ホテルが取れない@SF

サンフランシスコのホテルが取れない!

高齢の取材者から指定された日程にあわせてSF取材を決めたのだが、ホテルが取れないという信じられない事態に追い込まれた。ウェブ上だけでなく、旅行代理店を通しても同じこと。デスクの女性が悲鳴を上げた。「一体サンフランシスコに何が起きたの?」

それもそのはず、SFには山ほどホテルがあり、リーズナブルな値段で宿泊できるのだ。代理店にしても、こうした事態は経験したことがないという。

これまで滞在したホテルは軒並み500ドル以上をつけ、空港付近もチャイナタウンやバークレーの小さなホテルも一杯だという。共和党大会も民主党大会も予定されてはいない。一体、この党大会並の込みようは何?

2010年9月、サンフランシスコ、コンベンションで検索してようやく判明した。オラクルのコンベンションが開かれている。これでは歯が立たない。ホームステイも射程に入れて動かねばならなくなった。どうしよう・・・。

リトルトーキョー駅

 

ロスの取材は本当に不便。車がないと、高くつく。タクシーで移動すれば、市内でもたちまち20ドル30ドルだ。ましてや市外となれば、40ドルを超えることになる。バスの存在は嬉しいが、目的地まで1度の乗り換えでアクセスできるほどラクではない。

それでもメトロができて、ずいぶん助けられるようになった。しかも最近はリトル東京駅が完成し、ハリウッドにはアクセスしやすくなった。ひとつ先のユニオンステーションで降りて乗り換えればいい。

一度、乗り換えそびれてチャイナタウンに着いたことがある。立派な駅で驚いた。ここは中国でございと、しっかり自己主張している。しかも駅のホームから眼下に中華世界が広がるのだから、大したものだ。横浜の中華街でも再開発に巨額を投じたことを思い出す。100年先に孫子が誇られる街を作るのだと、華人の間で寄付を募ったのだ。

それに比して、リトル東京駅のシンプルなこと。和の雰囲気は皆無。妙に近代的なのだ。ヒスパニックが住む駅にでさえメキシカン的アートがほどこされているというのに。

ある日系人が言う。「リトル東京という名前も変えたほうがいいんですよね。チャイナタウンにコリアンタウン、日本だけリトルとついているのは、いかにもまずい」

このところコリアンパワーが炸裂し、ハングル文字の領域が増えている。リトル東京も次々買い占められているのだ。キャッシュを持ってこられては、誰にも抵抗できないという。

いまこそ某政治家の金塊がモノを言うというのに、ロスに運ばれた彼のキャッシュで買われたのは、どこの物件だったのだろう。どうせなら、リトル東京に投資してくれればよかったのに、と思ってしまった。

注)写真はリトル東京駅の踏み切りにある警告。なぜかハングルでも書かれている。

アップグレードのコスト

今回は西海岸取材。ロスに行くのに、アップグレードしてビジネスクラスに乗った。マイレージ枠は一杯で、空いていると言われてつい名乗りを上げてしまった。

ところが、空港に着いて驚いた。450ドル支払えというのである。片道2万2千マイルとられる上に、4万円では高すぎる。よほど居心地がよくない限り、帰りはエコノミーでいい。

アメリカ行UAのビジネスは2席がメインだ。久しぶりのビジネスは機体も進化し、電車のボックス席のように、向かい合うようになっている。といっても目の前にスクリーンに遮られ対面の人は見えないが、通路をはさんで斜めの人とは目が合う位置関係だ。私は進行方向と反対。飛行機が上っていくのに、自分が下に向かっている不自然さ。引力に逆らう気持ちが悪さは、電車の反対方向より違和感がある。

後は可もなく不可もなく。横になれるのは嬉しいが、その贅沢は東海岸に飛ぶときにとっておき、西はエコノミーで充分である。 

注)以前は片道3万マイル、キャッシュなしでアップグレードが可能だった。

 

