10月○日  ユドヨノ圧勝とスハルト回帰

 久しぶりに私の予想がはずれた。おかげで毎晩眠れない。

 本人の能力とは別に、メガワティが大統領になる日が来る――と考えていた私は、当時、多くの研究者から顰蹙を買った。だが、1998年2月、その日はやってきた。インドネシアの人々がそれを望んだからである。

 今回、しかし私は彼らの反応を見抜けなかった。ジャカルタで人と話した印象では、SBY支持者と反SBY(反軍人)が約半々で存在した。そして地方では、金権政治がまだ力を持つと予想した。だから、メガワティが負けるとしても僅差だと考えたのだ。

 しかし鍵を握っていたのは、実は地方の人々だった。

 地方では、スハルト回帰が始まっていたのだ。つまり、スハルト政権崩壊後、地方で何が起こっているかといえば、「プレマン」がはびこっているのである。彼らは、昼間は不動産屋で夜の顔はカジノを仕切るヤクザなのである。彼らが地方の人々を恐喝したり、マッチポンプ的立ち回りをして、地方の政治家を登場させるのに大きな役割を果たしたりするのである。

 このプレマンは、スハルト政権下では、軍によって抑えられていた。ところが、ハビビ政権ではハビビ派プレマンが、ワヒド政権下ではワヒド派のプレマンが、メガワティが大統領になると、闘争民主党派のプレマンが登場して、地方の農民などは辟易していたのである。スハルトの時代は良かった。彼らを止めるには軍の力が必要だ。だから、軍人の大統領がいいのだ、と考える人々が潜在的に存在していた。

 だったら、7月の大統領選挙でSBYが最初から圧勝しても良かったのだが、他にも元国軍司令官の候補が存在していたし、各候補者からお金が配られたことで迷いが出たのだ。相互扶助の精神が基礎にあるインドネシア社会では、頂いた以上報いないといけないと考える。スマトラに住むある人は、各候補からお金を受け取ったばかりに、投票用紙の候補全員にアナを開けて、その投票が無効になったそうだ。

 しかし、4月の総選挙、7月の大統領選挙、そして今回の決選投票は3回目である。そうなれば、彼らもいろいろと学習し、すでに義理は果たしたのだから、自分たちの選びたい候補を選ぼうということになったらしい。やはりプレマン対策には文民の女性大統領では駄目だ。軍人であったSBYにひと肌脱いでもらおうではないか。ここが私の計算間違いだった。

 ジャカルタでは、3回の選挙に飽きていた。99年には参加することで政治が変わると考えたのだが、結局、この5年間、言論の自由は得たものの、生活が向上したわけでもない。集会に行ったところで大差はない。新聞を読みテレビを見て判断しよう。誰が大統領でも変わらないのであれば、現職のメガワティではなく、新人のSBYにチャンスを与えてみようじゃないか。これが大半のSBY支持者の判断だった。

 メガワティが大統領の資質を十分に持ち合わせていたかどうかとは別に、彼女が大統領に就任して以降、911に始まり、世界中でテロの嵐が吹き荒れた。これは彼女にとって不運だった。88%のムスリムを抱えるインドネシアでは、フィリピンのアローヨのように、徹底したテロ対策を打ち出せなかった。アメリカの要望に応えて強攻策に出れば、国内のイスラーム勢力を敵に回すからである。

 事実上の勝利宣言をしたSBYはこうコメントした。

「民主化の基礎を築いてくれたメガワティに感謝する」と。

 このコメントを言わせたのは誰だろうか。決断が遅くて有名なSBYがそこまで計算できるとは思えない。彼の裏には、ものすごく賢い仕掛け人がいると私はにらんでいる。その存在を突き止めて、そのカラクリを知りたいと考えているのだが、いずれにせよ、インドネシアは大きくハンドルを切った。スハルトによる32年にわたる独裁政権に決別し、民主化と言う名前の下に試行錯誤を繰り返した日々が終わろうとしている。棄権をした人々を抜かせば、国民が自分の手で大統領を選んだのである。ユドヨノが大統領になるとすると、この先、スハルト的統治に戻るのか、欧米型社会になっていくのか。ハビビ、ワヒド、メガワティ。スハルトに印籠を渡したか、政権末期に反体制として闘ったかした3人の役割が終わり、インドネシアは新しい時代に突入した。

10月○日 ブッシュの失敗 

インドネシアの大統領選挙では、ユドヨノの圧勝がほぼ確定し、次なる焦点はアメリカの大統領選挙である。

 今日は第一回目のディベートだった。朝からCNNに合わせて中継を見たが、ブッシュがなんともブザマであった。決してケリーがいいわけではないのに、ブッシュがひどすぎて、かなり不利になると私は確信した。

