冬至、そして中東

昨日から日差しが弱くなり、冬至の今日、東京は曇りだ。でも、明日から太陽の力が増して、元気になれるはずだ。
柚子湯に入るのはもちろん、新しい服に袖を通すのにもいい日。このタイミングを待っていた。
でも、そんな日本の縁起かつぎとは裏腹に、中東では不穏な動きという目線がある。米軍はイラクから撤退したばかり。イスラエルが気になる。シリアやイランに何も起きなければいいのだが。

金正日総書記の死

独裁者が次々に倒れた今年。総決算のように、金正日総書記の「死」が報じられた。ルーマニアのチャウシェスクやリビアのカダフィのように、メディアの前で誰も死を目撃していない以上、この死の真相は定かではない。それはオサマ・ビン・ラディンにもあてはまる。

しかし、公式発表によるトップの交替によって、北朝鮮という国家が変わることは間違いない。資源国である北朝鮮を国際社会がほうっておかないからだ。北朝鮮もそうした国々とたくみに駆け引きをしながら、経済発展をするために緩やかに民主化を進めていくだろう。民営化ビジネスは、欧米にとっておいしいビジネスだ。日本の郵政が狙われたのと同じである。そして、これまでスイスが担ったような金融のハブとしての役割を担うことも考えられる。

その北朝鮮とどう付き合っていくのか。日本政府はしたたかに戦略を持たねばなるまい。開かれた国家になって調査ができれば拉致された人々とご家族が会うことも可能だ。敵対するよりも、国交回復に向けて、動きだすときだと考える。

書展の受付、そして搬出

今日は石川九楊塾の書展@東京の最終日。受付担当と搬出作のため、北千住の会場に出向いた。

最初は母の濃紺の紬に筆の帯を着ようと思っていたのだが、夜、ある人に面会できることがわかり、和服は止めて洋服ででかけた。

代わりといっては何だが、友人が以前、書展のとき、案内・監督係をしていたところを撮ってくれた写真を届けてくれたので、それを紹介する。この年齢になると、こういうことはよくある。4年なんて、あっという間だ。若者にとっての1ヶ月くらいの感覚だ。

それにしても、たかが4年とあなどることなかれ。意外と初々しかったりするではないか。だとしたら、いつから老け始めたのかなあ。

さて、提出した副島先生の不動明王の臨書だが、勇気が出たら、ここにアップしますね。

と、ここまで書いたら、「イサン」が半分以上終わっていることに気づいて、テレビをつけた。

作家の籠城生活

塩野七生さんの100年インタビューを観ている。ローマへの関心は日比谷高校時代に始まっていたのだ。庄司薫も同級生だったとは今日まで知らなかった。

作品を書き上げるのに5ヶ月籠城するという。歴史を書くのに、現代人との接点を絶つ。そうなのだ。占領期を書くのでさえ同じ感覚を持った。その時代にトランスしないと書けないものである。

そうか。塩野さんのような巨匠でもそうなのだから、私は1年篭る覚悟が必要なのだろう、本当は。つい断りきれず人に会う私は、まだまだ半端だ。

ところが、私の周囲は執筆で会えないというのがどうも理解できないらしい。海外取材やテレビ出演だとすぐイメージできるのに、書いている合間に少しくらい自分に割く時間はあるはずだと発想する。特に、年配の人たちが私のNGを不義理だと断じる。これが厄介だ。

自慢じゃないが、私は遅筆である。小さなコラムならともかく、一冊書き下ろすのは、じっくり考えないと進まないのである。せめて入稿が終わるまで、お許しいただきたい。もちろん、お祝いの席やお別れの席には伺います、万難を排して。

皆既月食

このところ三日月や満月を見て、時の移ろいを確認することが多い。もう2週間、もうひと月、と焦るのである。

今日もエレベータホールで黄色くて大きな月に気づいてしまったら、なんと今夜は皆既月食だった。21時ころには真上に真っ白な満月。

しばらく原稿に集中していたので、あわてて空を見上げた。なるほど。赤い月とはこういうことか。

節電のおかげで月の光が際立った今年。冬空だと東京でも星がきれいに見えることも知った。原点に戻ったほうがいいよね、私たちは。

真珠湾攻撃から70年

アメリカ時間では、真珠湾攻撃は12月7日日曜日だった。

もしも年末年始をハワイで過ごされる方がいたら、ぜひパールハーバーに行かれることをお勧めしたい。

そこにはアリゾナ号の残骸が海中に残り、その上に建てられた白亜の慰霊塔がある。「リメンバー、パールハーバー」と刷り込まれて70年。アメリカ本土のアメリカ人が訪れる。日本人は滅多に来ないのだという。

ついでに降伏調印を行ったミズーリ号も停泊しているので、そちらも見学されるといい。これについては『ワシントンハイツ』第三章を参照されたい。

日米開戦によって、在米日本人が窮地に立たされることになるのだが、目下の私の最大の関心事は、ルーズベルト大統領が日系人を強制収容所に入れることに、どれほど積極的だったかという点である。陸軍などに押し切られたう説が多い一方で、日本人への偏見があったという説も存在するからだ。

