吉報を受けて

  受賞の知らせを受けた瞬間。このあと、目がうるうるしてきます。

6月17日付の朝刊に記事が掲載されたので、朝からたくさんの方々より、電話やメールを受け取りました。ありがとうございます。通勤電車で読んで駅のホームから電話をくれた人、会社についてすぐにメールをくれた人、あんなに小さな記事をしっかりみつけてくれて、まだまだ新聞が読まれていることを実感しました。メールが大半でしたが、電報も一通受け取り、なんだか懐かしくてほっとしました。電子ブックが話題の昨今、便利さから一瞬、そちらに振れたとしても、やはり紙の本がいいという人が圧倒的ではないでしょうか。そんなことを考えた6月17日でした。

日本エッセイストクラブ賞受賞

昨日、「日本エッセイストクラブ賞」の最終選考会が開かれ、拙著『ワシントンハイツ』の受賞が決まりました。

選考会の間をどこで過ごすか、結果をどこで受けるかは悩むところですが、今回は『ワシントンハイツ』に登場する明治神宮の森におりました。吉報は、満開の菖蒲園にて受けました。

ちょうど前日に増刷も決まり、第二版は28日に書店に並びます。

皆さまに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

ハワイの出雲大社

日系人取材の流れで、ホノルル滞在中に出雲大社を訪れた。

日本ではパワースポットブームだが、最近ははるばる「お水とり」に訪れる人もいるのだという。場所は、チャイナタウンの少し先。ワイキキからだとバス「2番」でたどり着く。

新政権に目配せを

日本の総理交代などアメリカではさしたるニュースにもならないのだが、帰国してみれば、菅政権に対する日本のメディアの持ち上げようが異常に思える。世論調査でやたら支持率が高いというのも、あまり納得がいかないことである。小沢氏排除が好感されているというが、それも出来レースに見えてしまうのだ。

目先の生活にばかり追われて、日本という国のありようが知らないうちに変わっていた、ということがないように、日本国民の一人として、新政権をしっかり観察しなければと思う。

戦後の占領以来、日本人はアメリカの背中を見て成長してきた。だから兄貴分としてアメリカに押さえられることには慣れているし、我慢もできた。しかし、急激に発展を遂げた隣国の傘下に収まることに、はたして日本国民はどれほど耐えられるのだろうか。

普天間問題を通して反米感情を煽り立てられ、ふと気づいたら、別の大国に支配されないよう、日本のありようを考えるべき時だ。これまで沖縄の首長たちが日本政府を手玉にとってきた交渉術は実に見事で、琉球王国以来、彼らが持っているしたたかさ=小国ながら大国に飲まれない知恵を、いまこそ私たち日本人は学ぶべきではないだろうか。

そうした知恵が日本の政治家にあるかどうか疑わしい。マスメディアに翻弄されることなく、国民一人一人が洞察力を身につけ、政権を注視していくしかないのである。

ナイトジャーナル(NHK)

NHK の隠れた人気番組「ナイトジャーナル」のキャスターとして活躍。・・・

「人物ファイル94-95」で秋尾沙戸子を引くと、こんな書き出しで始まる。93年から放送された「ナイトジャーナル」は放送時間が23時20分から24時までと深く、視聴率も4パーセントを超えたのは数回で、いつもは視力検査に近い数字だった。時代の先端を行く現象の深層に迫ろうという番組で、文化面、社会面を掘り下げたテーマが中心だった。帰宅後、日々のニュースを知りたい人は筑紫哲也さんや桜井良子さんの出演される番組にチャネルを合わせていたのだと思う。

同じ時期に始まった「クローズアップ現代」は30分かけて1テーマ、しかし「ナイトジャーナル」は40分しかないのに2テーマ、それと書評・CD評も加わるという、コアな3テーマ(後半から2テーマに減った)に取り組む番組だった。また「クロ現」は対論でゲストと話を進められるのに対し、「ナイトジャーナル」には複数のゲストと男性キャスター、どちらの意見も引き出さなければならず、当時35歳の私には、すべてのテーマを理解していくのとあわせて難儀なことであった。

曜日替わりのキャスターは次のとおり。月曜日は民俗学者の大月隆寛さん、火曜日は詩人の林浩平さん、水曜日は宗教学者の島田裕巳さん、木曜日はデザイン評論家の柏木博さんだった。書評はノンフィクション作家の井田真木子さん、文芸評論家の安原顕さん、解剖学者の養老孟司さん、文芸評論家の高橋さん、CD評は中村とうようさん、萩原健太さん、石井寛さんがそれぞれ紹介していくださった。