 1年間アメリカに滞在して、この二人が話す場面をしばしば見てきたのだが、今日のブッシュはとりわけ出来が悪かった。彼の言葉がすべったり、カツゼツがいい加減で噛んでしまうのはよくあることだ。そうした拙さがお茶目に映るほど、ケリーの演説がつまらない。それが地元記者の評価であり、これまでの支持率に反映されてきたのだった。

しかし、今日はひどすぎる。こんなに幼稚な大統領にアメリカを任せて大丈夫かしらん、と誰もが思ったと私は感じた。あまりに国民をなめている。なんにも考えていない人、と見えてしまった。これでは愛嬌でカバーできる限界を超えている。

ブッシュを支持するのは、富裕層など古くからの共和党支持者にくわえて、メディアを通したイメージに左右されやすい人々なのである。少々舌ッ足らずでも、テレビで見て明るければ許してしまう。いかにも楽観的であれば嬉しくなってしまう人々である。

 その彼らでさえ、今日のブッシュを見て、アレ???と思ってしまったに違いない。あまりにお子チャマで、あまりに思慮深くないと映ったからである。

 一方のケリーは、ひたすら真面目だった。真面目すぎて何の魅力もなかったのだが、しかし、一生懸命お勉強してきた彼に好感を抱いてしまった私である。これでは「人生いろいろ」と発言した首相の不真面目さに嫌気がさして、生真面目な岡田党首率いる民主党に思わず投票してしまった日本国民と同じことがアメリカでも起きそうな気がしてきた。

 今回、ブッシュにとって不幸だったのは、テレビ画面が二分割されたことである。1ショットでも十分に危なっかしかったのに、ケリーと並んで映し出されたのだから、たまらない。狼狽して落ち着きのないブッシュと、終始落ち着き払って静かに対応したケリーとの対比が際立ってしまったのである。

 今回のブッシュの怠慢ぶりは、メガワティのそれと重なる。話すのが苦手なメガワティにしては、テレビ討論にも応じて、めずらしく検討したが、初日の準備不足から来る狼狽ぶりは現職大統領としてはお粗末だった。現職の大統領が初心を忘れて社会の空気を見誤ることはよくあることだが、選挙前の怠慢は命取りである。相手を倒すことだけを考える挑戦者の鮮度とエナジーを突き放すには、よほど心してベルトを締めなおさねばなるまい。

 決してブッシュがいいとは思わないが、ケリーになったからといってイラクもイスラエルも情勢は変わらない。一番の違いは、北朝鮮とは絶対に戦争をしないことだろう。日本にとっては市場開放を迫られて、財界が辛い思いをするだけだ。

 うーん、ディベートの季節到来。午前中は外出を辞めてCNNに釘付けである。

9月○日  投票日の明暗

 早朝、南ジャカルタにあるメガワティの家に向かおうとするタクシーの中で、突然電話が鳴った。

「サトコ、メガワティの投票は11時らしい。だから、先にSBYのところに向かったほうがいいよ。彼は8時に投票所に現れる」

軍人だからという理由で反SBYの人々が投票しないのであれば、やはりSBYの勝算は高いとみるべきであろう。勝ち馬に乗るつもりはないが、一応、その空気はつかんでおかねばならない。

 SBYはメディアの扱いが本当に上手だ。前日も家にジャーナリストを招待し、投票所では取材中の記者やカメラマンのためにスナックとミネラル・ウォーターが配られた。8時20分に現れるという噂どおり、彼はその時刻に現れ、カメラマンのリクエストに応えて、あちこちに人工的な笑みを振りまいた。軍人として滅多に笑うことがなかったであろう彼は、キャンペーンのために無理して笑って見せているように私には見えた。しかし、こうして愛想を振りまくことで、彼は株を上げるのである。権力者の成功の秘訣はまず、メディアを味方につけることだ。

 メディアが一斉に味方するこの空気に中で、メガワティに勝算はないと私は見た。しかし、せめて僅差で負けさせてあげたいというのが私の心情だった。

 私につきあってSBYの投票行動の一部始終を見ていたタクシードライバーは、それでも頑なにメガワティ支持だという。彼は単純にメガワティが好きなのだ。今でも、あの母のような笑顔に癒されるらしい。

 メガワティの投票所付近では、ジャーナリストだけでなく、近所の人々であふれていた。本来の家があるクバグサンからジャカルタ中部のメンテンに居を移したメガワティが、地元に帰ってきて公の場に姿を現すのは久しぶりだから、なんとか握手をしたいのである。メガワティの支持者とは、こういう人々なのである。

 投票の後、メガワティは(正確には夫のタウフィックだが)記者団を家に招いた。前日に記者を集めたSBYに比べ、こうした行動は遅きに過ぎるが、かつてメガワティが反体制のシンボルだったころ、ここに集まった記者たちが何人かやってきて、同窓会のような空気に包まれた。各地の選挙結果を電話で問い合わせ始めた。