歴史を書いているとつい、本当のところはどうだったのと、ルーズベルトの魂に訊ける霊力がほしくなる私である。

電力に頼らない過ごし方

節電でビルの中も涼しいだろうと思いきや、テレビ局も図書館も、いずこも暖かすぎて、びっくりする。もう少し温度を下げてくれないかな。外に出たときの寒さが倍増してしまう。それに、節電はもういいのでしたっけ。

家ではできるだけ暖房をつけないようにしている。起きてすぐ、鍋に水を入れて火にかける。水蒸気で部屋が暖まる上、乾燥から肌を守ることができるからだ。

書斎ではデスクが窓際にあるので、寝袋が大活躍。下半身をその中に入れてコンピュータに向かう。よく言えば人魚、あるいは半身みのむしといったところか。

だが、これがとてもいいのである。ひざ掛けをかけたところで、足首は冷えるし、ふくらはぎの側から冷気がくる。四方八方ダウンに足が包まれれば、頭寒足熱、原稿もはかどるというわけだ。

とはいえ、そろそろガスファンヒーターの準備がいるかもしれない。エアコンは乾燥する上に風があたるので好きではない。プラズマクラスターの加湿機能つき空気清浄機をつけても、いまひとつ。こういうとき、やっぱり床暖房がほしくなる。

節電から離れるが、寒くなると、つい水を飲む量が減ってしまうという問題がある。夏は水でデトックスに成功。体重を3キロ落として喜んでいた。ところが、ここへ来て、0.5キロ増えている。脳が疲れてチョコを食べたり、夜中に何かつまんだり、引篭もり執筆者として太る要素をあげればきりがない。ブルーベリー黒酢は、暑くなければ飲む気になれず、何か冬場のデトックス対策を考えなければいけない。

『ワシントンハイツ』@松丸本舗

丸善丸の内店の松丸本舗に、『ワシントンハイツ』が並んでいるというので、昨日、編集者が写真を撮って送ってくれました。

女優の杏さんが推薦してくださっています。ラジオでも取り上げてくださり、感謝感激です。お目にかかるチャンスあれば、お礼を申し上げたいのですが、まずはブログ上で。

杏さん、ありがとうございます!

若い方々にぜひ東京の歴史、いえ戦後日本の原点を知って欲しいので、杏さん世代が読んでくださると、とても嬉しいです。

丸の内にお越しの際は、ぜひ覗いてみてくださいね。私も参ります。

会津エンジン06

会津エンジン06を終えて、東京に。会津との縁は長いが、今回は講師全員、交通費も宿泊費も自腹を切っての参加だった。

1)安全の世界最先端技術。志村史夫さん、今川憲英さんと。

2)野田内閣は日本を復興できるか。佐藤正明さん、船曳建夫さん、菅家前会津市長と。8月まで市長の座にあった菅家さんの話は、国との関係を浮き彫りにして興味深かった。

夜は地元の方々との食事会「夜楽」。講座の話もさることながら、夜、地元の人々と話ができて、震災から8ヶ月の難しさを痛感した。会津は被災者を受け入れる側。いろいろ本音が聞けて、良かった。彼らが疲弊しないように政府は未来像を明確に示すべきだと思うのだが、これについては、後に考えをまとめて記したいと思う。

こんな形でしか恩返しができないけれど、会津に行くとほっとできる。

郡山へ向かうバスの中で太く大きな虹を見た。七色がくっきり・・・。

耳のしびれ経過報告、なぜかコレステロール

金曜日の夕方、耳のむわっとした感じがひどくなったので、夜まで開いている耳鼻科にかけこんで診てもらう。聴力には異常がなく、外耳道の軽い炎症が原因かもいしれないと、抗生剤の点耳薬を処方してもらって帰る。指摘された患部と、しびれを感じる箇所が違いすぎて、耳の感覚は不思議だ。外耳道に意識を持っていけば、なるほど、そのあたりが痛くてジンジンしていたのだと思えてきた。

それよりショックだったのは、午後に聞かされた健診結果のほうである。コレステロール値が高いのだという。昨年までパーフェクトだったのに、なんでやねん。

説明をしてくれた先生がきく。バターは? お肉は? たまごの黄身は?・

バターは直接口にせず、お肉は鶏が中心で、牛を食べることは少ない私。なにより、大震災以降、放射能への警戒から、昆布と納豆を中心の食生活。外食のときのみ、肉類たまご類を頂いているのに。

では、運動はどうですか?

そういえば、今年は昨年ほどには歩いていない。駅からも図書館からも30分歩くのが当たり前だったのに、こちらも放射能と炎暑を避けて、外を歩くことがほとんどなかった。うーん、放射能とコレステロールのどっちが怖いか。まだ寒くないうちは、意図して歩こう。

と思っていたら、広島県北部で震度5の地震。昨日の茨城での震度5を思うと、やっぱり歩くのに臆病になりそうな私である。