それだけテーマがあるのだから、スタジオに来ていただいたゲストも多彩。大学の先生たちはもちろんのこと、佐高信さん、ピーコさん、大島渚さん、草間弥生さん、愛川欽也・うつみ宮土里夫妻。後にノンフィクション作家の先輩として親しくさせていただくようになる佐野眞一さんは「ナイトジャーナル」がテレビ初出演。それにピアニストのアシュケナージなどが海外アーティストがやってきて演奏を披露してくれた。

できれば番組終了後にいろいろお話もしたかったのだけれど、3つもテーマがあると、本番に突然やってきて去っていく方々も大勢いらした。それが心残りだ。

初期のころに「女性器をどう呼ぶか」というテーマがあり、ずいぶんと週刊誌をにぎわせたものだった。若いスタッフによるNHKなりのタブーに挑戦したわけだが、こうした冒険が上層部の怒りを買ったのかもしれない。1年で番組は終了してしまった。

指導者の仕事

「僕だったら、自分の発言が恥ずかしくて、生きていられないよ」

友人の息子の中学生は、ニュースを見ながら、こうつぶやいているという。もちろん、総理大臣のことである。

だが、総理が辞めたところで、後任の顔ぶれを想像すると、さらに混乱を極めそうだ。いっそ鳩山氏のままではないかと考えてはみる。結果、この程度で総理は勤まると舐められても癪に障る。その子の母親と私の共通見解である。だから、悩ましい。

福島党首も鳩山総理も、評論家の域を出ないのだ。反対するだけなら、誰にでもできる。交渉してまとめあげて形にするのが政治家の仕事だ。それには、すさまじい量の情報を集めて精査する力と戦略、それに決断力が求められる。

「大統領の仕事は決断することである」

かつてクリントン元大統領が演説の中でそう話すのを聞いたことがある。アメリカの場合、国防省、国務省、CIAなどの機関から、全く別の情報があがってくることがある。それらの中からホンモノを見抜いて決断するのは、大統領の仕事だ。

日本の場合、決断以前に、その情報さえまともに官邸にあがってこない。政治家を舐める官僚に非があるのか、官僚をその気にさせない総理の資質の問題なのか。

経済政策はともかくとして、小泉元総理には、官僚を本気にさせる魅力があった。彼に進言すれば、形にできるのではないかと官僚が頑張った形跡はあちらこちらに残っている。

今後の日本で、官僚をその気にさせる総理候補が存在するのかどうか。それが無理なら、死ぬ気で情報を集めるシステムを創りあげなければ、日本は日本でなくなってしまう。アメリカのみならず、共産党の権力闘争を勝ち抜いてきた中国の政治家と渡り合うこともほぼ不可能に近いだろう。

危機意識で学びの動機づけを

昨夜、月が美しかったと思ったら、案の定、今日は朝から雲ひとつなく、抜けるような青空が広がっていた。午前中、外に出ていたら、本当に日差しが強くて、肌が痛いほど。なのに、夕方には空は雲で覆われ、せっかくの満月はどこへやら。

今日はエンジン01教育委員会だった。参加した人数が多かったので、あちこちで話が盛り上がっていたが、私の周囲では、中国人留学生の脅威において意見は一致した。

希望が持てず投げやりな日本の子どもたちに学びの動機づけは難しいが、危機意識を持たせることが近道と私は考える。早晩やってくる日本社会の変化を、大人が想定して語らなければいけないのだ。日本の労働市場における自分たちのライバルが中国人であること、日本語さえ解してくれれば、工場などは中国人を雇いたがることを教えるべきなのだ。でないと、高校生や大学生になっていざ就職というときに、日本の若者たちは仕事に就けずプー太郎になる。日本経済がこれまで同様に好調ではないだろうし、中国企業に買収されるところも出てくるはずだ。実際、レナウンは中国企業のものになった。

これから伸びようとする国の人々のエネルギーは半端ではない。戦後の日本も、そうしたエネルギーが高度成長につながったのだ。その事実をいま語って聞かさないまま、若者が将来仕事につけないとすれば、それは大人の責任である。

すでに4-5年前、IBMはアジアの拠点を東京から上海に移した。中国市場の魅力もさることながら、日本の若者はマニュアルどおりにしか動かないからだという。その点、中国人のほうが創意工夫があるというのが理由だった。

私はIBMの例を挙げて、これまでもあちこちで警告してきたが、それが日本企業でも起きている現実を我々は真摯に受け止めねばならない。流通業界でも、幹部候補生にアジアの留学生を積極的に起用するところが出てきている。本当に優秀な中国人はアメリカや欧州に出向いているが、日本に来ている留学生でさえ、おそらく普通の日本の大学生よりは、はるかに勤勉で野心家であることを、私たちは忘れていはいけないのである。