 大統領になってからというもの、彼女はこういう場を設けなかった。はっきり言えば、これが敗因である。ブレーンを含めて、反体制のシンボルだったころの自分を支えた人々を大切にしなかったのだ。屋根が拡張され、天井にファンがとりつけられ、以前より大勢の人が日差しや雨をしのぎながら過ごせる環境になっていた。庭の奥に目を転じると、雑魚寝のできるスペースが設けられていた。大統領付きのガードマンを泊めるためらしい。これが、より多くの庶民を嵐から守るために設えられたのであったら、どんなに良かったであろう。メガワティ敗北の理由を象徴しているようで哀しかった。

 側近も記者も電話で全国の投票所に問い合わせを始めた。各地の得票率が入ってくるにつけ、夫のファウフィック・キマスの表情が暗くなっていった。組織票で取れると考えていた彼にとっての誤算が次々と明らかになり、ついにはタバコに手を出した。メガワティ本人は現役の大統領としてキャンペーンに集中できなかったのだから、夫である彼の読みの甘さや闘争民主党の怠慢に敗因があるのは確実である。とはいえ、負けつつある陣営の傍についているのは辛いものだ。

 私の携帯にも友人から電話が入った。

「テレビでは各局、SBYの勝利宣言よ。メガに勝ち目はないわ」

 5時すぎのことだ。わずか4時間、5%の開票で勝利宣言はこの国では早すぎる。

 しかもメトロTVが開票速報として流した数字と、選挙管理委員会が発表している数字に開きがあることだ。速報だと30%の開きがあるのに、公式の発表だと19%に縮まる。

この後、選挙対策本部のメガ・センターを訪れると、早すぎる勝利宣言と速報が問題視されていた。ここは、闘争民主党の人々だけでなく、全国からメガワティ支持者がボランティアで集まっているのだ。元軍人、学者、NGOなどいろいろである。とても誠実そうに見えるのだが、不器用そうで仕事の運びが効率的でない。SBY陣営のスタッフと比べると、時代遅れという空気がみなぎっている。

この2年ほどでテレビ番組の作りは洗練された。メトロTVなど、ほとんどが欧米の血が混じったハーフを女子アナ揃え、男性視聴者の獲得の成功している。それが選挙に大きく影響したことは間違いない。ジャカルタの街並みもピカピカに変わった。ショッピングセンターにはブランドショップが並び、お米好きのインドネシアになぜかその場で焼くパン屋いきなり3軒も出来て大流行、本屋には分厚くて高いインテリアの写真集が並んでいる。少なくともジャカルタでは、「洗練」はトレンドである。メガワティ陣営はそこを見誤った。

 宿に戻ってシャワーを浴びると、ベッドになだれ込んだ。私なりにメガワティの最期を看取る覚悟はあったのだが、友人ともども、なんだがとても疲れてしまった。

9月○日  投票を拒否する人々

 まずいことになった。明日の選挙ではゴルプット(白票)がたくさんでるかもしれない。昨夜から日曜日の今日、別件の調査でいろいろな人の家を訪れえているが、そこに集うご近所さんは、みなゴルプットだというのである。これでメガワティが負ける確立が高くなった。

先日、TBSのニュースバードで電話レポートをし、勝負は五分五分で、メガワティにもまだ勝つ可能性が残されていると話してしまったというのに、どうしよう。

今回の選挙はイメージ戦略だ。対抗馬のSBYが世論調査で高い数字を示しているのは、イメージ戦略が成功しているためである。思い出してほしい。3年前に小泉総理が登場した時、彼によって日本は変わると信じたし、メディアはそれを煽った。SBYも全く同じなのである。森前総理がメディアに対して愛想が悪かったように、メガワティもメディアにオープンではない。そこを逆手にとったのが、小泉総理の秘書飯島氏であり、SBYのブレーンたちなのである。まずはメディアの取り込みに成功し、SBY旋風を作り上げた。

今回の選挙は、こうしたイメージ戦略にたけた候補者vs古い金権政治を行使する現役大統領との戦いといっても過言ではない。金権政治といえば聞こえが悪いが、考えようによっては、これは相互扶助の精神から来る伝統でもある。かつての日本の自民党政治を想像してもらえばわかりやすい。

アメリカと日本の機関が行った世論調査によれば、常にSBYが約60%でメガワティが約30%、SBYが圧勝である。こうした調査は主に都市部ではそのとおり反映されるものだ。しかし、実際にジャカルタに来て見ると、意外にメガワティ支持者が多い。 7月の選挙を見る限り、あたかもメガワティとSBYの差は調査で30%はあったものの、結果は10%に縮んでいる。この差は何なのか。

