたいのか。
 経済政策でアメリカ型社会に転換するのが彼の改革だ。急激な変化でどれほど多くの地が流れようと総理ともどもお構いなし。競争原理を採り入れて、極端な富の集中をもたらし、経済格差を生み出すことが彼の目指す社会である。
 新聞はこのことをはっきり書くべきだ。本紙10月12日、25日付の読者の声が示すように、中小企業の経営者は、この危機感を肌で感じているが、多くの人々は、不良債権処理の加速こそが日本を救うと思い込んでいる。
 象徴的な20代男性のコメントが25日付朝日新聞に載っていた。
 「バブル時代に踊った中高年世代が痛みを甘受すべき。若い世代にツケを回すな。小手先のデフレ回避策はやめてほしい」
 まさに小泉政権の申し子だ。大企業をつぶした先にばら色の人生があると信じている。自分が将来、大多数の貧乏組に入るとは想像だにしていない。
 実は彼のコメントは誤解がある。「バブル崩壊の後始末はあらかた終了。いまの不良債権はその後のデフレ侵攻と景気低迷が主因だ」。本紙でも12付け社説を孟、随所にそう書かれているが、彼に届いてはいない。
 経済は理屈である。生活にどうかかわるかの具体例がなければ、苦手な読者は読み飛ばす。見出しやチャートを抽出し、自分に当てはめて解釈する。無関心な人をひきつける紙面づくりが必要だ。
 勢力関係を強調すれば読者の関心を集めるが、本質から目をそらす危険がある。竹中案の紆余曲折がいい例だ。銀行と守旧派の反対した段階で、内容は問われることなく、「竹中大臣は正しい人」になってしまった。
 総合デフレ対策案を受けた31日付本紙はもっとひどい。与党に反対された竹中氏こそが被害者で、当初案からの変更が日本の大損失のように書かれている。デフレ対策の是非はどこへやら。「不良債権処理加速信仰」に本紙まではまってしまったかのようだ。これでは前出の若者と同じである。
 いま紙面に重要なのは竹中案のシミュレーションだ。不良債権処理のコストを試算して読者に示してほしい。税金がいくら必要なのか。われわれの生活はどう変わるのか。
 巷でささやかれるのは、アメリカ型査定を経て日本のメガバンクがつぶれ、日本人の血税で補填したところを外資が安く買うという。だとすれば、長銀の例を挙げ、徹底検証すべきである。大企業の倒産の果てに3百万人の失業者が生まれるそうだ。その後の生活も想定してほしい。年収2百万のパートさえ確保が大変だと聞く。
 政治的駆け引きはどうでもいい。想定しうる未来図を示して、読者が考える材料を提供してほしいのだ。結果、竹中案を支持するのは構わない。一度貧乏になれば日本は生まれ変わる。そう信じる輩もいるだろう。絶対に避けたいのは、無知が故に不本意な社会が出来上がることである。
 拉致問題のようにメディアが執拗にキャンペーンを張れば、誰もが経済に関心を持つ。川底で流れを見据える斬新な企画を、本紙に期待する。

2002年10月6日掲載 拉致で読み誤った 外務省とマスコミ

 総理が訪朝を決めてからの一月余り、日朝交渉の話題が紙面を埋め尽くした。当初、拉致被害者の生存については誰もが楽観主義に陥っていた。だが、死亡説が伝えられて以降、小出しにされる不可解な情報に、ジェットコースターのように揺れ動いている。
 拉致被害者の家族の感情をマスコミが必要以上に煽っているとする批判もある。たしかに本紙でも訪朝当日の夕刊で早々と「不明の三人帰国で調整」書き、家族に過度の期待を与えている。
 しかし、問題はこうした事態を予測できなかった官邸と外務省にある。交渉過程も、拉致被害者にまつわる報告も、ありとあらゆる想定がなされるべきだった。その準備不足が家族への不誠実な発表となり、日本社会全体を混乱させている。相手が独裁国家ゆえの情報不足とは言わせない。訪朝前の本紙には、すでにその材料が掲載されているからだ。
 9月6日付「こちら特報部」では、過去の謝罪例を紹介。1968年、朴韓国元大統領を誘拐しようとした青瓦襲撃事件について、4年後に韓国側に謝罪したとある。米中接近を受け、韓国との対話路線を強いられたためだ。今回もアメリカが「ならず者国家」と呼んだことが、暗黙の圧力となった。当然、今回の謝罪も予測の範囲だ。
 金正日は拉致を認めながら、自らの関与を否定した。同じ言い訳を当時、彼の父が“口頭”で行なっている。「申し訳なかった。内部の左傾妄動分子の暴走で、私の意思ではなかった」。これが国際社会で追いつめられた時の「金王朝」外交の常套手段であるとなぜ判断できなかったのか。拉致謝罪を宣言に入れるべきではあったが、せめて覚書を添えるよう要求する準備くらいはできたはずだ。
 もっとも、訪朝前日の社説で「毅然とした態度で」とだけ謳った点では、本紙も読みが甘かったといえる。だからとって、外交のプロがメディアと同レベルでは困る。外務省の存在意義が問われよう。
 折しも今年は日中国交回復30周年。先月末には数々の式典が催された。私も北京に滞在、ある出版記念会に出席した。敗戦直後、日本に戻らず、中国建国のために尽力した日本人が大勢いた。『友誼鋳春秋』というタイトルのこの本は彼らの物語をまとめたものである。
 書籍にすることを提案したのは中国の元外交官だ。日本から受けた傷はあるが、「中日両国人民は世々代々、仲良くすべし」。周恩来のこの言葉を胸に、彼は日本赴任中から友好に心砕いたという。
 総理も外務省も、北朝鮮との交渉を第二の日中国交正常化と捉えている節がある。だが、当時の中国には周恩来という壮大な世界観を持ちあわせた指導者が存在したことを忘れてはならない。手放しで誉めるつもりはないが、祖国の展望を見据えていたという点は評価してもいいだろう。
 これまでも本紙で日中友好30年の特集記事が数々あった。次は国交回復の経緯を掘り下げてはどうか。歴史的背景や国家体制、当時の世界情勢から、日朝関係との徹底比較をしてほしい。外交とは何か。外務省解体論が囁かれる中、これを転機とすべきだ。

