東京が焼き尽くされた日--合掌

75年前の5月25日22時22分から2時間。米軍のB29 による空襲を受け、東京が徹底的に焼き尽くされました。

犠牲になった人々に思いを馳せ、今夜、線香供養、そして黙祷を捧げます。

東京にいる時は必ずこの時間帯に表参道界隈を歩き、当時の恐怖を共有することを自分に課しています

葵祭 路頭の儀 2018

コロナ禍で中止となった葵祭・路頭の儀。斎行されれば、こんな感じでした。斎王代を中心に、2018年の写真をアップ。京都御所を出た後、下鴨神社の糺の森、二の鳥居で輿から降りて徒歩。境内で使と宮司による社頭の儀をご覧になります。休憩されたあと、加茂街道を北上して、上賀茂神社の一の鳥居をくぐられます。二の鳥居をくぐって神さまにご挨拶した後、再び勅使が祭文を読み上げるのをご覧になられます。祭文は、上賀茂神社に収められます。その後、馬が駆け抜け、これこそが葵祭(賀茂祭)の真髄なのですが、その写真は、また後で。

 

【歳時記 葵祭】 ミアレ神事は12日に斎行される

毎年、5月15日の葵祭を前に、12日、重要な神事が斎行される。新しい生命の息吹を受けて、神さまが若返ると言えばいいだろうか。新たに下ろした荒魂を、本社の和魂と合体させることで、霊力をより新しく強いものにするという考えのようだ。「御生」 「御荒」 「御顕」 「産霊」 。ミアレの思想は、平安時代に信仰されていた。源氏物語にも、「みあれ詣で」が登場する。

この日、朝から夕方にかけて下鴨神社の御蔭 (ミカゲ) 祭が、夜、上賀茂神社では御阿礼 (ミアレ) 神事が斎行される。

下鴨神社の御蔭祭は、朝、神幸列が下賀茂神社を出発し、比叡山山麓、八瀬の御蔭神社じへ。そこで神霊を神馬に遷して、下鴨神社の本殿に迎える。途中トラック移動も入るのだが、糺の森からは神幸列。切芝で、荒魂を載せた神馬に、舞人が東游(あずまあそ)びを奉納し、その後、本殿にお遷り頂く。

上賀茂神社は、20時に社務所を出発。神職と麗人が神山の麓にあたる御生所に向かい、密かに行われる。外部の人間が目の当たりにすることは不可能である。

下の写真は、数年前、八瀬を出発した下鴨神社のご神幸列。

菖蒲をマンションの入り口に

5月5日、京都の老舗旅館では、菖蒲とヨモギで屋根を葺きます。昔からの習慣が続いているのです。なので、マンションのドア脇に、置いてみました。

この菖蒲の習わしのルーツが上賀茂神社で行われる賀茂競馬(くらべうま)にあるのです。

中村軒にて、端午の節句前に、いちごのかき氷

端午の節句--。

一昨年だったでしょうか、桂離宮近くにある中村軒に展示されていたものをスマホに収めていました。

かき氷が美味で有名な中村軒、4月は、いちごのかき氷が頂けるのです。本当に、いちごの味がするので、美味この上ない。来年、お試しあれ。

私の帯は、兜と馬が描かれています。

葵祭「禊の儀」2014の記録から

禊の儀
この日は報道席から撮影したので、私は和服を着ておりませんが、和服好きには十二単の襲に興味がわくと思い、掲載します。
葵祭のヒロイン「斎王代」が手を清める「禊の儀」。昨年は下鴨神社、今年は上賀茂神社で執り行われました。写真は手を清めるところですが、人形に息を吹きかけ、奈良の小川に流す禊の作法が重要なのです。女人列の50人も人形を流しました。
ところで、斎王代は、「代」というくらいですから、本物ではありません。本来は内親王が奉仕されていました。戦後、葵祭のヒロインというポジションが生まれました。京都で代々続くお家のお嬢さんが選ばれます。芸能界のように、ぽっと出の女性が出るわけにはゆきません。
葵祭当日も、斎王代が一の鳥居で腰輿(およよ)を降り、左下のように童女に裾を持たせて歩いて参進するのですが、今年はあいにくの大雨。この日に撮影できて、本当にラッキーでした。ドロップのように色とりどりで美しい、女人たちの装束もお楽しみください。