7月の選挙に関してみれば、調査を行った時から実際の投票までの間に、メガワティ陣営からの働きがあって変わるというものだ。調査の時には流行に乗って「SBY」に投じると答えても、たとえば、前日に村長さんから電話が入り、「メガワティさんのおかげでわが村にも道路ができたじゃないか」。そう言われて、SBYからメガワティに変えたと言う人が少なくないらしい。つまり、伝統的手法が効を奏したということになる。

国内外のメディアは、世論調査を反映してSBY優位というのだが、ジャカルタの人々に聞くと、「うーん、わからない」というのが答えなのだ。これは市井の人々から元政治家にいたるまで、すべて共通している。つまり、欧米的メディア戦略が、相互扶助の精神で彩られたこの国の伝統的慣習をぶち破るのかどうか、見極めがつかないというのである。

もうひとつは、ジャカルタで聞いて歩くと、SBYは軍人だから駄目だという人たちが結構いることだ。そういう人たちは、反SBYから「メガワティに投票する」と答えるか、「どちらにも満足していない」と答えるのである。つまり、再び軍人支配になるのは敵わないけれど、メガワティにあと5年任せていいのかどうか疑問だというわけだ。

こういう人たちは、前日になってゴルプットにすると言い出したのだ。これは計算外。その分、反SBY票がなくなるのだから、メガワティの勝算は消えるわけである。

彼らはこう考えるのだ。どちらかに投票すれば、ムスリム(イスラーム教徒)としては自分の選択に責任を持たなければいけない。だから投票しないのだ、と。

個人的には、ここでメガワティが勝って5年のうちに評判を落とすよりは、僅差で負けて、惜しまれて引退するほうが、本人にとってもスカルノ家にとっても幸せだと私は考えているのだが、スハルト政権が倒れてわずか6年で、再び軍人の手に国家運営を委ねるのも抵抗がある。正直、私がインドネシア人でも難しい選択である。

9月○日 大使館爆破事件とインドネシア大統領選

  ジャカルタで開かれたある日本人研究者の講演に足を運んだ。
 「今回の爆破事件は大統領選挙に影響するのでしょうか」
 会場からの質問に、彼はこう答えた。
 「この時期の爆破事件はインドネシアの風物詩のようなもの。選挙に影響を与えるとは考えにくい」
 しかし、私の友人である地元記者は別の見方をする。この事件のおかげで、やはり力強い軍が必要だ。メガワティでは駄目で、SBYが大統領になるべきだ。そう思う人が増えるのではないかというのである。
 さらに、彼はこう続ける。これは軍が仕掛けた可能性が高い。ジュマ・イスラミアが首謀者としても、軍の関与があったはずだというわけだ。
 たしかに、このシナリオは否定できない。スハルト政権崩壊後、インドネシアではさまざまな改革が行われた。諸悪の根源と言われた国軍改革では、警察と国軍を分離させた。
 警察が国内治安を、国軍は対外的なものを担うという構図だ。それまで最もおいしかった特権は、交通違反の罰金などである。ここが警察に持っていかれた。しかもメガワティ政権になって、警察が優遇され、国軍は冷や飯を食わされた格好だ。彼らがスハルト政権時代の過去の栄光を懐かしむは誰にも止められまい。
 もしSBYが大統領になれば、再び国軍の天下の可能性が出てくる。軍人たちがそう考えても不思議はないし、この可能性にかけるしかないだろう。2年前、学生活動家から、こういう噂を聞いたことがある。国軍内に流通したSBYによるペーパーはこう語っていたという。インドネシアの治安維持のためには、一度軍人の手で政権を担う必要がある。そして安定を確保した段階で、文民の政権に戻せばいい、と。
 SBYの真意はわからないが、このペーパーによって、軍人たちが喜んだのは想像に易い。だから、なんとかして、SBY大統領になってほしい。一部の軍人たちにとって、これは悲願ともいえる。
 そして、彼はこうも疑うのだ。アメリカが陰で関与していたのではないか、と。
 ワシントンではメガワティは評判が悪い。SBYになってほしいと心から願っている。私は1年の滞在を通して、それを痛感した。主な理由は、彼女がテロ対策に積極的でないからであり、もうひとつの理由は、父スカルノが大嫌いだからである。
 ワシントンではマハティールに対して感情的な批判をよく耳にした。公然とアメリカを批判する彼が疎ましかったからである。それと同様のことが、かつてインドネシアのスカルノ大統領に対してもあった。彼を倒すために、CIAが外島の反乱を誘発し、支援したことはあまりに有名である。
 そうした経緯から、インドネシア人は、すぐにCIAの関与を疑う傾向にある。スカルノの失脚とスハルトの浮上は、アメリカのバックアップがあってのことだという説は、この国には根強く存在している。その目線が消えることはなく、バリのディスコ爆破事件のときも、CIAの関与が取りざたされた。アメリカ人の犠牲者が少なかったからである。
 彼の考えにそって見ていくと、たしかに、メガワティの留守を狙ったところが怪しいのだ。彼女がブルネイ王室の結婚式に出席するために国を出た翌日に事件は起きた。この国では、大統領の留守を狙って不穏な動きがあったことは珍しくない。
 スハルト政権時代から、反乱の影に国軍の誘発ありだったのだが、国際テロの時代になって、ますます本当の首謀者が見えにくくなった。こうした話を続けていくと、向に水を実は裏でスハルトが指示を出しているという見方をするインドネシア人も少なくない。
 一体誰が真の首謀者なのか。イドネシア人が常に猜疑心でいっぱいになるのも、スハルト政権の負の遺産のひとつである。