「真夜中 のサウンドレター」(FM東京)

「23 年介護」という本の文庫化完成記念の食事会に私も参加させていただいた。本の著者は直木賞作家のねじめ正一さんである。

私のねじめさん歴はもう19年になるだろうか。FM東京の深夜番組「真夜中のサウンドレター」で共演して以来、ご近所づきあいのような、遠い深い親戚関係のような、不思議な絆で結ばれている。

その頃のねじめさんはまだ30代半ば、小説は手がけていない。現代詩の芥川賞であるH氏賞を受賞して、メディアの中で徐々に注目され始めた時だった。阿佐ヶ谷のホームで便器に腰掛けて詩を朗読する姿が写真誌の見開きを飾り、サングラスをかけた風貌も含めて話題の人であった。たしか筑紫哲也さんが編集長時代の『朝日ジャーナル』で「若者たちの神々」にも登場し、その活躍が期待されていた。

「お便りだけが頼りです」というねじめさんのナレーションでリスナーからのはがきを募る「真夜中のサウンドレター」は、聴取率こそ高くなかったが、コアなファンがついていた。何年も経ってから若いテレビのディレクター数人から「高校時代に」「浪人時代、勉強しながら」聞いていたと言われたことがある。番組を聴いたから業界入りしたとは思わないが、何か感性を刺激していたら、嬉しく思う。

80 年代半ばという時代を反映して、アイドル論を展開したり、ねじめさんが詩を朗読したり、少年時代の話をしたり・・・。思えば直木賞受賞作品「高円寺純情商店街」の原型がそこに詰まっていたのである。

何せ詩人だから、次々閃くたびに球があちこちに飛び交って、私はついていくのに必死。「アシストしないアシスタント」とねじめさんに言われたものだ。けれど、予定調和でない、その会話のやりとりが実は魅力だったのだと後から聞かされた。「ねじめさん」「もりもとさん(当時の私の苗字)」という距離のある呼びかけも新鮮だったのだろう。

先月、ねじめさんが阿佐ヶ谷で現代詩とジャズのセッションによるライブを開くというので馳せ参じ、久しぶりに詩の朗読を聞いた。直木賞も受賞され、すっかり大人になって、危なかったしさが消えてしまったねじめさん。詩の朗読にも円熟味を増して、年月の重みを感じずにはいられない。

詩は音にしてこそ生きるものだということを教えてくれたのは、ねじめさんだ。言葉が息づき、一人歩きする。映像が浮かんできて、時間の流れを共有してしまう。その生命力はライブを聴いて初めて実感でき、涙することさえある。

正直なところ、私はラジオで共演している間、

ねじめさんが言葉の選び方にどのくらい命を賭けているかを理解できていなかったと思う。それはスタッフも同じだった。私自身、それが少しわかったのは、番組終了の1年後、作詞を手がけることになった時である。

山の手空襲から65年

65年前の今日、正確には夜になるが、渋谷、表参道、麻布界隈に米軍のB29から焼夷弾が落とされ,大勢の人々が亡くなった。この夜の空襲は「山の手空襲」と呼び、3月10日の「下町空襲」と区別している。

表参道交差点の安田銀行(現みずほ銀行)の前には、犠牲になった人々の遺体が幾重にも重なっていた。翌朝、日本軍の兵士がやってきて、遺体をスコップですくい、トラックの荷台に投げ入れていったのを人々ははっきりと記憶している。

毎年、夏になると、戦地で亡くなられた方々のことは話題にのぼるが、食べたいものもガマンして本土を守った非戦闘員が空襲で命を落とした事実にこそ、もっと思いを馳せるべきだと私は常日ごろ考えている。

この話はハニカムブログに少し書き、詳細は『ワシントンハイツ』第一章に記しているので、ぜひ読んで欲しい。

さらに興味のある人は、今日の慰霊祭に行かれることをお薦めする。場所は、表参道交差点LVMH裏の(信州の)善光寺別院である。

空襲で命を落とされた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。

図書館の日々

 返却日が過ぎていたのを思い出し、国際文化会館の図書館に電話して延期をお願いする。延滞金が発生するシステムはいかにもアメリカ的だ。

 最近、また図書館通いの日々を送っているが、改装が終わったら、つい都立中央図書館に向かってしまう。閉架ものも12冊引き出せるようになったし、開架ものは自分ですぐに確かめるので楽。国会図書館は3冊制限がネックである。