いのちを守る「緑の堤防」2

宮脇昭先生の「緑の堤防」構想について、もう少し補足したい。

先生によれば、海岸沿いに森を作る際、瓦礫を入れて盛り土を作ることが可能なのだという。瓦礫さえも土の中で自然に帰るというのである。実際ドイツでは世界大戦のときの戦車を土の中にいれて植樹された森が存在するのだそうだ。

報道は原発と被災者に集中しているが、実際、現地では産廃業者が多く入り、それ自体、ビジネスとして激しい競争が展開されているという。さらには、復興景気を狙って、ゼネコンを中心とした業者が乗り入れ始めていることは想像に難くない。

宮脇先生の植樹構想は、経費がかからないのである。裏を返せば、どの業者も儲からない。だから、盛り上がらないのが実情だ。

経済復興も大切だが、瓦礫さえも呑み込んで森を作るという、未来型の発想に「はじめの一歩」を踏み出すことのほうが、国際社会で尊敬されるメッセージであるにもかかわらず、その一歩が踏み出せない日本政府が情けない。

いのちを守る「緑の堤防」 東北から世界へ

「サンデーフロントライン」で復興策を提言したが、時間が限られ、コメントは短くというのが原則なので、ブログで補いたい。 

「緑の堤防」構想は、世界で4万本の植樹を指導してきた横浜国立大学名誉教授の宮脇昭先生が提唱されている。宮脇氏は鎮守の森の価値を説かれている生態学の専門家だ。政府はぜひ、宮脇先生と組んで、これを実行に移して欲しいと私は考えている。国民の多くが賛同し、政府を動かせることが理想だ。

今回の震災で私たちは津波の本当の恐ろしさを知った。コンクリートの堤防だと跳ね返され、かえって、その威力は倍増するのだ。しかし、「緑の堤防(=森)」を築けば、津波が木々の間を抜けるために威力は半減する。その間に人々は逃げる時間が稼げるし、水が引くときにも森に引っかかって、海にもっていかれない。今回、松が流されたのは、松は根が横に広がり、浅いからである。しかし、タブノキなら、砂地でも根がまっすぐに深く伸びるので波に負けない。三陸海岸に合った木を植えればいい。

なぜ政府か、といえば、これを「国民植樹プロジェクト」にする必要があるからだ。私自身は宮脇先生の指導される植樹祭に参加して、感動したことがある。先生の指導の下、必死で目の前の苗を植えていくうちに、知らない人たちとも不思議な連帯感が生まれ、涙が出るほど心を揺さぶられる。日本人がひとつになる好機になる。

なにより、植樹を通して被災した人々の心が癒される。木々が成長する過程を見て、自分も前に進もうと思える。子どもたちは、自分が苗を植えた森を誇りに思う。自信がつく。全国から集まった人々も、東北への愛着がわく。ずっと復興を応援しようと考える。

震災以来、東北は世界一有名な地域になった。植樹祭は間違いなく、世界中でニュースになる。美しい景観は将来、東北の観光資源になるのである。

息の長い復興のために、シンボルが必要だ。津波にも強い「緑の堤防」プロジェクトは、その役割を担うことができる。しかも、苗は数百円で済むのだから、コストが低いことも魅力のひとつだ。全国からの参加者が参加費を払えばいい。ただ義援金を送るよりも、ずっと付加価値が高くて達成感がある。財源など捻出せぬとも、国民を束ね、世界の注目を集め、政府の汚名挽回、支持率を上げる唯一のチャンスとなるはずである。

追伸:植樹祭について書いたコラムは→https://www.akiosatoko.com/wps/wp-content/uploads/2010/06/post05.jpg

東京に津波が来たら・・・@地下鉄

私は東京の津波を心配している。地下鉄は大丈夫だろうか。 

地震が起きると東京の地下鉄は自動的に止まる。携帯で地震警報が鳴っているときには、地下鉄はすでに止まってしまい、怖い思いをしたと友人が教えてくれた。それも、駅のホームではない。線路上に停まるのである。しかも、真っ暗。怖い。その間に、津波が来たら、どうなるうのだろう。 

水が入ってくる。駅ではないから、逃げられない。せめて駅まで移動してくれないと、電車から出られない。津波が来るまで30分。間に合わない。地上に出るだけでなく、ビルの4階まで駆け上がらねばならないのだ。どうすればいいか。