9月○日 オーストラリア大使館前爆破事件

 ジャカルタに着いた翌日、爆破事件があった。最初はオーストラリア大使館そのものだと報じられ、テレビで現場が中継されたが、結局、大使館そのものはガラスにヒビが入った程度で、むしろ被害は周囲のビルに及び、死傷者もインドネシア人だけであった。
 「バリのディスコでもそう。なぜオーストラリアだけがテロリストの標的になるかしら。アメリカは無事。  これは急進派イスラームの仕業だと思う?」
 と宿でテレビを見ていた数人のインドネシア人に、私は無邪気にこう聞いてみた。
 「急進派イスラームかどうかはわからない。でも反豪感情は皆に共通しているからね」
 「東ティモールの独立以来?」
 「それが始まりだけど、いまの首相の言うことが我々インドネシア人の気持を逆なでするんだ」
 反豪感情――。私にはよく理解ができる。
 ハビビ政権になって、東ティモールがインドネシアからの独立を達成した。1973年に併合された東ティモールは、スハルト政権が倒れたのだから独立する自由を彼らに与えるべきだという国際社会の潮流は納得できる。そこで住民投票を行ったのだが、インドネシア中央政府およびジャカルタの人々は、彼らが独立を選ぶとは考えていなかった。スハルトの圧制で苦しんだのはジャカルタも同じ。しかし、彼のおかげで病院や学校が建設されたのだから、インドネシア人として生きようとするはずだというのが共通認識だったのだ。
 ここまではインドネシア人の傲慢である。自分たちの利権に固執して、武力で独立の動きを封じ込めようとした一部国軍の行使した暴力にも問題はあった。しかし、彼らが許せなかったのは、ハワード首相が「我々がアメリカに代わってアジア太平洋地域の保安官になるのだ」と東ティモールに軍を送ってきたことだった。これにインドネシア人が切れたのである。
 スハルトが東ティモールを併合したとき、オーストラリアはすぐにこれを認めたのである。なのに、手のひらを返したように、「いい子ぶる」のは許せないというわけだ。
 当時、ニュースに映し出されたオーストラリア国軍の兵士たちの勝ち誇った顔。それは、イラクに乗り込んだアメリカ兵と重なる。中東や東南アジアにいきなりアングロサクソンの兵士が武器を携えてやってくる光景は、植民地時代を思い起こさせるのだ。これが、ASEANの兵士だと、そんなには抵抗がない。この違和感について、欧米諸国はあまりに鈍感である。
 もちろん、地政学的に考えれば、東ティモールの行く末は、オーストラリアにとって深刻な問題だった。大量の難民がでれば、引き受けなければならない。そのくらいのことがわからないインドネシア人ではない。しかし、蓋を開ければ、いまの東ティモールはオーストラリアの植民地状態である。ホテルもレストランも、ほとんどがオーストラリア資本、オーストラリアドルを持たないと入れない。これでは、宗主国がインドネシアからオーストラリアに変わっただけだ。インドネシア人はこの現実を知っている。
 ハワードは野心家だ。彼はなんとかして「アジアのアメリカ」たろうとしている。イラク戦争にもアメリカに全面的に協力した。だから、共和党大会でのブッシュの演説でも、同盟国の中でオーストラリアの名前が最初に読み上げられた。
 しかし、ハワードの野心をよそに、アジアはそれを認めない。もちろん許しがたいアメリカのイラク派兵であったが、百歩譲って、あれだけ国力があれば、誰も文句がいえないという要素がある。戦後の国際社会秩序における貢献度、軍事力、経済力、それに機軸通貨ドルの圧倒的な強さには、どこか諦めももてようというものだ。
 オーストラリアにはそれほどの国力はない。まずは自国の経済力をつけて勝負しろと言いたいのだ。ただ、アメリカの真似をして、アメリカに媚びを売って寄り添って、軍隊だけ送り込んで、はい、アジアの保安官です。こんなやり方は卑怯だとインドネシア人には映るのである。
 くわえて、バリのディスコ爆破事件が火に油を注いだ。多くのオーストラリア人が犠牲になったのだから、彼らが犯人割り出しに躍起になるのは当然だった。だが、遺体を確認する際、白人を優先し、インドネシア人を後回しにした姿を、多くのインドネシアのメディアは目撃している。彼らが潜在的に抱く白人至上主義を、人々は見逃さなかった。
 10月の選挙で、ハワードの敗北を祈るのは、アジアの共通の見解かもしれない。

