「真夜中 のサウンドレター」(FM東京)

「23 年介護」という本の文庫化完成記念の食事会に私も参加させていただいた。本の著者は直木賞作家のねじめ正一さんである。

私のねじめさん歴はもう19年になるだろうか。FM東京の深夜番組「真夜中のサウンドレター」で共演して以来、ご近所づきあいのような、遠い深い親戚関係のような、不思議な絆で結ばれている。

その頃のねじめさんはまだ30代半ば、小説は手がけていない。現代詩の芥川賞であるH氏賞を受賞して、メディアの中で徐々に注目され始めた時だった。阿佐ヶ谷のホームで便器に腰掛けて詩を朗読する姿が写真誌の見開きを飾り、サングラスをかけた風貌も含めて話題の人であった。たしか筑紫哲也さんが編集長時代の『朝日ジャーナル』で「若者たちの神々」にも登場し、その活躍が期待されていた。

「お便りだけが頼りです」というねじめさんのナレーションでリスナーからのはがきを募る「真夜中のサウンドレター」は、聴取率こそ高くなかったが、コアなファンがついていた。何年も経ってから若いテレビのディレクター数人から「高校時代に」「浪人時代、勉強しながら」聞いていたと言われたことがある。番組を聴いたから業界入りしたとは思わないが、何か感性を刺激していたら、嬉しく思う。

80 年代半ばという時代を反映して、アイドル論を展開したり、ねじめさんが詩を朗読したり、少年時代の話をしたり・・・。思えば直木賞受賞作品「高円寺純情商店街」の原型がそこに詰まっていたのである。

何せ詩人だから、次々閃くたびに球があちこちに飛び交って、私はついていくのに必死。「アシストしないアシスタント」とねじめさんに言われたものだ。けれど、予定調和でない、その会話のやりとりが実は魅力だったのだと後から聞かされた。「ねじめさん」「もりもとさん(当時の私の苗字)」という距離のある呼びかけも新鮮だったのだろう。

先月、ねじめさんが阿佐ヶ谷で現代詩とジャズのセッションによるライブを開くというので馳せ参じ、久しぶりに詩の朗読を聞いた。直木賞も受賞され、すっかり大人になって、危なかったしさが消えてしまったねじめさん。詩の朗読にも円熟味を増して、年月の重みを感じずにはいられない。

詩は音にしてこそ生きるものだということを教えてくれたのは、ねじめさんだ。言葉が息づき、一人歩きする。映像が浮かんできて、時間の流れを共有してしまう。その生命力はライブを聴いて初めて実感でき、涙することさえある。

正直なところ、私はラジオで共演している間、

ねじめさんが言葉の選び方にどのくらい命を賭けているかを理解できていなかったと思う。それはスタッフも同じだった。私自身、それが少しわかったのは、番組終了の1年後、作詞を手がけることになった時である。

共同通信より配信2010年3月7日付地方紙掲載

特定の誰かを設定して「読んでくれますか?」と本を推薦する共同通信のシリーズ企画

【民主党議員へ】【中国人の思考回路見抜く】【三国志】

「僕たちチャイニーズが日本人をだますのなんて、赤子の手をひねるより簡単だよ。単純だから」。台湾の友人たちによくこう言われる。

彼らは小学校に上がる前すでに『三国志』を諳んじている。単なる音に過ぎなかった言葉は、大人になると意味を持ち、貴重な人生教訓に変わる。食うか食われるか。中華社会での駆け引きに大いに役立っているという。

二-三紀頃の中国は、漢が滅び、魏・呉・蜀への戦国時代。『三国志』はその乱世を生き抜いた英雄たちの処世術が詰まった物語である。

それを熟知しているのは大陸の中国人も同じだ。共産党幹部はもちろん、日本の観光地や繁華街に群がる若者にも、東京のマンションを買いあさる投資家にも、権謀術数がその細胞に浸透している。

東京で宝石を商うアフガン人が言う。「中国人は一筋縄ではいかないが、パタンがわかれば大胆で面白い」

米中首脳会議では、オバマ大統領もヒラリー国務長官も、孟子や孔子を引用して二国間の将来に準えたという。相手の癖(へき)を知らねば戦略は立てられない。あの米国でさえ努力している。

果たしてわが国政権与党の民主党議員らはどうか。小沢幹事長に従い胡錦涛主席と握手したくらいで有頂天になっている場合ではない。その無邪気な姿を見て、彼らが鼻先で笑っていることに気づいているのだろうか。

民主党議員には『三国志』を座右の書にして頂きたい。一度は読んだなどと言うことなかれ。共産党の権力闘争を勝ち抜いた彼らと付き合うには、一言一句、いまから暗記しても追いつかない。

まずは吉川英治氏の小説から始め、伊波律子氏による翻訳本へと進めばいい。中国人の思考回路を見抜く頭脳を鍛えることこそ、日本の安全保障につながると私は考えている。