NHK 「おひさま」

家にいるときは、毎朝NHKの「おひさま」を観ている。日本の昭和史を、戦争へと突入していく日本の様子を、こんなに自然に伝えられるドラマっていいなあと思う。ノンフィクションには出来ない技だ。羨ましくもある。 

主人公が教師をすることによって、戦中戦後、学校で起きることを描くことが可能だ。彼女がたった1日の結婚生活で夫を戦地に送り出す設定、一番上の兄が軍医に、二番目が海軍航空隊に配属され、父が名古屋の飛行機工場で働くことになり、女学校時代の友人が東京に出て行くというのも、特攻隊の存在、名古屋の空襲、東京大空襲と、若者に昭和史を学習させるお膳立てが実によくできている。

 なにより主人公を演じる井上真央さんが可愛くていい。辛口の私が思わず絶賛してしまう若手女優の一人だ。TBSの「花より男子」以来、注目している。自然な明るさを演じられるのは、井上真央さんか、少し前なら「篤姫」の宮崎葵さんだろう。そういえば、彼女も同じ枠で昭和史を描いたドラマに主演していた。

若尾文子さんが若い頃を回想するという設定なのだが、この手法は、「おしん」も同じだった。自分が現代史への理解が深まってから再放送で観ると、辛抱の連続を通して貧困から這い上がる視点で、昭和が見事に描かれていたと感心したものだ。さすが橋田先生である。

他方、「おひさま」はタイトルが示すように、主人公の明るさがゆえに、ほのぼの感がある。泣いてしまうシーンでも、どこか救いがあるのだ。主人公の家族が貧困層でないところが大きいのかもしれない。当時の女学生や子どもたちの純朴さを垣間見られるのも、視聴者をほっとさせてくれる重要なポイントである。

大震災から3ヶ月、いま地球で起きていること

東日本大震災から3ヶ月が過ぎた。

地球上での天変地異は、東北だけで終わらない。日本にもまた、やってくる。それが地震なのか、火山噴火なのか、地盤沈下なのか。浸水だけで済むのか。

 だから、原発は止める方向で考えるべきなのだ。そういうと、私が後ろ向きだと批判する人がいる。彼らは、震災以前の日本(=経済活動)に戻れると考えているのだ。だが、それは間違っている。 彼らは自然をなめているのだと私は思う。

震災は地球からのメッセージなのだ。これまでの人類のありようは通用しなくなることを、私たちは自覚すべきである。太陽との関係で地殻変動が起き始めた以上、地上で生かされてきた人間は、同じ営みを続けることは不可能なのだ。自然災害は世界中に降りかかり、世界地図が変わろうとしている。これまでと同じ経済活動は維持できなくなる。

 そのことをいち早く気づいた国が勝ちなのである。最悪の事態を想定して戦略を変える企業が存続できるのである。ドイツは賢い。イタリアの国民投票の結果も気になる。とにかく発想を転換しないかぎり、生き残れない時代がやってきたということだ。

個人レベルでは、私が3月以降積み上げてきた防災対策を、今後、少しずつご紹介したい。そう思っていたら、あとがきの初校が届いてしまった。

普通の生活へ復帰

長きにわたるブログの空白。ウェブにつなげない国を訪れていたのでは、と思われていたようですが、日本で無事に生きています。文庫の初校、そして加筆・修正に缶詰状態。そして奈良、大阪、高野山をまわって、ようやく帰宅したところです。

先週から「サンデーフロントライン」のニュース選定も復活。普通の生活に戻ります。明日から会議など目白押し。

植樹祭@石巻

緑の堤防を提唱している宮脇昭先生指導の植樹祭@石巻の模様が、今夜のニュースゼロ(日本テレビ系)で放送される予定です。ぜひ観てくださいね。

山の手空襲の夜

66年前のいまごろ、5月25日夜10時過ぎ――。東京の明治神宮・表参道に大きな空襲があった。写真の左、信号の下あたり、みずほ銀行前に、黒こげになった遺体が山積みにされていた。この話は『ワシントンハイツ』第1章に詳しく書いているので、ぜひ読んでほしい。

1944年11月から終戦までの間に、東京は130回、空襲を受けた。なかでも45年の4月から5月にかけての、東京全域にかけて4度の大空襲を「山の手空襲」と呼び、3月10日の下町空襲と区別している。

5月25日に東京全域に落とされた爆弾の量は、実は3月10日のほぼ2倍。死者2258人。負傷者8465人と記録されている。

どうか空襲で命を奪われた方々の無念に、思いを馳せてほしい。戦没者もさることながら、切り詰めながら本土を守った市井の人々が犠牲になる戦争が、いかに無意味か。今夜だけでも、そのことを考えたい。

笑顔の裏に核実験@ウィグル

昨日の深夜、NHKBSで80年代のシルクロードを観た。長閑で牧歌的でつい行ってみたくなる。 

あのころシルクロードを撮影したのは、NHK特集のスタッフとサントリーオールドの広告制作者くらいだったのではないだろうか。だから、私にとっては、懐かしいのだ。もちろん、私は映像で観ただけなのだが、切り取った空気がNHKと同じだから。「誰がつくる次の時代」「夢街道」など、言葉もよかった。ADは浅葉克己さん、コピーは長沢岳夫さん。詳細はここをクリック→http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:zwTVVWp_WkoJ:www.acccm.or.jp/kaiho/128/nanatsunokao/index.html+%E8%AA%B0%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E6%AC%A1%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%80%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&source=www.google.co.jp

