久しぶりの大阪も暑かった!
京都からの移動は京阪電車で。三条駅から乗車。淀屋橋に向かう特急は、椅子が超快適でびっくり。運賃は普通と同じなのに。
トランジットではなく、新しくなったJR大阪駅をじっくり歩いたのも初めて。駅が再開発されたことも、大阪の行政改革に追い風のような気がする。未来に向かっている印象を持つのは大切なことだ。
久しぶりの大阪も暑かった!
京都からの移動は京阪電車で。三条駅から乗車。淀屋橋に向かう特急は、椅子が超快適でびっくり。運賃は普通と同じなのに。
トランジットではなく、新しくなったJR大阪駅をじっくり歩いたのも初めて。駅が再開発されたことも、大阪の行政改革に追い風のような気がする。未来に向かっている印象を持つのは大切なことだ。
今年は宵山から京都入り。携帯カメラですが、その余韻をお届けしますね。
昨年は宵々山から入ったので、宵山には朝から浴衣で町屋めぐり。しかし、さすがに夜には汗だくになってシャワーに直行。今年は洋服で過ごしてしまいました。本当は祖母の白の越後上布を着ると粋だとわかっているのに、東京から来ると、この暑さに勝てません。
山鉾巡行当日は「籤あらため」を拝見。その段階では涼しげだった男衆も、巡行する間に苦しげに見えてきて、カメラを向けるのもはばかられます。今年の17日も暑かった!
こうした儀式を続けているからこそ京都は天変地異から守られる気がします。人々が自然への畏怖の念を抱いている。これが大切なのです。
昨日は盆の入り。両親の墓参にでかけ、神保町で打ち合わせ。おそるおそる足を運ぶと、な、なんと、三省堂の1階正面棚に拙著『スウィング・ジャパン』が並んでいるではありませんか!東京堂でも平積み。すぐ青山に向ったので、ほかの書店めぐりは今日の予定。新刊が出たときはいつもドキドキです。
原発再稼動について、国民が反対するほど簡単にはゆかない裏の事情があるだろうとは想像がつく。しかし、それでも私は言いたい。
人間は生かされている、となぜ謙虚に考えられないのだろう。自然への感謝があれば、原発再稼動という愚かな選択はしないはず。米も水も美味しい福井。だが一旦、放射能汚染されたら、それらが全部ダメになることを、わかっているのだろうか、と。
自然を支配しようとしたことへの罰が、アメリカ人にも下っている。高温と少雨で米コロラド州の山火事は止まず、首都ワシントンDCは40度。雷雨で大嵐が発生。周辺で150万の世帯・事業所が停電。復旧に数日を要するという。ほら、原発を再稼動させたって、自然災害で電気は停まるものだ。
だったら、京都で蓄積されてきた暑さ対策を学んで、地球に感謝しながら過ごす方がずっと正しいと思うのだが。
生まれて初めて株主総会に出た。27日に開かれた東京電力のそれに、である。
たとえ100株でも、持っていれば立派な株主。株主提案の資格はなくとも、総会に出る権利は与えられる。それが狙いで暴落しても保有してきたのだが、昨年は『ワシントンハイツ』文庫版の加筆に出席できず、今年は新刊のため、前半のみの出席となった。戦争・占領ものを書いていると、このタイミングは自転車操業状態。再校正が終わっても、扉の写真集めとキャプションチェックが待っているからだ。今回は個人の評伝なので、私でないと写真の内容がわからない。脱稿してからも著者の作業は続くのだ。
さて、株主総会。猪瀬東京都副知事の発言と、実質国有化が可決されたという結果のみが報じられた。何を持って可決というの。東電提案と株主提案、それぞれ可決も否決も、会場の挙手を数えることさえない。2階席からだと賛否半々に見えた。しかし、常に東電の思惑通りに可否決される。アリーナには、完全にサクラと思える東電仕込みのグループがいて、怒号のような声とともに手をあげ、東電寄りの空気を作るのに一役買う。原発導入時に地元の反対集会を煙にまいてきたノウハウが生かされているのだろう。他方、出席していない株主の中には、事前に議決権を行使して書類を提出しているはず。だが、各議案に対して賛否何人いたかも発表されていない。事前の提出は何の意味も持たない。
