知のデフレスパイラル

国会中継を聞けば、がっかりするし、ニュース番組をみれば、つまらない政局ばかり。本質的なことを論じないから、つい見なくなる。

政局は少しでいい。それより、世界潮流の中で、日本がどうあるべきかを報じるべきなのではないだろうか。

政治家が小粒だからこうなるのか、報じる側にビジョンがないのか。政治もメディアも「知」のデフレスパイラルに陥っている気がしてならない。

戦後65年の今年、終戦をどう伝えるか。メディアの良心が、この夏、問われる。

遡って、調布花火大会

人のご家族のお招きで、先日の調布の花火大会を、パルコの上のホテルから見せていただいた。その際、お母様が用意してくださったケーキがコレ。孫のバースデイケーキはショートケーキだった。日ごろは火消しを拒む彼も、私とセットだったので、拒みきれなかったよう。

迂闊にもカメラを忘れた私は、花火の写真を撮ることができないまま。今年で3回目だが、調布の花火は毎年進化している気がする。牡丹や菊もいいが、個人的には椰子が気になった。

客人、ロスより来る

土曜日は浅草に出向いた。あまりの暑さに死にそうだった。

アメリカで取材した日系三世が、親戚に不幸があったからと、日本にやってきたのだ。おじさまとお別れした後、残されたおばさまのケアで残っているのだという。とはいえ、時には一人になりたいだろうと、従妹が浅草のホテルをとってくれた。小倉に向かう前に、私に会うとすれば、この日しかなかった。

次回作にまつわる話はもちろん、大切な取材なのだが、それ以外にも、現在ロサンゼルスで起きていることが色々と面白いのだ。聞けば聞くほど、ロスは日本の未来図で、日本人、どうなってしまうのだろうと心配になる。これについては、後で詳しく書きたいと思う。

それにしても、ロスで生まれた彼女にとって、日本の湿気がどれほどシンドイか。若いころの一度の経験から、夏に日本を訪れまいと決意したのに、ご不幸があったのでは時期を選べない。しかも、数年ぶりの猛暑である。あの、ロスのさわやかさが恋しくてたまらないらしい。

それでも、アメリカには売っていない和物がいっぱい。特に浅草は種類が豊富な上にリーズナブルだから、彼女はショッピングに余念がない。両替では1ドル81円だったらしいから、以前に比べれば決して嬉しくはないのだろうが、お土産を買わないわけにはいかないのだ。

浅草だから、ウナギと天丼を提案したところ、ウナギは嫌いだという。そこで、大黒屋の天丼を食したのだが、朝から突然ひどくなった額関節症のせいで、食べるのに一苦労。おまけに、べったら漬を注文したので、これまた大変。でも、私が痛がれば、思い切り心配するタイプだから、あまりかまずに飲み込んだ。これが太る原因なのだが。

これまでは右の付け根が問題だった。2-3日前からは左。香港の整体師が言ったとおり。どうせ暑いのだから、香港に行こうかな。病院に通ったところで治るものでもない。こればかりは整体のほうが効果があがるのである。

気のせいで、涼しくなる

関西に取材に出向き、間に京都に寄って祇園祭を垣間見た。最終便で戻ったところだ。

宵山の室町を歩き、麻暖簾を買い、早朝は山鉾を組み立てる様子をカメラに収めた。

京都に比べれば、なんと東京の涼しいこと。より暑い経験をすれば、自分の置かれた環境が悪くない気がしてくるから不思議だ。

北京40度、モスクワ35度。そう聞けば、ほら、東京が涼しく思えてくるではないか。

追伸:上の情報は友人からのメールだが、その後のニュースによれば、ロシアではウォッカを飲んで暑さから水浴びをし、亡くなった人たちもいるらしい。ギリシャでは暑さのあまり山火事。経済危機で大変なのに、泣きっ面に蜂とはこのことか。

盆の入り

 東京では盆の入りは7月13日。読経はその後にお願いするものだが、両親の霊がいる間は平日という理由なのだろう、弟のアレンジでそれ以前の10日にお寺に行くことになった。同じような趣旨で、その日は何組も寺を訪れていた。

 盆の入りはといえば、霊園で迎え火と送り火を焚いてくれることがわかり、最近はそれに申し込むことにしている。とはいえ、灯篭だけ立派なのもバランスが悪い。供花と掃除はその前に終えなければ、と13日の昼ごろ、墓石を磨いていると、大粒の雨が降り出した。

 これまで、迎え火を自分のところでやってみたいと、マンションのベランダや入り口近くの歩道の端っこに小さな鍋を置き、その中で燃やしてみたりしたことがある。最近の東京は何時になっても明るく、一体いつが迎え火を焚くべき時刻か悩んだりもした。だが、そういうことに詳しい友人に言わせれば、私の家で迎え火を焚けば、両親の霊が仏壇のある弟の家に行けなくなるので、余計なことをしてはいけないのだという。

 お供え物の数々は今朝そろえてみた。果物はお供えパックのほうが、はるかに無駄が無い。手作りの蓮の落雁、それに白おこわやオハギは日々、西麻布の「青柳」で買うことにしている。老夫婦が営むこの店で、母が他界したときから、お盆の慣わしを色々教えていただいている。お二人とも髪が真っ白になったのを見ると、13年の歳月を感じずにいられない。

 とりたてて仏教徒というわけではないが、日本にいるときは、こういう慣わしに身をゆだねることにしている。これも、日本的なるものを探り当てる私なりの試みなのである。

 

  

 

