生活保護は現物支給で

医療費免除の生活保護被支給者が、自由診療で歯の治療を受けるのだと聞いたことがある。こういう患者の情報は役所に申告するよう医療機関を促すべきだ。

私自身、日本の生活保護制度を見ながら、何度も考えたことがある。若いうちに使うだけ使って、一文なしになるほうが、老後はよっぽど楽なのではないか、と。家賃もかからず現金をもらえるのなら、他人には生活保護だと人に悟られることもなく、優雅に暮らせるだろう、と。

生活保護が必要な人はいる。しかし、一律に多額の現金を支給するのは筋が通らない。病気がちの高齢者とか、子どもをたくさん抱えている母や父こそ救われるべきなのである。

受給者と決まれば、住居費、交通費、医療費は無料だから、健康な成人へに対しては、現物支給が望ましい。米国のフードスタンプ制度にならい、食費などは配給券で支給。洋服や雑貨は領収書を行政に提出して、その分を現金で受け取るようにする。配給券で手に入れるのは恥ずかしいし、申告は煩雑で面倒だ。だからこそ、楽して生活保護を受けようとする人を減らせるのではないか。棚ぼた式に現金を手に入れるの慣れることで、次第に人々は働く意欲さえなくなるものだ。もちろん、健康でない人は、これにあたらない。特別枠を設けるべきだ。

子どもについても、給食費、制服や体操服、靴、文房具、それに遠足費などは配給券にすべきだと思う。そうすれば、親が現金を使い込むこともない。

本来、どんな家庭に生まれても、日本国民たるもの、公教育は無料で受けられるようにすることこそが、子ども手当てであると私は考える。勝手に私立に通わせる財力のある家庭にまで、現金を配る必要は全くない。他方、働くママのためには、各駅に保育所を設けるなど、税金はそちらに投じられるべきなのである。

税金はまじめなに頑張っている人を応援するために使われるようにする。それを確約すれば、増税も受け入れられるはずだ。野田先生、ツボはそこなんですけど。

みのもんたさん、鎌倉山から妻を送る

泊まり込んでいた「新潮社クラブ」を出て、喪服に着替え鎌倉へ。自分が両親を送り出して以来、お別れの儀式にはできるだけ参列することに決めている。

向った先は、みのもんたさんのご自宅。いくら豪邸でも数百人の弔問客が入るものだろうか、などとは杞憂にすぎず、御法川邸の延長でもある公園のような敷地は、十分すぎるほど広かった。靖子さんが大好きだったそこからの風景から送り出したい、とはお嬢さんからの提案だったというが、江ノ島を望み、光る風を受け、鶯のさえずりを聴きながら、マイク越しに曹洞宗の読経と弔辞を拝聴するなどとは、弔問客の立場でもそう経験できることではない。

気丈に振舞う、みのさんが痛々しくもあり、しかし、喪主の挨拶はすばらしかった。故人を存じ上げている私は、涙が止まらなかった。靖子さんは気配りの人。ご自分の最期を覚悟して、家族に残されたことの数々は、どれも心を打つものばかり。来週後半に、ブログにしたためるつもりだ。靖子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

新潮社クラブにて

単行本書き下ろしの場合、初校チェックが思いのほか苦しい。「新潮社クラブ」で泊り込んで集中させてきたが、明日は自宅に戻り、喪服に着替え鎌倉へ行く。みのもんたさんの奥様の告別式に参列するためだ。

青葉若葉が貧しいこの季節に、庭の草木を見ると目が休まって、集中力も高まる。昭和の家屋で旅館風のこのクラブでは、過去にも著名な作家たちが執筆をしてきた。ここに篭らせてもらえること自体、そうした先生方の仲間入りをした気分で、ちょっと嬉しくなる。

それにしても、庭のもみじの成長の早いこと。滞在している間にも、どんどん背が伸びて、葉が生い茂っていく。太陽の電磁波が強いんだろうなあ。金環日食やスカイツリーで喜んでいるのもつかの間、ものすごい天変地異が起こらないといいのだが。