 今日、東京都庁に電話をしてみたのだが、津波対策には手をつけていない模様。港区は考え始めてはいるが、区民に知らせるには数ヶ月かかるという。次の仕事のために時間切れになったので、週明けにもう一度、都庁に大江戸線の対策について聞いてみるつもりだ。もちろん、営団地下鉄にも電話する。これを読んだ人にも電話してほしい。問い合わせ件数が多ければ、彼らも考えざるを得ない。

想定外と言われて泣くのは都民の私たち。自然をなめては駄目。謙虚になって万全を尽くしましょう。

エンジン01チャリティ@サントリーホール

ただ義援金を日赤に振り込むのも、違うような気がしていた。もう少し落ち着いたら、各市町村の口座に直接振り込みたいとは思っているが、もっと体力知力を使って、何かをしたいと考えていた。だから、エンジン01で何かを、と働きかけていた。

昨夜、サントリーホールで開かれたエンジン01のチャリティコンサート&バザーは、そんな会員の思いが形になったものである。私は音楽家ではないので、コンサートではなく、チャリティバザーに、サイン本販売と、「おむすび隊」に参加した(その写真は届いたらアップしますね)。山本マスヒロさんを中心とする「おむすび隊」は東北へも出動するので、詳細はまた書くことにしたい。

一口にチャリティといっても、裏では、手弁当で髪振り乱して泥臭い場面がたくさんある。そのプロセスが実は面白く、また達成感がある。次は、もっと具体的に、東北の人々に役立つソフトとともに、支援できればと考えている。

東京コレクション

鳥居ユキさんが東京コレクション50周年の今年、本当は大きなショーになるはずだったのだが、震災を受けて、ご自身のアトリエで粛々と開かれた。

でも、内容は可憐。つい自粛モードに入ってしまうが、日本人は元気を取り戻すとき。ネガティブエネルギーをポジティブに変えるには、おしゃれをするのが一番早い。明るい色を着て、街に出よう。

昼間は石油に代わる新しいエネルギーについての会議にオブサーザーバーとして参加。これについては、後日、詳しく書こうと思う。

カウンセラーの被災地報告

震災から1ヶ月が経ち、被災者の方々の心労が気になる。非力な私だが、現地でいろいろ話を聞くというのなら、できるかもしれない、カウンセリングのプロなら、もっといいだろう、などと考えていたら、妹尾まみさんからメールが届いた。カウンセリングのボランティアに行った様子と現地のニーズが書かれているので、紹介する。

東京や神奈川に避難している親戚や友人で、カウンセリングが必要な場合は、ぜひご連絡を。まずは報告から。

【妹尾まみさんのボランティア報告】↓

11日から15日まで、陸前高田にカウンセリングのボランティアに行って参りました。初めてのボランティア体験でしたが、たくさんの方々のご支援に恵まれて、貴重な経験をさせて戴きました。
ボランティア難民にならないように、自己完結可能な完全装備で臨みましたが、一関のレスパイトハウスハンズさんから全面的にバックアップをして戴けたおかげさまで、野宿せずに助かりました。
レスパイトハウスに泊まらせて戴きながら、連日平均約150キロ、ボランティアチームの車に便乗させて戴いて、陸前高田の避難所や、障害者宅の訪問に同行することができました。
陸前高田には、大小合わせて60ヶ所くらい避難所がありました。道路の瓦礫はほとんどかき分けられていましたが、まだ寸断されているところもありました。軽自動車しか通れないような未舗装の道もありました。水道水が復旧していないところがほとんどでしたし、お店はほとんど開店していませんでしたが、避難所の救援物資はかなり豊富に積み上げられていました。一方では、毎日届く救援物資の仕分けがたいへんそうでしたし、家屋倒壊を免れた在宅の方々は、配給場所まで水などの日用品を取りに出かけなければならないのが、たいへんそうでした。
ご家族を亡くした方々が中心になって、ボランティア活動に取り組んでいらっしゃったのには驚きました。
行政が統括したがるくせに、全く機能していない と、同行の障害者支援スタッフも、怒っていました。
カウンセリングのニーズはあるはずなのに、今回は自分の車で移動できなかったため、ゲリラ作戦を実行できず、考えていたほどの活動ができなかったのは、とても残念でした。
でも、今回の経験を活かして、できれば再度お役にたてる機会を作れるように、これからも頑張って行きたいと思いました。
今、被災地で必要とされているのは、瓦礫撤去のための若い男性のボランティアと、作業つなぎ、角型スコップ、大きな熊手、土のう袋のようです。
現在、どの避難所にも、カップ麺や缶詰などがたくさんありますが、長期間食べ続けるには心身の健康を害する恐れがあります。お米も届いているようですが、調理が難しいようなので、チンご飯(湯煎可能)の方がよろしいのではないかとも思いました。
キャベツは、手付かずで腐り始めているところもありました。トマトも届いていましたので、ドレッシングがあればいいのだろうなぁと思います。私は鮭フレークや梅干し、レトルトカレー、乾燥ワカメ、液状味噌、コンソメ顆粒を持参して、重宝しました。水道水は使えませんが、飲料水は自衛隊が定期的に給水車で巡回していました。
大人用のテープ止めタイプの紙オムツのスーパービッグサイズも不足していました。
ろそろ夏物衣類や、蚊対策も必要になって来ます。
被災地の状況やニーズは刻々と変わっていきますが、各人ができる時に、無理なくできる程度のことを実行し続けていくことが、一番求められているのだと思います。
もしも余裕がある方は、一関のレスパイトハウスハンズの小野会長0191315720メールはhands@guitar.ocn.ne.jpもしくは、東京から物資支援運搬ボランティアを続けている江戸川ライオンズクラブの坂本ジュンノスケ(私の友人)09032033323メールはpink-himawari.h6974h@docomo.ne.jp、ニーズを確認の上、贈って戴ければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。  (←妹尾まみさんの報告でした。連絡先は↓)