日本エッセイスト・クラブ賞授賞式

 昨日の七夕は、第58回日本エッセイスト・クラブ賞の授賞式が日本記者クラブで行われた。前回のアジア太平洋賞のときは、大賞が一人、特別賞が三人だったので、ほかの人が話している間などに準備が整ったのだが、単独授賞というのは実に忙しい。スピーチの後は、すぐに列が出来て、ずっとサインをしていた。毛筆で、などとこだわったので、書くのも乾かすのも時間がかかった。

東京と京都の掛け合わせ

日曜日の石川九楊講演会のために前日に京都入り。チェックインすると15時の打ち合わせに間に合わないからと、荷物をひきずって、地下鉄に乗る。教わった経路が地下鉄仕様だったためだ。

京都で地下鉄に乗ることは滅多に無い。だから、ベルリンで戸惑った時と不思議な感じは同じである。思えば、京都での移動は、いつも徒歩かバスかタクシーだった。外の風景が見えるのが楽しいのと、バスの行き先が神社仏閣なので、表示もわかりやすいのだ。NYも最初のころは、バスで移動していた。

やはり東京は凄い。最近はたいがいの乗り物の改札付近に、エレベータやエスカレータが存在する。キャリーバッグをひきずっていても、どうにかなる。なのに、京都ときたら、表示が不親切な上に、どこも階段しかなく、荷物を持って階段を上り下りするうちに、汗だくになってしまった。おまけに、地上に出れば、雨が降っている。最悪だ。

京都で車椅子だと大変なのではないだろうか。バスはどうなっているのだろう。アメリカの州によっては、バスの乗り口が自動で下がるようになっている。あちらの車椅子は電動が圧倒的なので、それを使う客が乗った場合には、回転できるように、皆でその一帯を空ける。それが当たり前なのだ。

たとえばワシントンDCなどは、地下鉄にエレベータとエスカレータが必ずあるが、特にエスカレータが故障したままということは、めずらしくない。便利なのか便利でないのか悩むところだが、それでも、インフラとして、どちらも備え付けているところは、考え方として正しい。

で、打ち合わせはといえば、先生は参加されないのだという。昨夜遅くに、京都の塾生とともに打ち合わせを終えたのだという。それを伝えておいてくれれば、チェックインして荷物を預けるくらいの調整は可能であったろうに。私なら、そう連絡するのだが、どうも京都の人たちはノンビリしている。伝統文化に携わる人々や女将さんたちは別として、普通の人々は、気が利くようで、気が回らないということがよくある。

そういえば、先日、あるコンサルタントの人が語っていたことを思い出した。地方経済が大変とよく言われるが、実際、東京ほどには効率よく働かないから、同じに論じられないのだという。地方のある企業に、「試しに、東京の企業と同じくらい社員を働かてみましょう。残業もさせてみて、結果をみましょう」と助言した。結果、利益が2割上がったのだそうだ。

京都には、ホンモノを追求する心や、我々が置き去りにしてきた知恵がたくさん詰まっている。しかし、それを維持しているのは、伝統文化を維持する世界に特化しているのかもしれない。一般の人々は、案外、ノンビリしてるのだろう。移民が押し寄せる時代には、その気質は災いする。東京と京都のいい部分をミックスできると、日本のありようが明確になるような気もするが、これについては改めて考えてみたい。

「戦略」アレルギー

昨日、文部科学省の会議に出ていて、驚いたことがある。「戦略」という言葉に過剰なまでに敏感なのだ。

ある研究プロジェクトの成果発表について、タイトルに戦略という言葉を盛り込むことを提案したところ、却下されたのだ。研究者の間で、反発があるからだという。

戦略と使っただけで、戦争に突入していった日本のありようにつながるとする思考回路は理解できる。そうした敏感さが戦後日本の平和を維持してきたのも確かだ。しかし、世界は大きく変わっている。そこに囚われている段階ではない。

たとえば、アメリカにいれば、戦略という単語はデモクラシーと同じくらい連発される。中国のいまの動きをみれば、きわめて戦略的である。そのハザマにいながら、戦略を持たない国が近い将来どうなるかは明らかである。

東アジア共同体についての会議に出た人によれば、日本勢はきわめて楽観的で、棚ぼた式に、これまでのようなポジションを日本が維持できると錯覚しているという。これは大きな間違いである。

小さい国ながら、大国に飲まれないための「戦略」。これを日本が持たないかぎり、私が生きている間に、日本は二等国になりさがる。いや、どこかの属国になる可能性も十分ある。それに日本人が耐えられるとはとても思えないのだが。

吉報を受けて

  受賞の知らせを受けた瞬間。このあと、目がうるうるしてきます。

6月17日付の朝刊に記事が掲載されたので、朝からたくさんの方々より、電話やメールを受け取りました。ありがとうございます。通勤電車で読んで駅のホームから電話をくれた人、会社についてすぐにメールをくれた人、あんなに小さな記事をしっかりみつけてくれて、まだまだ新聞が読まれていることを実感しました。メールが大半でしたが、電報も一通受け取り、なんだか懐かしくてほっとしました。電子ブックが話題の昨今、便利さから一瞬、そちらに振れたとしても、やはり紙の本がいいという人が圧倒的ではないでしょうか。そんなことを考えた6月17日でした。

日本エッセイストクラブ賞受賞

昨日、「日本エッセイストクラブ賞」の最終選考会が開かれ、拙著『ワシントンハイツ』の受賞が決まりました。

選考会の間をどこで過ごすか、結果をどこで受けるかは悩むところですが、今回は『ワシントンハイツ』に登場する明治神宮の森におりました。吉報は、満開の菖蒲園にて受けました。

ちょうど前日に増刷も決まり、第二版は28日に書店に並びます。

皆さまに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。