2002年9月8日掲載  続く企業の不祥事 政官業の癒着突け

 「次世代を育てたい」。途上国を取材すると、知識人は口を揃えてそう言う。国の発展には教育が不可欠と、彼らは身銭を削って行動を起こす。それを受け、南アで開かれたサミットで、小泉総理は教育支援に2千5百億円を約束した。しかし、早急に優秀な次世代を育てなければいけないのは、むしろわが国だ。
 嘘つき、優柔不断、責任転嫁。豊かさに胡座をかいて、日本のモラルはどこへ消えたのか。企業人も官僚も政治家も、自らの罪の深さを自覚すべきだ。大人が手本にならない国で、子供たちにどんなを描けというのだ。 日ハムの牛肉偽装問題に続いて、東電の原発トラブル隠し。業界トップ企業でなぜ不祥事が続くのか。思い返せば去年も一昨年も同様な事件があった。悪習ばかりが受け継がれるのは、もはや体質か。
その仕組みと危うさを再検証する必要がある。
 歴代の4社長を含む経営陣が5日間で辞任。
東電の対応は迅速だった。皮肉にも、幾多の事故の経験から危機管理マニュアルが存在していた。しかし「素早い辞任 遅い全容解明」(3日付25面)では困る。メディアは追及の手を緩めてはならない。
 その点、日ハムは対照的だ。隠蔽工作の発覚から経営者の責任の取り方に至るまで、情勢が二転三転した。その迷走ぶりを連日報道するだけで、見えてきたものがたくさんある。同族企業の一族温存体質、ハム・ソー組合と農水省との癒着などだ。
 8月の紙面では、各種、図表が役に立った。BSE対策の補助金申請と支払の流れ、偽装牛肉をめぐる動き。日ハムの歴史や組織の構図も、図表を通して理解できた。だが、もうひとつ、農水省の組織図公開にまで踏み込むべきだった。
 農水省の罪は深い。偽装を招く隙を与えた買いとり制度や検品のやり方こそが問題だった。さらに監督責任。日ハムを非難し被害者面する武部農水大臣は、その感覚を疑われる。 8月8日付と14日付の「こちら特報部」では、そうした省庁の不手際、天下り先への遠慮などを指摘している。また21日付本紙で佐高信氏がコメントしているように、族議員の罪も見逃してはならない。不祥事が発覚した企業を一つひとつ検証することも大事だが、社内に聖域を生み出す政官との癒着にこそ、メディアは斬り込む必要がある。
 企業は宗教教団に似ている。カリスマ経営者のもとでは愛社精神が育ちやすい。業績を伸ばす活力も、ひとつ間違えれば隠蔽工作さえ正当化してしまう。監視も含め、冷静な目を持つことだ。今回、日ハムが策を講じたように、外の血を入れることも良策だろう。
 では省庁はどうするか。いっそ東京新聞で内部告発奨励キャンペーンを展開してはどうか。それを機に徹底した調査報道を行なう。明日につながる改革を紙面で提案すればいい。構造改革、初めの一歩はメディアから。メディアの真価が問われるところだ。
 次世代を育てることもしていないのに、負の遺産だけを増やしてはいけない。ただでさえ、「戦争責任」を残しているのだから。