映画「ベストキッド」

機内で観た映画「ベストキッド」が面白い。これはリメイクだというのだが、オリジナルを知らないので、素直に感動できた。

最初のは日系人から空手を習う設定だったらしい。今回は舞台が北京である。母の仕事で転校し、中国人からの苛めにあう黒人の少年が、老師から中国武術を学んで、クラスでポジショニングを得るという物語だ。

年老いたジャッキー・チェンがいい。少年がすばらしい。どこで見つけてきたかと思えば、ウィル・スミスの息子と聞いて納得した。途中に出てくる奥地の山の頂はまさにパワースポットで、実在するなら、そこに行ってみたくなる。日本では、この山は話題になっていないのだろうか。

そこに映し出されるのは、中国のポテンシャルである。経済発展に伴って金の亡者になっている連中、つまりは東京の銀座などで買い物をする連中から醸し出される拝金主義の空気や、礼儀をわきまえず自己主張全開で押し寄せてくる中国人像とは全く違う。中国武術の奥義を通して、神秘的な側面をフィーチャーしている。全世界に中国の言い知れぬパワーを思い知らせ、アメリカの次の超大国として受け入れさせようとする意図さえ感じるのだ。

くわえて、母親が仕事で中国に行くという設定も、人々が職を求めて国境を越え、国家などなくなるという方向へと人々を誘っているようにも見受ける。それが豊かな白人ではなく、黒人であるところがミソである。

近々ハリウッドも中国に買い取られ、こういう「中国は凄い映画」が増えていく予感がするのだが、それを差し引いても、充分に楽しめる映画でだ。中国人と黒人の共存は日本では未だ馴染まないだろうが、これは世界のトレンドなのである。

いま世界で起きようとしていることを知らせる意味でも、苛めに悩む子どもたちが生きる勇気を持つという意味でも、親子で観る価値はありそうだ。

反村上デモにスポンジ・ボブ?

村上隆氏のベルサイユ宮殿での個展が、パリで物議をかもしていると言う。フランス人の気分としてはわからないでもないが、ヴィトンに起用された段階で、既に、その一線は越えてしまったのではないか。

気になったのは、デモの中にいた一人のおじさま。村上隆の世界に反対しながら、手にしていたのは、スポンジ・ボブをかたどった四角い黄色の風船。あれれ、たしかアメリカのアニメのはずなのに、フランスの伝統にこだわるのなら、違うものをお持ちになったほうがいいのでは? 

いや、このおじさまは、日本もしくはアジアを認めたくないだけかもしれないと思いなおした。

決着

党首選が一段落。国民に近いサポーター目線では、「2人に大差がないのなら、ころころ替わるより続投が望ましい」ということなのだろう。

公職選挙法に違反しないということで、相当に実弾を使ったという話もあるのだが、だとすれば、両陣営ともその出所が気になるところだ。菅総理が目指すクリーンでオープン?な政治はどこにいったのでしょうか。

いのち輝かそう大賞

今日は「いのち輝かそう大賞」の授賞式。受賞作の朗読をすることになっているので、昨夜のうちに東京に戻り、朗読の準備にかかっていた。

結果のご報告はまた、明日。

出張授業で福岡へ

今日は春日西中学校で出張授業。飛行機の空席がなく、8時半の便で福岡に向かう。エンジン01教育委員会のメンバーたちとボランティアで授業を行う。今回は、拓殖大学の森本敏さん、料理評論家の山本益弘さん、東京都市大学の多田さんが一緒だ。

コミュニティスクールの春日西中学校は、生徒たちののびのびとして元気がよく、その明るさに驚かされた。廊下ですれ違いざまの挨拶はもとより、教室で生徒が一体となって挨拶するときも声が大きく、みなの呼吸がぴったりだ。日本全国の中学生がこの素直さを持つことができれば、日本はいい社会になるのだが。

とはいえ、彼らが社会に出るころには、日本企業の就職はますます厳しくなる。グローバル化に抗することはできず、日本の子どもたちが企業に就職する際には、アジアからの留学生と競わなければならない。親の世代とは違って、仕事を得るためにグローバルな視野を持ち、マニュアル以上のアイデアを提示できる企画力を備え、複数の語学がこなせるうよう、いまから勉強しなければいけない。ぼーっとしていれば、日本人にはメイドや皿洗いの仕事しかめぐってこないのだ。豊かになりたいときに人々が発揮するエナジーを侮ることなかれ。

