ハイビスカス柄の評判

今年の夏はあまりの暑さに20年前の服を引っ張り出して着ている。コットン素材で襟と背中が開いていて、ウエストだけ絞ったもの。学生時代に流行ったボヘミアンが復活しているのだから、ま、いいか。 

ところが、コレが思いのほか評判がいい。ヘアデザイナーのテレンス・コールマンさん、それに今日開かれたエンジン01教育委員会でも皆が褒めてくれたので、アキオ・コレクションのブログにアップ。

実は番組で借りた白地に赤にハイビスカス柄が気に入り、まずはそれを買い取って着まわした後、柄違いが欲しいからと香港のテーラーにそれを持ち込んで、ハイビスカスプリントを探して仕立ててもらったもの。当時は日本社会で派手な印象を与えたかもしれぬ、このプリントの色あいが、今年風なのだと思う。

アボカドスイーツ

ジャカルタのアボカドスイーツが恋しい。

アボカドジュース、JCOのアボカドドーナツ・・・。

日本に戻ったら、アボカドジュースを作るつもりだったのに忘れていた。テレビでメキシコのアボカドスープの映像を見て、突然、思い出した。

沈没

くだらない。スケールの小さな権力闘争だ。それを日々、大メディアが追いかけて報じている。経費とエナジーの無駄遣いだ。 

日本をどうしたいのか。それぞれのビジョンを語って代表を決めればいい。ただでさえ、政府の無策が腹立たしいのに。

歴史的に振り返ると、民主党は、日本をダメにするために誕生したといわれるのではないか。ああ、沈没する船に乗っている気分。

舞台

三越劇場に劇団若獅子公演を観にいく。池坊美佳さんが出演されているからだ。

顔も声も美しい美佳ちゃんは舞台栄えがする。おりょう役がかわいくって、初々しかった。

セーフウェイ

アメリカでサルモネラ菌の卵が原因で食中毒が起き、3万8千個自主回収となっている。

卵とあっては、どんな食品に入っているかわからない。迂闊にレストランにもファーストフード店にも入れない。そう日本人なら考えるが、こういうとき、アメリカの消費者はわりと悠然と構えている。鶏インフルエンザのときもそうだった。とりあえず、大手スーパーでは、対象となっている卵は取り替えることになっているようだ。

ふいに7年前から滞在していたワシントンDCのアパート近くにあったセーフウェイが懐かしくなった。最近はDC滞在の折にはもっぱらトレーダー・ジョーズびいきの私だが、当時はここで食糧を調達したものだ。大きな肉がゴロゴロ入って安売りされている肉売り場のすぐ側に、卵が置かれていた。

そんなことを思い出していたら、宮里藍さん快挙のニュースが飛び込んできた。セーフウェイ・クラシックと聞いて、びっくり。ロゴを見れば、たしかに、あのセーフウェイだ。冠イベントをするほどの企業だったのである。調べてみたら、なんと全米2位。メリルリンチ系と知って、納得した。

東京オリンピックのころ、住友商事と提携して日本にも進出しかけたという。詳しいことはわからないが、紆余曲折あってセーフウェイにはならず、後にサミットストアとして開店したらしい。

軽い熱中症

ジャカルタから中部国際空港に到着して、炎天下、祖父母の墓参りを試みたら、軽い熱中症になったらしい。こんなところで倒れたら、誰にも気づかれず死んでしまうのではないか。這うようにして管理事務所までたどり着き、ベンダーにすがるようにポカリスウェットのボタンを指で探し、しばらく横になっていたら、回復した。

それにしても、日本は暑い。ジャカルタよりずっと暑い。日傘なしで歩くことなかれ。本当に危険である。

スハルト札の価値

旧札が使えないからと中央銀行であるインドネシア銀行に出向いたのは二度目。昨年は空港に着いた途端、ルピア専用財布に入っていたルピア札が使えないと言われ、あわてて日本円を両替した。そして、インドネシア銀行に出かけたというわけだ。今回は、過去に両替して、封筒に入れたまま引き出しに入れていた分を持ってきた。 