 人々の笑顔からは読み解けないが、実は中国政府による弾圧が続いてきた土地でもある。文化大革命の嵐が吹き荒れた後も、現在の北京政府による虐殺は絶えない。

 そして何より許しがたいのは、中国政府がこの土地で核実験を46回も行ったことだ。東京オリンピックの1964年から96年まで続いていたという。日本が経済発展にまい進してきた間、ウィグルの人々は放射能汚染を受けてきたということだ。結果、20万人近い人々が亡くなり、120万人が白血病を患ったという算定もある。国際社会は、この問題を追及する必要がある。

 日本にも飛んできている黄砂に放射能が含まれているのは、ウィグルでの核実験の結果かも。だとすれば、対岸の火事ではない。少なくとも中国政府が他民族を、いや漢民族でさえも、モルモットにしてきた事実を私たちは知っておく必要はある。

ちょっとツイート

ワシントンハイツの写真探しに奔走している。

昨日は渋谷区役所に出向いた。3年前にようやく探し出した一冊の小冊子が、その後、どこかの部署からごそっと出てきたという。当時は存在しなかったワシントンハイツの中の写真もみつかったらしい。

ウェブ上でも、ワシントンハイツの思い出に言及する人が増えた。私がリサーチを始めたころは,まったくの手探り状態だった。悔しいやら、嬉しいやら。

ブログなのに、思わずツイートしたくなる今日このごろです。

杜若にほっと一息

次の会期までしばらく閉じている根津美術館。5月初旬の杜若は見ごろでした。大勢の人々が紫の杜若に見とれている中、池のほとりにひっそり咲く黄色を一輪だけみつけたので、アップしてみました。

久しぶりの「中東・アジア」談義

東京都立中央図書館と上智大学の図書館に通う日々を送っている。

今日は昼間、ニューオータニで薬膳を食す機会がり、その足で隣の上智の図書館に行き、博士課程前期後期にお世話になった先生方の研究室を訪ねてみた。いきなりだったのに、快く受け入れてくださり、うれしい限りだ。

「いやあ、あなたのことを思い出したところだった。最近の大学院生はずいぶん違ってきたからね。なんだか懐かしくて」

と言ってくださった先生とは、一連の中東革命をどう分析するか。インドネシアとどう似ていて、どこが違うか。世界のイスラームはどうなるか、などなど。

その後、博士課程前期の指導教授と少しだけ話す。東北で被災したフィリピン人たちに何が起きているかについて。バチカンは震災直後から東京での彼らの支援に熱心だったが、いまは現地まで出張ミサに行っているのだという。内に溜め込むとつらいが、ミサで思い切り泣くということが大切なのだそうだ。

最後は博士課程後期で一緒だった友人の研究室を訪ねた。上智の選任講師になるとはかなりの出世である。彼とインドネシア人の被災について話した。インドネシア政府も放射能には敏感で、領事館がすばやく動いたので、ほとんどが帰国している。予想外の段取りのよさだったのだ。

このところ電力と原発の文献ばかり読んでいたので、しばしアジア・中東にシフトできて、私の脳も喜んだ風。母校の存在はなんとありがたいのだろう。感謝、感謝。

期限は30年と決めよう

最近、大メディアが原発の日本への導入の歴史をたどり始めた。私自身も膨大な資料を読みながら、占領期の電気事業からの掘り起こし作業をしているが、評伝ひとつとっても、本によって諸説あるので、これが正しいというところに簡単に行き着かない。 私になりに整理して、近々ここに書くつもりだ。

そうした振り返り作業をしながら思うのは、何事も30年が限界だということである。時代の流れは早い。将来は未知数だ。そう謙虚に考えれば、10年、20年で立ち止まり、大きな修正を加えるか、終焉に向けて動き出せるはずなのだ。利権やしがらみで雁字搦めになって、何も変えられないのが、政治の負の部分である。 

中東革命でわかるように、独裁政権にも賞味期限がある。チュニジア25年、エジプト30年。リビア40年。国民にも世代交代が起きるのだから、政権は30年しか持たない。インドネシアのスハルト政権も32年だった。それでも30年なら民衆革命というシナリオも成り立つが、40年まで引っ張るとどうなるか。リビアの惨状を見れば明らかだ。国際情勢も大きく変わる。

 福島原発1号機が動き始めたのは1971年。30年といえば、2001年だった。それまでに、スリーマイルでもチェルノブイリでも事故が起きている。何度も繰り返された原水爆実験を含め、痛めつけられた地球が怒ったのだと思う。にもかかわらず、アメリカもソ連も、事故に懲りずに原発を続けている。戦後復興のために導入した日本でさえ、経済大国になってもなお、原発を増やし続けてきた。機材に問題がある指摘したGE社員の声や経済産業省の若手の声をもみ消して福島原発を40年も使い続けたツケがまわってきた、と謙虚に受け止めるべきだろう。

 原発の寿命は30年と決めよう。これまでの原発推進予算を未来エネルギーに向ければいい。電力会社のありようなどの問題は、それを決めてから、手をつければいい。

浜岡は歴史が浅いと言う人もいるだろう。しかし、コンクリートの堤防が逆効果だったとわかった以上、全く違う発想の防潮堤が必要だ。まずは植樹で「みどりの堤防」をつくり、単なるコンクリートの堤防ではない防潮堤を築いてから、再稼動すればいいではないか。