9月○日 ラミー人形

  迂闊にもラミー人形を買いそびれてしまった。
 ラミー人形を初めて見たのは、昨年の秋のことであった。ワシントンのダレス空港で、箱に入ったGIの人形の隣に置かれていた。
 「ラミー人形」
 まさか、ラムズフェルドの人形が存在するなんてことはないよね。イラク戦争の諸悪の根源の一人なのだから。
 しかし、顔の作りがどう見ても、ラムズフェルドなのである。しかも、ラミーはアメリカでのラムズフェルドの愛称だ。GIと並んで国防長官の人形があっても、おかしくはないけど、なんだかなあ。  その時はあまりのおぞましさに、つい買いそびれてしまった。買うことが恥ずかしいとさえ感じた。いまとなっては、話の種に買っておけば良かったのだが・・・。
 日本なら、悪玉の人形といえば、ニュース番組でキャスター席に並べてあるセットのひとつに存在するのがせいぜいだ。いやあ、待て。イスラーム圏にはオサマ・ビン・ラディンの人形が売られているという。アメリカ人なら、それを見て気色悪いと感じるはずだ。私の反応はそれと同じだったのかもしれない。
 人形が存在するくらいなのだから、ラミーはやっぱり人気者なのである。だが、一体、誰が買うのだろうか。ラミー人気を支えているのは、中年のオバサマたちだと認識していたのに、こんな身長30センチ以上もの大きな人形を買って飾るのだろうか。
 911直後にNYを訪れた時、友人はこう言ったものである。
 「ラムズフェルドってさ、カッコいいと思わない?アメリカの理想的なおじ様っていう感じよね」
 彼女のこのコメントは、周囲のアメリカ人の評価を反映してのものだったらしい。ワシントンに来てから、彼が全米の中年女性の憧れの的であることを知る。
 捕虜収容所における虐待問題が出てきた時でさえ、タクシードライバーはこう語っていた。
 「ラミーがすべて悪いのさ。彼が大統領を動かしていたんだから、もちろん、虐待の話だって全部知ってい るはずだ。でも、そのこととは別に、彼は エレガントなんだよ。アメリカの男性はこうあってほしいというエレガンスを持っている。見てくれだけでなく、話し方もね」
 虐待問題が表面化した裏には、アメリカ軍内部での彼に対する反発が存在する。彼は軍の予算を減らし、改革を進めてきた人物だ。アメリカ軍のアウトソーシングが進んだのも、この改革と無関係ではない。それにより、国軍内の士気が下がったことも事実だし、彼に対する反発が現場で広がっているのも想像の範囲だ。
 しかし、虐待問題が取りざたされてもなお、ブッシュ大統領は彼の首を跳ねなかった。そして彼を支えるようにペンタゴンには指示した。ある国軍関係のセレモニーでラミーが演説をした時には拍手が鳴り止まず、テレビの中継を見ていた私は面食らったものだ。
 これも昨秋のことだが、あるシミュレーション・プラクティスに大統領役でやってきたオルブライト女史が、学生の質問に答えてこう語ったのを思い出す。
 「私が大統領だったら、ラムズフェルドかチェイニーを辞めさせて選挙に臨む」と。
 しかし、結局、ブッシュはそうはしなかった。共和党大会に登場させなかっただけでも、意味があったとしておこう。同時に、パウエルも登場しなかったのだが。
 プリンストン大学時代、レスリング部に所属し、政治に携わってきてからはニクソンに楯突いてNATO大使に送られたこの男は、何度も大統領候補を志し、現在にいたる。

