上賀茂神社では、橋殿にて、舞楽が奉納されました。これは「新年の祭事の締めくくりとして神様とともに行う饗宴の儀」というのようです。
エジプト、シリア、イラク、それに中央アフリカ、スーダン・・・。中東とアフリカでは紛争が絶えないというのに、日本はなんと長閑な正月だろう。週明けには日経平均株価が数百円上がりそうな予感がする。
1月4日は下鴨神社で毎年、蹴鞠初めが行われる。昨年は雪が舞っていたが、今年はなんと暖かいのだろう。昨年の経験によれば、最初に行くと混んでいるので、人々が飽きて去ったころの後半戦に訪れることにした。
だが、この暖かさ。人が減ることはなく、老若男女を問わず、カメラや携帯片手に撮影モード。後ろからでは手を伸ばすのがやっと。ピントをあわせるところまでは無理。まあ、雰囲気だけでも押さえて、立ち去ろうとしたころに、次回のブラジル大会で使われる公式ボールを用いて、蹴鞠にトライするとのアナウンス。人々がどっと押し寄せて、またまた私は群衆の後ろへ。
この計らいはブラジルのテレビ局の番組のため。蹴鞠はサッカーにつながることや、日本サッカー協会のマークが八咫烏であることにも関係している。ボールをたくみに扱っている青年は有名な選手らしい。アメリカのテレビ局が連れていたようだが、アナウンスからはよくわからなかった。

最後は甘酒で締め。ガールスカウトの女の子たちが甲斐甲斐しく働いていた。着物は赤地に黒と鼠の幾何学文様のお召。この後、八坂神社に行き、四条通の鞄屋で金色の馬のストラップを買ったところ、店員のお姉さんが「めずらしいね」と話しかけてきた。てっきり防寒用アザラシの草履のことかと思ったら、着物の文様のことだった。
神社仏閣がたくさんあって初詣に忙しい京都。家でお節料理を食べる人々とは別に、外で食事をする人も多いらしい。料亭や割烹は年末年始も営業していることに今年、気づいた。和久傳もそのひとつだ。
私は、お年賀を送るために出向いたのだが、次から次へと人々が訪れる。奥で夕食を取る人、2階で茶菓を楽しむ人、私と同じように、お年賀を買う人、などなど。和久傳クラスだと店のお正月ごしらえも見習うことが多い。とりあえず、餅花の下でパチリ。
お食事にきたわけではないので、はんなりも大げさだし、さりとて正月なのだから地味な着物もそぐわない。というわけで、選んだのは、春の香りのする黄色地の紬ちりめん。帯は誉田屋さんのゴールドの倭布。軽くて締めやすい。帯揚と帯締は桜色。いまのところ、毎日きものを実践している。
無事に新年を迎えられたことに、感謝。今年も人類が試されそうな天変地異の予感はありますが、どうぞ皆様ご無事で、健やかな一年をお過ごしくださいますように。
さて、初詣は大好きな上賀茂神社へ。お正月の間は、だれでも本殿まで近づいて参拝ができますので、おすすめです。中門に飾られたこの宝船の下を通ると、1年間無病息災、運気アップとの評判。
お神酒もふるまわれます。写真は、自宅用に購入したお神酒。金粉入り。枡の裏側には上賀茂神社の神文二葉葵が描かれています。
天気予報では、にわか雨とのこと。着物は訪問着や付け下げを避け、羽子板文の小紋を着用、松竹梅の帯を締めています。コートは元旦の今日が初お目見えです。ワインというより実際はチョコレート色なのですが、黒でない和装コートは貴重です。京都の寒さには、カシミア100でないと、耐えられません。ちなみに、草履もアザラシの毛皮。
朝9時前に錦市場へ。まずは三木鶏卵の厚焼き玉子。すでに、ものすごい列。しばらくすると、整理券に変更。早い行って、よかったあ。
次に、つきたてのお餅を購入。京都の御雑煮には丸もち。鏡餅。星付さん4つ。星付さんとは、水回り用のお餅です。そのほか、かまぼこや野菜などを購入しつつ、つい鱧の天ぷらを食しました。このところ、錦市場にくるたび、食べてしまうのが、魚力さんの鱧の天ぷら。お持ち帰りには3本買わねばならないので、1本だけ立ち食い。観光客と同じパタンです。
中央郵便局で12月31日消印有効の書類を提出。そのあと、上賀茂神社に向かい、大祓と除夜祭に参列。写真が撮れるポジションではなかったのですが、概ね、夏越の祓と同じ。人形を一枚一枚、ならの小川に流します。16時はまだ明るいので、焚き木はありません。そのあと、除夜祭の神事。あたりは暗くなり、闇の中、二葉葵の提灯で足元を照らされながら、摂社末社に感謝のお参り。私たちも、そのあとに続きます。
和久傳にて予約しておいた「春の肴」をピックアップ。家に持ち帰り、八坂さんへ朮詣り。昨年、夜中に出向いて、とんでもない目にあった私。23時になると、入場規制をかけられるのを知らなかったのです。四条通いっぱいに若者が集い、待っている間、長いし寒いし・・・。だから、今年は20時ころに向かったのでした。とはいえ、朮火を縄に移して持って帰るには家まで歩かねばならず、そのあとではお蕎麦屋さんが混むことは明白で、ならば先に年越しそばを食そうと南座に行ってみたけれど、すでにすごい列。途中の八雲で出雲そばをかも南蛮で。21時ころに再び境内へ行ってみると行列が。何に並んでいたかといえば、朮酒のふるまいで、これが美味。いわゆるお屠蘇のようで、どうやら、その配合に意味があるらしい。
