『ワシントンハイツ』帯付、残りわずか

紀伊国屋新宿本店の文庫売り場を覗いたところ、『ワシントンハイツ』がまだ平積みで一瞬喜んだものの、あのペリドット色の帯がなくなっているのに気がついた。下のほうに2冊くらい埋もれている。その上に、追加された分が載せられたのだろう。最初に出庫された分が売れたと考えれば嬉しいのだが、帯がないと寂しくもある。複雑だ。

で、冷静に考えれば、世の中に帯付『ワシントンハイツ』がなくなるわけで、著者としても慌ててしまった。家に何冊残っていたか。保存版にせねばならない。

編集者に問合せたところ、帯付はもう、新潮社にも存在しないらしい。となれば、帯付の残っている書店の店頭で手に入れるしかない。

いつか買おうと思っていらした方、もしも帯に興味あれば、お急ぎください。

日本が原発大国になったわけ

いまこのブログに立ち寄られた方、ぜひNHKEテレで放送されている「原発事故への道程」後編「そして安全神話は生まれた」をご高覧ください。先週、前編を途中から見たのですが、ある研究会のテープによる証言などを通して、なぜ日本が原発大国になったかを綴っています。今日はその後編。

私自身、『ワシントンハイツ』文庫版あとがきで、短いスペースながら、駆け足で同じテーマを扱っています。それを裏付ける意味でも、膨らませる意味でも、この番組の映像やテープ証言に耳を傾けることに意味があります。

篭城できる備えを

どうやら道路は乾いているようだ。さっきまで雨が降っていたのに、乾きも早い。18時ころには、街路樹が大揺れで、折れたらどうしようと心配していたのに、いまは微動だにしない。この分だと、駅で足止めを食っていた東京の帰宅困難者たちも、電車が動いて帰れるかもしれない。ここまで書いたら、JR山手線が運転を再開したとニュースが告げている。

都会で暮らす人々はできるだけ動かず、コンクリートの建物の中に篭城するのが良い。たとえ潅水しても、いつか水は引く。だから、職場にも家庭にも、食べ物と水を備蓄しておくのが賢明だ。

私の場合、日持ちするものを買い占めて、断捨離の真逆を行っている。水害だけならいいのだが、停電にも備えているわけだから、その量たるや、凄まじい。

くわえて、数日前、写真を小分けしてジップロックに入れた。本当はスキャナーを買ってカードに収めればいいのだが、その暇がない。タッパーウェアの収納箱も大いに役立つに違いない。そう思って、着物用の長いのを買ったのだが、やはり桐たんすほどの威力は発揮しないとわかり、洋服を入れることにした。

濡れて困るものは、ジップロックに入れてスーツケースに収めれば、水害は免れると勝手に思い込んでいるのだが、地球の怒りには勝てないかもしれない。

とにかく人間である私たちが謙虚になり、命あることに感謝しよう。思いつくかぎりの備えをして被害が小さくなることをイメージする以外、なす術はないように思える。今宵は、福島などの被災地に激しい雨が降らないことを祈るばかりだ。

皇居前にGHQ本部ができた日

厚木に降り立ってからしばらく横浜に滞在していたマッカーサーは、9月8日に東京入城を果たし、再び横浜に戻ります。そして66年前の今日、9月17日に皇居前の第一生命ビルに引越しをして、そこをGHQ本部としたのでした。

百夜句会十周年

青山で開かれた百夜句会に出席。十周年63夜、十六夜という特別な夜。私は2003年から加えていただいたので、それでも、すでに8年になる。それぞれに歳も重ね進化しつつも、同じ仲間と、これまでつながってきた縁に感謝。

棚に入った『ワシントンハイツ』のみつけ方

残念ながら、書店では9月の新刊が並ぶことになり、8月刊の『ワシントンハイツ』は棚に入ってしまいました。一部大手書店では、平積みのところもありますが。

書店では撮影ができないので新潮社の本棚を写しました。目印はペリドット(黄緑)色の帯。秋尾は「あ」行の一番最後にあります。つまりは「い」の隣。石川達三さんの左にあります。ぜひみつけてくださいね。

米軍の東京入城

宝島社のマッカーサーの広告が話題になっている。使われた写真は66年前8月30日、彼が厚木に降り立ったときのものだ。だが、すぐには東京には入らず、マッカーサーはしばらく横浜で過ごしている。

正式に東京入城を果たすのは昭和20年9月8日。日本軍に接収されていたアメリカ大使館を取り戻し、星条旗掲揚のセレモニーを行う。そして帝国ホテルで昼食をとった後、東京には留まらず、マッカーサーは再び横浜に戻っていく。第一生命ビルにGHQ本部を置くのは、もう少し先のことになる。

しかし、部下たちは日本軍の施設を中心に、着々と東京の接収作業にとりかかっていった。明治神宮の隣の代々木練兵場も、この日にGHQの手中に落ちる。やがて、そこは日本人の衣食住をアメリカ化するための発信基地ワシントンハイツと生まれ変わるのであった。

温水ゆかりさんの書評@週刊朝日

週刊朝日に書評が載りました。いつも拝読している温水ゆかりさんのコラムです。とっても嬉しい。ありがとうございます。

団塊の世代のご友人の話から始めるところ、さすがです。そしてワシントンハイツがアメリカの残像づくりの拠点であったという序章に記したポイントを使い、問題作と締めてくださっています。

許可を得ないとブログに写真をアップできないので、ぜひ、どこかで読んでくださいね。コンビニ、書店、図書館、銀行、いづこでも。

なぜか体重が減った

この写真は新潮社のロビーの棚に収まっている『ワシントンハイツ』。でも、よく見ると、撮影している私の服が写りこんでいる。驚くほどウェストが細い。いや、昔はこれより細かったのだが、ここ数年は、太るばかりで、あきらめていた服である。

奇跡やマグレではなく、ここへきて体重が減った。その数字が定着しているのだから、痩せたと言っていいだろう。この5年ほど太る一方で、落ちたとしても、ある数字をどうしてもきることができなかった。

それが、そこをクリアしたと思ったら、さらに1キロ、またまた0・5キロ、減ったのである。。博多のお土産にもらったとんこつラーメンを作って食べても、その数字がキープできているのだから、びっくりだ。

特に運動をしたわけではない。だが、つらつら理由を考えてみれば、この夏は以降、蒸留水をたくさん飲んでいる。暑いから喉が渇く。だが、極力、水を中心に氷を浮かべて飲んでいたのだ。1日に2リットル。仕事柄、コーヒーを欲するときは、インスタントを水に溶かしていた。

もうひとつ思いつくのは、ブルーベリー黒酢を飲んでいたことだろう。暑くて喉がかわく。そんなときに、酢が喉でぴりっと響くのがいい感じなのだ。去年まではヘルシアを飲んでいたが、食事を伴わねば、黒酢のほうが暑さに利く。

もっとも、家か図書館にひきこもって原稿書きの日々。外食をしないしお酒も寝る前のナイトキャップ程度だから、「酒抜き」効果があったのかもしれない。あれほど好きだったビールも、飲んで寝ると熱中症になるとテレビで見て、極力控えていた。ビールは少なからず太る理由のひとつだろうから。

食欲の秋になっても誘惑にめげず、この体重をキープできたら、また報告したい。