9月○日 共和党大会

  なんともノーテンキに見えるブッシュ大統領だが、実のところ共和党の中は一枚岩ではない。それをまとめあげるのに大きく貢献したのが、チェイニーとシュワルツネッガーだ。
 チェイニーは決して演説の上手な政治家ではない。力強いわけでもない。口が歪んで、見るからに冷たい感じがするのに、なぜ、こんなに共和党員には人気があるのか。
 ワシントンに着いたときから副大統領候補をジュリアーニにすべきだと何度も提案していた私だが、共和党関係者からの答は常にこうだった。
 「それは駄目だよ。チェイニーなしでは、ブッシュは共和党をまとめられないんだから」
 彼が裏の功労者というわけだ。
 ならば、持病の心臓発作で副大統領辞退というのはどうだろう。このシナリオも、しかし見事に打ち砕かれた。心臓発作で入院したある人を見舞った時のことである。
 「手術して機械をつけたんだけどね。これをつけると次に発作が起きても、自動的に電気ショック的マッサ  ージをしてくれて、心臓は止まらないんだ。だから死ぬことは絶対にない。350万円くらいするんだけど、  あのチェイニーも同じ機械をつけているらしいじゃない」
 と彼は不死身になったことを喜んでいた。
 もちろん、私の知り合いが元気でいてくれるのは嬉しい限りだ。しかし、チェイニーが続投ということになると、世界全体が迷惑至極。350万円なんて、彼にとっては、吹けば飛ぶような金額だ。イラクも北朝鮮も気が気ではないだろう。
 一方、俳優のわりにスピーチが上手とは思えないシュワルツネッカーは、今回の共和党大会の演出上、大きな意義があったというべきだろう。共和党員であることを強調し、だったらブッシュを支持しよう的な文言は、分裂傾向にあった共和党をひとつにまとめるのに効を奏した。イデオロギーや政策よりも、ポピュリズムで州知事になってしまったシュワちゃんだからこそ担えた役割だ。
 ワシントンに来てまもなく彼が州知事に選ばれたと記憶している、ワシントンでは
 「彼が当選するようでは世も末だ」
 と多くの人が嘆いた。
 また、小泉人気について聞かれるたび、私なりの分析を披露すると
 「あら、まるでシュワルツネッカーみたいね」
 と関心されたものだ。
 シュワルツネッカーはこうも語った。オーストリア人でありながらアメリカで大成し党大会でスピーチをする。これはまさにアメリカの度量の大きさの象徴である、と。このくだりは、アフリカ出身でハインツの御曹司と結婚してアメリカ国民となり、未亡人となってからもファーストレディになるチャンスを有しているケリー夫人のスピーチを食ってしまった感がある。
 で、肝心のブッシュの演説。あれ?小泉さんの名前はないの?
 おまけに、日本や韓国を差し置いて、あれれ、オーストラリアが同盟国のトップ?
 もっとも、オーストラリアのハワード首相は、東ティモールの独立をかけた国民投票のあたりから、「アジア太平洋のアメリカ」を目指してきた。ここは我らが領域。アメリカに待ったをかけて、同盟国として自分たちがその任を負うというわけだ。アフガニスタンでもイラクでも、名実ともにアメリカ支持のスタンスを貫きつつ、自分たちのアジア太平洋におけるプレゼンスを強調してきたのだから、アメリカからみれば、可愛い子分だ。
 この破格の扱いは、アメリカの配慮なのか、ハワード首相の根回しが効を奏しているのか。同じアングロサクソンの血はシンパシーを呼ぶのであろう。そういえば、東ティモールに乗り込んで勝ち誇ったように戦車から顔を出したオーストラリア軍の兵士と、イラクで銃を持ったアメリカ軍の兵士の顔とは、私たちからみれば同じだった。
 日本も軍隊を持って同様の顔をしようなどとは、どうぞ考えないでいただきたい。どんなに頑張って貢献したところで、所詮、アジア人を仲間とは見なさないのだ。アメリカ社会では黒人より低い。そのことを忘れず、小泉さん、慎重にお願いします。

8月○日 アメリカ幻想の崩壊

 おそらくイラク戦争をきっかけに、アメリカは国際社会からの信頼を喪失した。それまでアメリカに抱いていたイメージの悪化は誰にも食い止められない。アメリカ国内に存在する反ブッシュ感情は、そうした現象に対するブッシュ政権への怒りと、わが子を戦場に送り出している親たちの怒りがない交ぜになっているのである。
 私自身、ワシントンで1年暮らしてみて、アメリカへのイメージを変えざるを得なかった。外交についてだけではない。20年以上前、カリフォルニアの青空の下、UCLAでノーテンキに英語を学んだ時には抱いたアメリカへの印象が音を立てて崩れたのである。日本社会のように否定されることがなく、チャレンジ精神を刺激し、誰もが応援団になってくれる寛大な社会。これが私の得た印象だった。それを規定したのは、LAのホストファミリーであり、UCLAのエクステンションの先生たちであり、このプログラムのために働いていたアメリカ人の先輩たちであった。
 しかし、社会人として実際に肌で感じたアメリカは、十分に閉鎖的だった。なにより大学院のブランドで若者の将来が決定づけられ、結果、アメリカ社会が用意したシステムにうまくビルトインされた人間にはきわめて居心地よく、それがなければカネとコネでのし上がるしかない社会。逆にいえば、お金さえあれば、アフリカ人でもアジア人でも、それなりの教育を受けてアメリカ人として生きていく方法が残されている。だが、貧しければ、一生、皿洗いで終わらなければならない。
 アメリカ的システムに寄り添って出世した人たちには露骨にあることだが、自分たちは正しいと言われないと機嫌が悪い。大学教授、元大使、外交官、官僚といった人種である。自分を称え、媚びる人間は可愛いということだ。これは外交においても同じ。アメリカを尊敬し、感謝し、媚びる国には親切だ。だから、小泉政権は評判がいい。しかし、少なくとも経済力の上では脅威となりうる日本は、民主化途上国ほど可愛くはない。アメリカの方針に逆らえば、とことんそれをつぶしにかかる。
 どの組織も日本よりもはるかに官僚的で融通がきかない。最初にイエスと言ったからといって信じてついていけば、最後にノーと言われて、それまでの努力が水の泡ということはめずらしくない。
 入り口では、にこやかに迎え入れられ、機会均等に見えて、実は持てる者が持たざる者から「剥ぎ取る」アングロサクソン的弱肉強食社会なのである。結果、相手を信用できず、自分を守るために攻撃的にならざるを得ない。一人の人間の性格をゆがめるのに十分な社会である。いい人でいると火傷を負う。常に二重三重のチャンスを張り巡らせ、一方を取り逃がしても、他方を生かすくらいの覚悟がいる。
 これが実はアメリカ社会の本質だったのか、社会が変容した結果アメリカの寛大さが失われつつあるのか―。少なくとも、冷戦終結からアメリカ社会が大きく変容したことは否めない。
 問題は、グローバリゼーションの名の下、そうした価値観を国際社会に普遍化しようとしていることだ。小泉・竹中改革の果ての弱肉強食社会が日本のあるべき姿なのか。さりとてアメリカのパワーに抗する術はなく、その中で日本のとるべき道を早急に模索しないと、取り返しがつかなくなるように感じている。