5月25日は「山の手空襲」

1945年5月25日は、4度あった山の手空襲、最後の日。渋谷原宿表参道をはじめ、東京各地にB29から焼夷弾が落とされました。その数は、3月10日の下町空襲の2倍と言われています。

表参道交差点の「山陽堂書店」に逃げ込んだ人々、青山墓地に向った人々は無事でした。けれども、安田銀行(現みずほ銀行)を目指した人、明治神宮に向った人々は、犠牲になっています。その様子は『ワシントンハイツ』第一章に詳しく書きました。をぜひ読んでください。

表参道に焼夷弾が落とされたのは22時22分ころ。このブログに立ち寄られた方は、せめて黙祷を。毎年、思い出すことが最大の供養と思っています。

カーネーション母ある人の笑み眩し

カーネーション母ある人の笑み眩し

母がこの世を去ったのは私が39歳のとき。以来、母の日が来るたびに、言いようのない淋しさに襲われる。赤いカーネーションを見るたびに、やるせなくなる。母の日商戦にも苛立ちを覚えたことさえあった。

大人の私でもそうだったのだから、幼少期に別離を経験した人にとっては、年に一度の母の日がどれほど酷な存在だっただろう。それに気づいたのも、自分が失くしてからのことである。

だから、最近、もしくは若くしてお母さんを失くした人たちに提案したい。母の日には、静かに、手を合わせて、たくさん、たくさん、お母さんを想いだそうね。辛くても、淋しくても、思いをはせることが一番の供養だから。

ヴィダル・サッスーン

ヘアカットに革命を起こしたヴィダル・サッスーンが死去。

私が90年代に長かった髪をばっさり切ったのは、ショー招かれたとき彼がカットを約束したからである。担当したのはショーに出ていた日本人弟子。驚いたことに、カットに1時間半も費やした。頭蓋骨の触りながら、その形にあったスタイルを編み出すためだった。

現在は、元サッスーンのスクール校長だったイギリス人に、カラリングとカットをお願いしている。カラリングも3色駆使して、髪の流れを強調してくれている。

ヤツデの巨大化

この数日で、ヤツデが急成長している。庭やビルの谷間にも生えているので、注意して見てね。新芽の葉っぱが異常に大きくなっているのに驚きますよ。これは、放射能の影響なのか、太陽磁気が強くなっている証拠なのか。私の髪と爪も伸びるのが早まっているので、太陽のせいとみるべきでしょうね。

東ティモール独立十周年

東ティモールがインドネシアから独立しての十周年イベントとして、ディリ・マラソンが開催される。マラソンランナーの有森裕子さんが育てた現地の子どもたちの頑張り、楽しみだ。

インドネシア政治の専門家としては、東ティモールの昨今が気になるところだが、今月は次回作の初校直しに缶詰状態。現地での観戦はあきらめです。

サルコジ敗北

フランスの大統領選、サルコジの敗北ですか。やはり世界は社会主義に向っているのかもしれません。ということは、オバマも再選される・・・。ロムニーが勝つとは考えにくい。これまでの世界システムが変わる過渡期にあるのでしょう。

日本国憲法誕生の経緯

昨日は憲法記念日。メディアでは昨日から憲法論議が盛んだが、まずは日本国憲法がどうやって誕生したかを知る必要がある。

その入り口として、『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第6章「かくて女性たちの視線は」を読まれることをお勧めしたい。草案を書いたスタッフの紅一点、ベアテ・シロタさんへのインタビューを軸に、憲法草案に女性の権利を盛り込まれたドラマを書いている。おぼろげながら、そこから見えてくるものがあるはずだ。

天皇の扱いはマッカーサーが一方的に決めていたという。その裏の裏にどんなシナリオがあったかは誰も明らかにしていないが、GHQの現場スタッフがどういう使命を与えられ、どう動いたのか。その空気は十分に伝わるはずだ。日本の為政者たちと国際社会の温度差も読み取れると思う。日本の政治家が外交戦略をもてないのは、当時も現在も変わらないということだ。

占領軍の書いた憲法なんて、すぐに改正されると思っていたーー。憲法草案を書いたGHQスタッフの一人は、そう語っていた。それが60年以上も続いたのはなぜかを、一人一人が考えてみる価値はある。