帰宅後、火をどうにか縄からろうそくに移し、少しだけ紅白を見て、23時半過ぎに、六角堂で除夜の鐘つき。いきなり大粒の雨には閉口しつつ、これで厄落とし完了です。
今年は秋から風邪に悩まされました。新年は健やかに過ごせますように、と祈りつつ。
東京では耳鼻科を訪ね、おびただしい種類の薬を与えられた。朝一とか就寝前とか飲むタイミングは違うのだが、飲み分けのタイミングは、頭がウニになりそうなほど複雑だ。父が生前、いろいろな種類の薬を渡されていたが、どれほどわずらわしかったことか、今回、初めて理解できた気がする。
京都では前回と同じ呼吸器科の医師を訪ねた。血液検査の結果、抗生剤を点滴してもらうことになった。CPRの値で、菌と闘っていることが証明されたからだ。なにより、胃があれて嘔吐し、薬も流れてしまうなら、点滴のほうがありがたい。
嘔吐について尋ねた。やはりクラビットによる副作用なのだという。6日の夜はうかつにも、ワインを口にした。それまで酒を控えていたのに、油断したのだ。京都に医師によれば、お酒によって、副作用が出ることはあるのだという。薬局の説明書きには副作用としての嘔吐は言及されているが、飲酒を禁じるとは書いていなかった。この責任は大きいと私は考える。
それにしても、2か月で同じ症状を繰り返すなんて、抜本的に治す方法はないものかとも訊ねてみた。私の鼻が過敏になったか、最近の空気汚染に問題があるか、などなど。医師によれば、若くないのだから、十分な睡眠をとる以外に治癒の方法はないのだという。今日は原稿を書くつもりだと話せば、1時間ずつでもいいから間に睡眠をとることを勧められた。
で、横になったら、あらら、2時間経過。やはり睡眠が足りていなかったのかしらん。
昨夜、早々に眠ったのが功を奏し、少し楽になっている。楽書会書展へと向かう。
今年は最澄の「久隔帖」を臨書した。京都に来たら、どのお寺も天台宗で驚いた。比叡山の御膝下なのだから、当然といえば当然だが・・・。久隔帖は最澄から空海(体裁は弟子の泰範)に宛てた尺牘手紙。国宝。冒頭の「久隔清音」から「久隔帖」と呼ばれる。
昨日の体調では、和服を着る気力をもてるかどうか微妙だった。書展へは着物で行くと決めているのに、である。しかも、今年は仕立てたばかりの母のお召を着ようと張り切っていたのだ。赤いお召は洗い張りにした後、丸められた状態で、ガンガンの中で眠っていたものだ。赤は私の好みだが、この幾何学が初心者には難しい気がして、最近まで手を付けなかった。だが、この矢絣の襦袢を三越のセールで手に入れて、急きょ仕立てたくなったのである。
ところで、1941年12月8日は真珠湾攻撃の日。ハワイ時間では7日日曜日の未明。カリフォルニアでは朝9時55分だった。これを機に、西海岸の日系人の運命が大きく変わる。やがて収容所送りになるのだ。日米関係を知るうえでも、大国の思考回路を知るうえでも、日系人について私たちは知る必要がある。詳細は『スウィング・ジャパン:日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶』をご高覧くださいね。
未明に起きて、朝一番の新幹線で京都へ移動。富士山には少し雲がかかっていたのが残念。 二十四節気で、昨日は「大雪」。節気の初日は何か新しいことを始めるのにふさわしいのだが、鼻炎から気管支に菌が入って、咳こんで終わった一日。抗生剤のせいで胃があれたのか、昨夜は嘔吐して、最悪の事態。
京都では、東京からやってきた編集者と会う。しかし、鼻を襲っていた菌が気管支にやってきて、声が出ない。うまく話せない。寒気も覚える。家でおとなしくしたほうがよさそうだ。本当は石川九楊塾楽書会の書展に顔を出すつもりだったのだが。寝不足のまま新幹線に乗ったのが敗因。今日は十分な睡眠をとって、しかし、明日悪化していたらどうしようと不安でもある。
一昨日の仕事の続きで、六本木界隈を歩く。普段、見落としているものをいろいろ発見して楽しかった。ロアビルの中にも久しぶりに入ったが、エレベータから見た風景が新鮮。
鼻かみすぎの鼻の下ガビガビ状態は、皮膚をピーリングして、どうにか乗り切ったつもりだが、アップにされたら、どうかなあ。
ところでNHKBSの海外ニュースによれば、ソウルの空気汚染はかなり深刻だ。中国からのスモッグが街を覆っている。キャスターがマスク着用を呼びかけている。成分を分析すると、硫酸塩と硝酸塩。キラリと光るのは鉛などの金属なのだそう。日本にも届いているのだろう。私の鼻炎も、この影響かもしれない。
某雑誌の仕事で、皇居のまわりを歩く。鼻のかみすぎで鼻の下が真っ赤だった状態から、薄いかさぶた状態へ。大丈夫かなあ。
最後に三宅坂に向かった。永田町・霞が関一帯に響き渡る国会前のデモの騒がしさに驚く。太鼓の音を騒音と呼ばずに何と呼べばいいか。石破幹事長がデモと呼んだ理由はこのあたりにありそうだ。このくらい音を出さないと、テレビで取り上げられないということを計算しているようだった。日没前に参列しているのは、幟などから判断するに、労組など組織に動員された人々や、退職された世代=学生運動を知っている世代なのだろう。実際、夜になれば勤め帰りの人も加わるのだろう。