会田雄亮先生を偲んで

陶芸家の会田雄亮先生が旅立たれて半年余。京王プラザに集い、先生を偲びました。私も発起人と一人として。

鳥居ユキ先生のコレクションのたび御一緒して、その後のレセプションで、世界情勢についてお話させていただいた日々が懐かしい。包容力のある笑顔にあまえて、つい生意気な発言もしたことも思い出し、少し反省。富士山のふもとにあった工房にご招待いただき、陶芸初体験も。手ひねりで、お茶入れ、墨床、筆置きを作成させていただきました。

会田先生はその美しい容姿から、ネスカフェCFの「違いがわかる男」にも起用され、茶の間の女性たちは皆とりこになったよう(私はさすがに幼かったので記憶になく)。機会があれば、京王プラザ正面玄関の陶壁をごらん頂ければ幸いです。その他の作品はHPで。http://www.yusukeaida.co.jp/

おしどり夫婦だっただけに、残された奥さまが心配。

 

 

橋之助丈、襲名おめでとうございます

橋之助丈の八代目芝翫襲名の祝宴に伺いました。息子さんとともに、親子4人襲名。ステージに上がった4ショット、美しかったあ。

三田寛子さんとのご縁で会場にはせ参じたのですが、妻として母として、少し緊張されていた風。3人男の子をこんなに立派に育てて梨園の妻の鑑ですね。

総勢2300人と大盛況で、どんな和服も埋没してしまうほど。詳細は「きもの適齢期」へ。HP右上のKIMONOをクリックしてみてくださいね。

黙祷を! 山の手空襲から71年

昭和20年5月25日、71年前の今日は、4度あった山の手空襲の最終日。渋谷・原宿・表参道を含む東京各地にB29から落とされた焼夷弾の数は、3月10日の2倍だったといわれています。

表参道交差点の「山陽堂書店」に逃げ込んだ人、青山墓地に向かった人は無事でした。けれども、安田銀行(現みずほ)を目指した人、明治神宮に向かった人は、犠牲となっています。その様子は『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第1章に詳しいので、ぜひご高覧ください。

表参道に焼夷弾が落とされたのは22時22分頃。せめて黙祷を。毎年、犠牲になられた方々に思いを馳せることが供養だと考えています。

菖蒲のある風景@洛中

IMG_6638 炭屋IMG_6636今日は端午の節句。菖蒲のある風景@洛中。

IMG_0768

端午の節句に菖蒲湯はマンションで暮らす私も実践していますが、実は菖蒲で屋根を清めるのが日本の風習でした。

洛中の老舗旅館ので、それが確認できます。柊屋さんと炭屋さんの2軒のみ。今年は風が強く菖蒲が一束、下に落ちていました。勝手に載せるのも失礼なので、そのままカメラに収め・・・。

炭屋さんのt隣のビルの上に鯉のぼりが泳いでいるのは、今年の新発見。老舗旅館は頑張っていても、周囲がビル化しているのも京都の現実。

屋根に菖蒲のルーツは、上賀茂神社の競馬会神事で確認できるのですが、それは別項で。

 

 

端午の節句展@重要文化財・杉本家住宅

昨日は杉本家住宅を訪れ、京商家の五月人形を拝見しました。江戸時代の武者ではなく、明治期の人形飾りは応神天皇を中心に据えているのが特徴。歴史好きにはたまりませんね。「端午の節句」展は4日まで。興味のある方はお急ぎください。綾小路新町西入。四条烏丸駅から歩いてすぐ。写真

帯が八咫烏なのは、上賀茂神社の「賀茂くらべ馬・足沙式(あしぞろえしき)」を観てから、洛中に移動したため。馬の写真は後ほど。