なにより、議長のカツマタ会長がタヌキなのである。耳だけで聞いていると、老練な弁護士のような語り口で、年老いた声でゆっくりと仕切り、のらりくらりとかわしていく。「東電はカツマタ王国」で、清水前社長も彼の人形だったといわれているが、どうしてどうして、このタヌキぶりを見ただけで、カツマタ会長存命のうちは、東電の改革は不可能だと思えてきた。
それでも、猪瀬さんの投じた一石は大きい。大株主が発言すればマスコミが注目するのだから、原発反対派は、株価を下げているうちに株を買って、株主の権利を行使しつつ、異議を申したてていくのが賢明と私は考える。
今日は夏越の大祓。14時に明治神宮の大祓式を拝見した。『ワシントンハイツ』を上梓して以来、できるだけ明治神宮に足を運ぶようにしている。
その後、愛宕神社で茅の輪くぐりをした。愛宕神社や品川神社のような高い場所にある神社を訪れるたびに思う。自分が歩いている場所はかつて水の中にあったのだ、と。地震と洪水が交互に来るなど自然災害が続けば、ここも水につかってしまうに違いない、私たちが快適に生きられらのは、つかの間のチャンスだったのだ、と。そして、生かされていることに感謝をする。
そして、六本木の出雲大社に向かう。大祓式は終わっていたが、若い神官たちが竹に短冊を結んでいた。聞けば、これは七夕飾りだけであり、翌日から人々の願い事を短冊に書いたものを受け付けるのだそうだ。
もちろん、私も願い事を書きに行くつもりだ。新刊『スウィング・ジャパン』が注目を集めるように祈願する。なぜなら、評伝の主人公ジミー・アラキの父親は、ハリウッドの出雲大社の布教師だったからだ。大勢の読者との縁を結んでもらうつもりである。


サントリー美術館に行くのに、沖縄らしい装いといえば、やはりシーサーの帯しかありません。6月だからと、この組み合わせで家を出たのですが、それまでの用事が長引いて、開館時刻に間に合わす、アリバイ写真は諦めました。記録だけ残します。
着物は貝紫です。吉岡先生のお父様の帝王紫の帯とあわせて購入したものです(2009年10月参照)。顔うつりはいいのですが、仕立てが私のサイズではないので、身幅が大きいのが悩みです。
7月に入ったら、サントリー美術館には何を着ていけばいいのでしょう。ミンサーの帯を締められないし、困りましたね。着物だけ絽にしても、さすがに7月だと帯に透け感が欲しくなります。こんな日のために、シーサーの帯留があってもいいかもしれません。

洋服でもポピー柄を選んでしまう私。母の遺品にも、ポピーはたくさんありました。こういうところで、DNAの強さを痛感します。興味のある方は、右上のcollectionのワードローブをクリックして、覗いてみてくださいね。
この単衣の着物は母の形見ではありません。5年ほど前に「かわの屋」さんで一目ぼれ。6万円くらいだったと思います。
でも、帯が難しいんです。茶か緑で涼しげなものに合わせようと箪笥に入れたまま眠らせていました。でも一昨年、ついに「みとも」さんのセールでこの帯を見たとき、鮮やかなポピーが頭に浮かんだのです。実物は、もっとゴールドやブロンズが光っています。
ずーっと原稿+校正で引きこもっていた反動もあり、メニコンプレゼンツ「本能寺が燃える」@セルリアンタワー能楽堂に、この着物を着てでかけました。本当は、もう少しシックな着物がふさわしく、この色使いはパーティ向きなのですが、単衣が着られる季節はあと1週間。秋に着るわけにもゆかず、これを逃せば、来年の6月まで待たねばなりません。派手と知りつつ着用した次第。帯留は翡翠の龍。今年の干支にあわせました。