8月○日 アメリカのセレブ

  「ジョージタウンに来ればね、アメリカのセレブと友達になれると思ったのよ。でも、全然出会わないのよ、どうして?」
 ある時、ルーマニアの女性外交官Nはこうつぶやいたのだった。
 「御曹司ってこと?ワシントンではなくて、ハーバードやイエールに行くんじゃないの? ボストンは若者 の町だし、親元からも隔離されるから、便利なんじゃない?」
 Nはジョージタウンにいる間に30歳になった。どうやら結婚生活はうまくいっていなく、国に帰ると離婚ということになるらしい。そんな含みもあって、白馬の王子との出会いにも期待があったようだ。なにせケリー夫人のように、ハインツの御曹司に見初められたケースもある。彼女の中では、モザンビークよりはルーマニアのエリート外交官だろう、と思っていた風である。
 Nは実に英語が堪能である。ゆっくりと明瞭な発音で、言葉の選び方もアメリカ人好みだ。いや、正しくはアメリカの官僚好みというべきだろう。すなわち、彼女はアメリカ人の自信過剰に対し、決して威信を損ねるような発言をしない。その意味ではきわめて外交官向きである。
 たとえば、ルーマニアの立場について説明をする時、こう表現してみせる。
 「あなたたちのクラブ『NATO』のお仲間に加えていただけたことで・・・」
 こう表現をされた折には、元大使のおじ様方は、(失礼、いまでも大使と呼ばないと機嫌が悪いが)、目を細めて喜んだものである。「アメリカのおかげで我々は幸福になりました」的な表現は、アメリカの外交官がもっとも好む。彼女はそのことを知っているのだ。だから、彼女はその英語力で、アメリカのセレブともお近づきになれば、自分は信頼を勝ち取れると考えるのである。
 さすがに私の年齢では20歳そこそこの御曹司との結婚がありうるわけはなく、そういうまなざしでセレブを探したことはない。だが、会えるものならお会いして、得意のホームステイなどをしながら、しばし観察してみたいところではある。
 この話をアイリーンにしてみた。香港で生まれて6歳からアメリカに住んでいる21歳だ。同世代の彼女は射程内にあるはずである。
 「何もわかっていないのね。セレブのお嬢もお坊ちゃまも、キャンパスには滅多に来ないのよ。来てもすぐ  に帰る。彼らには彼らのサークルがあって、その辺の人とは遊ばないの。ましてやアジアやルーマニアの  女子学生なんて、相手にされるわけがないじゃないの。だいたい、いくつなの?その人は。30歳のオバサンでしょ。そん  な人となんで一緒に過ごさないといけないわけ」
 おっしゃる通りである。私などはお母さんの年齢だ。ま、それでも、お家に招いてくれて、パーティなどを覗かせてくれれば、それも楽しかろうに。
 Nがこう話したことがある。
 「私たちはブッシュ大統領が嫌い。いまの政権も嫌い。でもね、クリントン時代にはかなわなかったことが  ブッシュになって達成できたの。わかる?NATOのメンバー入りよ。この点にだけは感謝しているわ」
 外交上、NATOクラブに入れていただくことまでは現政権の思惑で可能だが、Nがアメリカの社交クラブに入れるかどうかは、彼女個人のラックにかかっていると言わざるをえない。まだ、入り口にも行き着いていないのだから。
 彼女も8月にルーマニアに帰国した。