職員の人懐っこさに驚く。使い古しを持ってくるローカルと違って、スハルトのピン札を持ってきたりするのだから、めずらしいのだろう。皆、仕事を止めて寄ってくる。日本人とわかると、なお熱心だ。何歳か。結婚しているのか。ジャカルタでは一人か。質問攻めに合う。日銀では考えられない光景ではないだろうか。 

現地では職員が寄ってきて、あれよあれよと作業が進み、逡巡している間もなく両替してしまったのだが、ピンのスハルト札は残しておいて、10年後に古銭屋に持っていくほうが良かったかも、と少し後悔した。事務的に裁断されるより、後にスハルトが再評価されたとき、インドネシアの人々が懐かしむことに意味があったやもしれぬ。スハルトの罪も大きいが、功も半端ではない。17日の独立記念日にインドネシア共和国の65年の歴史がテレビでフラッシュバックするのを見ながら、ふとそう思った。 

注)写真は19日の17時まで限定のハニカムブログにアップしています。その後、こちらに追加で掲載予定。

インドネシア独立記念日

8月17日はインドネシアの独立記念日。今年は65周年で特別のはずだが、ラマダン(断食月)と重なったところに複雑なものがある。

現地のジャーナリストは式典に呼ばれて、そのまま宴会に突入するのが通例だが、今年はラマダンなので、日没後、飲食が許されるころに集まるのだと話していた。

それにしても、街も村も大小あわせた紅白旗で埋め尽くされ、羨ましいかぎりだ。同じ紅白でも、日の丸に罪悪感しか抱けない教育を受けた私たち戦後生まれの不幸なことよ。

戦争の原因を天皇制や日の丸に押し付けるのではなく、為政者や組織がどう間違えたのかを早々に検証して、祖国や国旗を誇りに思える環境を創りあげないと、若い世代がますます夢を抱けなくなる。

アメリカは移民を受け入れつつ、星条旗に人々を束ねる役割を与え、アメリカ人であることのアイデンティティを築き上げた。日本も早晩、大量に移民が押し寄せる時代やってくるというのに、日本人は何を誇りにしたらいいのだろう。戦後、先輩たちが経済発展を心のよりどころにしてきたとすれば、政府は景気対策を早急に打つべきである。それが出来ないのなら、精神的支柱をどこに置くかを議論すべきだ。いずれにも無策の現政権の責任は大きいと考える。

母の死を乗り越えて

一年前に息を引き取った友人の墓に花を手向けた。59歳の若さだった。

ジャカルタのはずれにある霊園は、道路をはさんで、カトリックとイスラームに分けられている。イスラームの墓に手を合わせるのは初めてである。からだが横たわっているであろう長方形に芝が植えられ、頭部に置かれた墓石は黒御影。アラビア文字とローマ字が彫られ、ゴールドが施されている。花は黒御影の前に1箇所。胸から下の部分に花びらを蒔く。

イスラームでは死後24時間以内に埋めなければならない。その様子を撮ったビデオも見せてもらった。ぐるぐる巻きにされる様子は少し痛々しく、映画「おくりびと」が海外で受けた理由がわかった気がした。

3回も結婚して、母の人生は充実していたと思う。そう言う31歳になる娘と、友人の思い出を語りあった。彼女は映画の仕事に携りつつ、母の経営していた美容院そしてエステをしばらく続けるのだという。何か心配ごとがあっても、母の顔を見るだけで50%問題解決だったのに、いまは自分で決断せねばならない。母には他を圧倒するゴッドマザー的魅力があった。娘はその母のカリスマ性にはとても追いつかないと自覚しながら、こんなとき母ならこう言ったに違いない、と従業員のマネジメントひとつでも、シミュレーションをしてみるのだという。

私の場合は、母を失った途端、いきなり残された父と向き合わうことの難しさを突きつけられて苦しんだ。彼女の場合は、庇護してくれた存在を失っただけでなく、経営者としての試練が待ち受けていたというわけだ。

この一年、彼女は母の喪失感と闘いながら、しかし、母を思い出し真似てきたのだろう。父親似だったはずの顔が、次第に母と同じになりつつある。