他方、外国人が大勢日本に押し寄せるということは、日本にいながらにして友人ができるということでもある。海外から来た同世代の友人を作り、その家族を訪ねる形でほかの国々を知り、かつ日本を相対化するチャンスも増えるということだ。ツアーで海外旅行に行くより、はるかに意味がある。

仕事を終えた後は、福岡で美味しいものを頂くのだが、山本益弘さんと一緒だと、ガイドブックには載っていないお店で舌鼓を打つことができる。この暑さの中、マツタケと河豚を食すことの幸せに、感謝、感謝でした。

中国人観光客と向き合うヒント

最近になって、テレビなどでも中国人観光客のマナーの悪さを取り上げるようになった。驚かないでよ、そんなことわかっていたじゃないの、と心の中でつぶやく私がいる。

中国人を日本流に変えるのは、ほぼ不可能である。ましてや、ただ観光に来ただけのヴィジターが、日本の風習に合わせるわけがない。彼らは留学生でもなければ、日本企業に就職したわけでもないのだ。しかも、団体で押し寄せたのである。赤信号、みんなで渡れば怖くない、の心理だ。

もともと中国人はマイペース。世界に根を下ろす華人富裕層の間では彼らなりのルールが存在するのだが、中国共産党に飼いならされ、小金を手にした庶民には、相手のことを思いやるという思考回路がない人が多い。1993年に中国大陸を訪れたとき、私はそのことを思い知った。ほとんど人がいない、だだっ広いホームで、3人の男たちが横に広がり、一人電車を待っている私めがけて直進してきて、平気で突き飛ばしていったのだ。こんなに広いのだから、避けて歩けばいい。3人横に広がる必要もないではないか。「私が何をしたというのだろう・・・」。中国沿海部各地で同じ経験を何度もしたが、一人旅の私は、その都度、傷つき、泣きそうになったものだ。

 だから私は心配する。中国人移民が大量に押し寄せ暮らし始めた段階で、日本社会は混乱する。誰もがストレスを抱えることになる。鬱になる人が増えるに違いないのだ。そして、あっという間に、日本の風習やルールは中国流に塗り替えられる。それに私たちは耐えられるだろうか。

彼らを変えるのは不可能である。だから私たちの心の準備が必要なのだ。繊細な心が傷つかないために、まずは中国人の癖を知るべきである。日本との違いから起こる最悪の事態を想定し、先回りして策を練るしかない。外国人だからと過剰に親切にするのも止める。こちらの考えは堂々と主張して相手に伝える。彼らはそれに対してイ驚きもしない。

同時に、日本人として自分が死守したい日本的価値について考えてみること。譲れること譲れないことについて常々整理しておくことが、現段階でできる、はじめ一歩だと私は考えている。

911を前に

まもなく9月11日。アメリカ人の心の中には各々いろいろな思いが去来する。

 その日に、フロリダの牧師がコーランを焼くと言い出した。なんということだ。これでは、世界中のムスリム(イスラーム教徒)が黙っていない。ラマダン(断食月)が明けると、どうなるのだろう。

 この挑発が新たな戦争への導火線にならねばいいと思うのだが、ジョーンズ牧師の背後に、それを望んでいるグループがいたりしたら、事態は厄介である。

 NYグラウンド・ゼロの近くにモスクを建設する話も、オバマ大統領の立場を危うくしている。ここぞとばかりに、共和党の元副大統領候補サラ・ペイリンが突っ込みを入れた。これが全米で問題となり、ガスは充満しているのだ。

 本来、イスラームはどの宗教に対しても寛大である。一部のテロリストと区別して考えなければならない。ハンティントン氏が『文明の衝突』などと書いたからといって、それを普遍化して戦争に突入することがあってはいけない。それは、ある種の挑発なのだ。

少なくとも911までは、アメリカのテレビはこの件を中心に報じるに違いない。今年、中間選挙であることが、アメリカ社会を複雑にしている。