「mami’カウンセリングルーム」→http://members3.jcom.home.ne.jp/mami-counselling-room/  東京都練馬区上石神井1-38-15 サンハイム・フジ103
TEL 03-3929-3634 電話受付時間は平日の朝10:00~夜6:00

『ワシントンハイツ』7刷完成

お待たせしました。ようやく『ワシントンハイツ』7刷が完成しました。そろそろ店頭に並ぶはずですので、お問い合わせ頂きますと幸いです。

関心を持って頂き、ありがとうございます。

芽吹きが教えてくれた

なんだか、疲れた。震災疲れ。情報の洪水の中で溺れそうになりながら、一方で、今度は東京に地震が来るかもしれない、被爆するかもしれないと薄氷を踏むような日々を過ごして早1ヶ月。当事者でもないのに、この疲れはなんだろう。

でも、そろそろ気持ちを切り替えようと思い立つ。負のエナジーが日本列島に充満すれば、狙われる。あのときもそうだった。阪神大震災の2ヵ月後に地下鉄サリンが起きた。弱った日本をテロリストが襲った。

95年、関西テレビで仕事をしていた私は、現地にも赴いたし、スタッフも被災していた。神戸の人たちいわく「明日地震が起きても悔やまない人生を送ろうと思った」と。

それを教訓に一生懸命生きてきたつもりなのに、でも、生き延びたい自分がいて、最悪の事態に備えて準備を始めてしまう。一方で、被災者と何かを共有したい自分もいるのも確かだ。

募金もチャリティも、どこか自己満足な匂いも感じる。募金をするなら、各市町村の口座に送るほうがいいだろう。報道されるように、芸能人が避難所にやってきて、人々が元気になるのはいいことだ。天皇皇后両陛下がお見舞いされるのも意味がある。いま私が行っても、足手まといなのは見えている。

かといって、日本のオーラを出すために、せっせと和服を着て記録する私も、自己満足だ。自分を元気にするためだけかもしれない。被災地のために何もできていないのに、でも、どこかで地震にも放射能にも免疫が出来て、少し前に踏み出せそうな気もしているのだ。

そうつぶやいている間にも、桜の枝には葉が出て、我家の楓も芽吹いて花を咲かせ、着々と成長している。この生命力を見習わねば。

震災から1ヶ月

「戦時体制と同じじゃない」

震災の翌日だった、友人がそうつぶやいたのは。実家の近くで小学生が防災頭巾をかぶっているのを見て、そう感じたというのだ。

やっぱり来たんだ。巷で言われるように、地球に大変動が起きるという説が、いよいよ始まったのだ。そして、それが人類にとって大きな試練になることも、どうやら現実になるらしい。

しかし、なぜ日本が最初なんだろう。それが私たちの最初の疑問点だった。ほかの国の事例がないまま、日本人の力量が試されることになった。よりによって、民主党政権の折に。

