原発再稼動に一言

原発再稼動について、国民が反対するほど簡単にはゆかない裏の事情があるだろうとは想像がつく。しかし、それでも私は言いたい。

人間は生かされている、となぜ謙虚に考えられないのだろう。自然への感謝があれば、原発再稼動という愚かな選択はしないはず。米も水も美味しい福井。だが一旦、放射能汚染されたら、それらが全部ダメになることを、わかっているのだろうか、と。

自然を支配しようとしたことへの罰が、アメリカ人にも下っている。高温と少雨で米コロラド州の山火事は止まず、首都ワシントンDCは40度。雷雨で大嵐が発生。周辺で150万の世帯・事業所が停電。復旧に数日を要するという。ほら、原発を再稼動させたって、自然災害で電気は停まるものだ。

だったら、京都で蓄積されてきた暑さ対策を学んで、地球に感謝しながら過ごす方がずっと正しいと思うのだが。

東電株主総会

生まれて初めて株主総会に出た。27日に開かれた東京電力のそれに、である。 

たとえ100株でも、持っていれば立派な株主。株主提案の資格はなくとも、総会に出る権利は与えられる。それが狙いで暴落しても保有してきたのだが、昨年は『ワシントンハイツ』文庫版の加筆に出席できず、今年は新刊のため、前半のみの出席となった。戦争・占領ものを書いていると、このタイミングは自転車操業状態。再校正が終わっても、扉の写真集めとキャプションチェックが待っているからだ。今回は個人の評伝なので、私でないと写真の内容がわからない。脱稿してからも著者の作業は続くのだ。 

さて、株主総会。猪瀬東京都副知事の発言と、実質国有化が可決されたという結果のみが報じられた。何を持って可決というの。東電提案と株主提案、それぞれ可決も否決も、会場の挙手を数えることさえない。2階席からだと賛否半々に見えた。しかし、常に東電の思惑通りに可否決される。アリーナには、完全にサクラと思える東電仕込みのグループがいて、怒号のような声とともに手をあげ、東電寄りの空気を作るのに一役買う。原発導入時に地元の反対集会を煙にまいてきたノウハウが生かされているのだろう。他方、出席していない株主の中には、事前に議決権を行使して書類を提出しているはず。だが、各議案に対して賛否何人いたかも発表されていない。事前の提出は何の意味も持たない。

なにより、議長のカツマタ会長がタヌキなのである。耳だけで聞いていると、老練な弁護士のような語り口で、年老いた声でゆっくりと仕切り、のらりくらりとかわしていく。「東電はカツマタ王国」で、清水前社長も彼の人形だったといわれているが、どうしてどうして、このタヌキぶりを見ただけで、カツマタ会長存命のうちは、東電の改革は不可能だと思えてきた。 

それでも、猪瀬さんの投じた一石は大きい。大株主が発言すればマスコミが注目するのだから、原発反対派は、株価を下げているうちに株を買って、株主の権利を行使しつつ、異議を申したてていくのが賢明と私は考える。

夏越の大祓の後、縁結び

今日は夏越の大祓。14時に明治神宮の大祓式を拝見した。『ワシントンハイツ』を上梓して以来、できるだけ明治神宮に足を運ぶようにしている。

その後、愛宕神社で茅の輪くぐりをした。愛宕神社や品川神社のような高い場所にある神社を訪れるたびに思う。自分が歩いている場所はかつて水の中にあったのだ、と。地震と洪水が交互に来るなど自然災害が続けば、ここも水につかってしまうに違いない、私たちが快適に生きられらのは、つかの間のチャンスだったのだ、と。そして、生かされていることに感謝をする。

そして、六本木の出雲大社に向かう。大祓式は終わっていたが、若い神官たちが竹に短冊を結んでいた。聞けば、これは七夕飾りだけであり、翌日から人々の願い事を短冊に書いたものを受け付けるのだそうだ。

もちろん、私も願い事を書きに行くつもりだ。新刊『スウィング・ジャパン』が注目を集めるように祈願する。なぜなら、評伝の主人公ジミー・アラキの父親は、ハリウッドの出雲大社の布教師だったからだ。大勢の読者との縁を結んでもらうつもりである。

新刊予約受付が始まりました

お待たせしました。最後の作業に忙殺されていますが、早くもネットでは予約受付が始まったようです。

新刊のタイトルは『スウィング・ジャパン:日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶』。新潮社から7月18日発売、19日には店頭に並びます。

戦後占領期、日本のジャズメンから「神様」と呼ばれたジミー・アラキさんの評伝です。お楽しみに。

ようやく「ころもがへ」に着手

暑い国、寒い国、日本の季節とは真逆の状態にある国々を飛び回ることに慣れている私は、もう長らく洋服の衣替えをしていない。衣裳部屋には段違いで5本のポールをうち、どの季節にも対応できるよう洋服が下げられている。

しかし、着物となると、そうはいかない。和服には明確なルールがある。6月から着物は単衣、襦袢は絽と相場が決まっているのだ。もっとも、最近の異常気象では、私の場合、5月でも暑い日には着物を単衣にしたり、襦袢を絽にしたりするが、さすがに半襟を絽に替えるのは6月から、昔ながらの慣習に従うことにしている。

昨日の撮影では母の江戸小紋の絽に、「雨あがり」と題する掬い織の帯職人95歳ころの懇親の作を締めた。この後、観劇と祝宴と和服を着る機会が続く。風を通したりアイロンをかけたりと、晴れの日でもないのに、箪笥をひっくり返す一日となった。

原稿に縛られ、あまり活躍の場がなかった袷の着物たち、ありがとう。秋まで箪笥の中でお休みくださいね。

写真撮影

新刊カバー撮影の後、著者近影を新潮社のカメラマンの方に撮っていただきました。ずーっと下を向いて作業をしてきたのに、すぐに撮影って辛いものがありますね。

「あとがき」の内容からいっても、祖母か母のきものを着ようと考えた次第。データを取り寄せたら、カバーに使わない、笑顔の写真をアップしますね。

その後、扉に使う写真のキャプションなどを決め、編集者と乾杯(実は20日も軽い乾杯はあったのですが)。和服だったので、きれいな場所をリクエスト。新装オープンのパレスホテルのバーを選びました。編集者の望んだ喫煙席はテラスのみ。摩天楼の中のテラスは、NYのハドソンホテルを意識していると思いました。

私としては、昔のパレスのバーのほうが好き。肉厚のハムサンドが忘れられません。

脱稿しました

20日の予定が21日にずれ込みましたが、ようやく脱稿。明日、著者写真を撮影します。

これまでの不義理の数々、どうぞお許しください。着物ブログも含め、徐々にアップしていきます。

来週の水曜日くらいまで待機しているようにとのこと。私からの直しは無理なのですが、先方からの突っ込みには答えられる態勢でいるように、とこのと。まだまだ気は抜けません。

新刊が出るのは7月18日。改めて告知します。

世界は貧困へと向っている

リーマンショックの直後にリサーチのため訪れたロックフェラー・アーカイブズで、初老の学芸員に私はこう問いかけた。「これから世界はどうなるの?」 彼の答は一言「POVERTY(貧困)」。.あれから3年半、世界は着々と貧困へと向っている。