友人の直感は当たった。二転三転する計画停電や日々報じられる放射能の数値に振り回され自粛しながら、爆発しないとも限らない原発の恐怖に怯えるなんて、65年前と同じではないか。サイレンのたびに防空壕に入り、大本営の発表を疑いながら耳を貸していたあのころ。テレビや携帯の地震予報のたびに身構え、東電や保安院の発表する数値に怯え、政府の発表を疑いながら、水や食糧の備蓄に備えている私たちの日々は、当時の日本と変わらない。

原発をもつことは、戦争を始めることと同じなのだ。なのに、破損して「見えない敵」と化した原発と戦えるだけの武器も作戦も持たずに半世紀も過ごしたことに、呆れ返るばかりだ。せめて無人で操作ができるロボットくらいは開発されているものだと思っていた。

私は戦争には反対である。原発にもアレルギーがあった。同じ匂いがしたからだろう。問題は、具体的にどう危険で、それが戦争に匹敵するものであることを、私は具体的に調べて反対しなかったことである。チェルノブイリもスリーマイルも、対岸の火事で見過ごしてきた。福島とどこが同じで、どこが違うのか、あわてて調べ始めている自分も罪人の一人ではある。

もしも私たちにチャンスがあるとすれば、発想の転換しかない。これまでとは全く違うシステムを構築することだ。大自然に対して、謙虚な生き方。この2年、経済が落ち込んでも、その先に人々を幸せにする生き方。それをどうみつけるかである。一瞬、不安になるかもしれないが、これから地球全体が天変地異にもだえ苦しむのだから、日本が先に新しい生き方を提示すればいい。そこに気づくことが求められている。

都知事の正論が心に響く夜

19時半ころに投票所に出かけた。ぎりぎりの投票に誰もいないと思いきや、その時間帯に訪れる人が少なくない。足腰の不自由な妻の手を引きながら、いつも近所で見かける顔のおじいさんが入っていくのも見た。なるほど、20時まで開けるのは意味があると少し嬉しくなった。

ところが、家に戻ってみると、地上波でもBSでもニュース番組が一斉に、20時には石原知事の当選確実を報じている。なあんだ、自分が投じなくても、もう結果は出ていたのか。わざわざ投票に出向いたことが阿呆らしく思えてきた。 

そんな私の気持ちを見透かしたように、石原知事の第一声は、早々に出口調査だけで当確を打ったメディアへの批判だった。立ち居地が都民に近いことに少し驚く。

 その後の発言は――。我欲を捨てよう。日本再生のために腰を低くしてスクラムを組みなおそう。なぜ一番ノウハウ持っている事務次官会議をやらないのかとチクリ。東京が少しくらい貧乏になってもいいが、東京は首都であって政府じゃない。国が復興資金の調達を考えないと。そして、一番説得力があったのは「パチンコ屋と自動販売機」が消費する電力は福島原発を消耗しているとの指摘だ。

 よくぞ言ってくれたと思った人は多いはず。街がこんなに暗くなっているのに、パチンコ屋だけ眩しく賑々しいことにずっと違和感があった。民主党政権だから業界に物申せないのだろうと勘ぐっていたが、石原知事は、1年に1000万キロワットとされる「パチンコ屋と自動販売機」の消費電力を、夏までに政府が政令を出して抑えるべきと指摘した。

 「パチンコ屋と自動販売機」の乱立は、日本に特異な光景である。そう考えれば、コンビニ近くの路上に何台も並ぶ自販機は1台動いていればいいし、駅のホームもKIOSKが閉まっている間だけ稼動すればいい。酒屋前のベンダーも店が閉じる前にオンにすればいい。パチンコ屋にいたっては、輪番体制にするなり、深夜営業に限定するなり、せめて昼間は明かりを消すか、お年寄りのために手動の台に限定する。東京都内のパチンコ業界は、期間限定で自粛すべきである。

 石原氏のスピーチは本来、総理大臣が発すべき言葉だ。菅政権がちゃんと機能していれば、石原氏が圧勝することもなかったかもしれない。しかし、民主党政権が誕生してその未熟さが露見した上に、非常事態宣言ひとつ出せずにうろたえるばかりで指導力も判断力もない現実を突きつけられてばかり。震災から1ヶ月を経てもなお、何のビジョンもないまま被災地を視察する総理大臣に、どうやって日本の明日を託せというのだろう。

 もちろん、これまでの石原都政にも問題はある。震災がなければ、小池あきら氏と徹底的に論争し、東京の将来について都民が熟考する必要はあった。だが、未曾有の国難においては、この老練な政治家の放つ正論がずっしりと重く、心に響くのである。