まもなく新年

三木鶏卵お世話になった皆さまに心より感謝いたします。注連縄

早朝には錦市場の三木鶏卵にて行列に並んで、卵焼を購入。注連縄、松飾の準備は早々に終えていましたが、鏡餅、星月さんは昼ごろ購入し、大掃除。夕方から上賀茂神社の大祓え+除夜祭に参列。年越し蕎麦を食し、八坂神社へおけら詣り。六角堂で鐘つきました。

まもなく新年・・・。朝まで生テレビ見ながら徹夜して、上賀茂神社の歳旦祭に参列します。鐘つき

冷静さが大切

やっぱり恐れていた事態が! 娘をパリ留学させたいという人に、止めたほうがいいと忠告したばかり。移民の中にテロリストがもぐりこんでいるはずだから、と。

★複数の銃撃、40人死亡=劇場で立てこもり―パリ(時事通信)

パリ同時多発テロ、ここまで大規模になるとは。犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りします。心配なのは911と空気が似てきたこと。テロを許してはいけないけれど、「報復の連鎖」にならないよう、冷静さも必要。欧州にいらっしゃる方々は、メトロや人ごみを避けて行動してくださいね。

冷静さが大切

やっぱり恐れていた事態が! 娘をパリ留学させたいという人に、止めたほうがいいと忠告したばかり。移民の中にテロリストがもぐりこんでいるはずだから、と。

★複数の銃撃、40人死亡=劇場で立てこもり―パリ(時事通信)

パリ同時多発テロ、ここまで大規模になるとは。犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りします。心配なのは911と空気が似てきたこと。テロを許してはいけないけれど、「報復の連鎖」にならないよう、冷静さも必要。欧州にいらっしゃる方々は、メトロや人ごみを避けて行動してくださいね。

上賀茂神社 奉幣祭

★遷宮翌日立砂IMG_3393宮中でも本格的な神事は夜おそく催行されます。前夜の遷宮祭経て、神さまは新しくなった本殿に遷られましたが、翌朝、天皇からのご祭文を勅使が読み上げ、田中宮司が受取って本殿本殿に納められました。

この上ない秋晴れに、こちらも清清しい気持ちになりました。写真は、奉幣祭が終わってから、立砂の写真をカメラに収めさせて頂いたもの。陰陽道に従って、砂の頂には、松葉が2本、3本。立砂は、神山に見立てたもの。出雲大社の龍蛇神がトグロを巻いた状態と似ていると解釈される方もいらっしゃいますが、この立砂の先からは、ものすごい神気が漂っているようです。

上賀茂神社式年遷宮

★遷宮留袖@控室IMG_6914★ (960x1280)上賀茂神社の第42回式年遷宮祭に参列させて頂きました。

重要文化財に指定されている上賀茂神社の場合は、伊勢神宮のように建て替えるのではなく、主に桧皮葺屋根の修復です。★IMG_3030遷宮直後鳥居1年半前に本殿から権殿に遷られた神さまが修復の済んだ本殿にお戻りになるのが、正遷宮というわけです。

本殿前の写真撮影は許されていませんので、遷宮後の二の鳥居の写真から、神気を感じ取って下さいませ。

なお、参列した着物の説明については、KIMONOをクリックして、「きもの適齢期」にぜひお立ち寄りを。さんざん悩んだ経緯などを記しました。

川島なお美さんのご冥福をお祈りします

訃報にふれて、昨夜は眠れませんでした。

今朝から色々な人に電話して、涙しています。こんな若くして旅立つなんて、悔しいです。

エンジン01文化戦略会議のご縁で、シンポジウムや龍馬ミュージカルでご一緒させて頂きました。気配りの人です。テレビでは見えない気配り、相手を思う気持ち、すばらしかったです。端々に見せたプロ根性、見習わねばと思っていました。

舞台降板を知って鎧塚さんにメールしたんです。大変なのに、返事がきて、頭が下がります。いまは夫・俊ちゃんのことが、心配です。

三津五郎さんに続いて二人も友を送るなんて、悔しいの一言に尽きます。

井上八千代さんボレロを舞う

昨日は泉涌寺の音舞台に行って来ました。虫の音をバックに、西本智美さん指揮イルミナート・オーケストラの演奏に乗って、サラ・オレインさん、石丸幹二さんが歌声を披露。

なんといっても素晴らしかったのは、京舞家元の井上八千代さんによるボレロです。あのボレロをどう舞われるのか興味津々でしたが、目がシャキ、八千代さんに釘付け。思わず「息を呑み」ました。

音舞台の模様は、毎日放送で10月の深夜に放送されるはず。詳しい日程は後ほどお知らせします。

私はといえば、東京からのVIPを私の独断による京都不思議スポットの案内。朝からハイヤー移動の上、腰掛けての鑑賞。コルセット代わりの帯を締めて和服で通して平気のはずが、結果、今日は朝から激痛。辛い。

堀場雅夫さんのご冥福をお祈りします

堀場製作所の創業者、堀場雅夫さんのお別れの会@国際会館に伺いました。

こういうすばらしい方が旅立たれると、もったいない、とつい言いたくなります。享年90歳。日本の若手ベンチャーのため、京都のために、もっともっと活躍していただきたかった。私はといえば、お元気なころにお目にかかっていれば、多方面でご一緒できることもあったかと思うのです。ほんとうに残念。

弔辞の中で素晴らしかったのは、裏千家の千玄室氏、鵬雲斎前家元です。91歳の大宗匠は、堀場さんと幼なじみ。ロータリー家族会、師範学校の先輩後輩の仲。冒頭のお献茶はもとより、メッセージの一言一言が愛に満ちていて、思わず涙してしまいました。

こういう太い絆は京都ならでは。お二人は単に「ええしの坊」ではないのです。育ちがよくて知性と教養に満ち溢れ、革新的で、かつ大局からモノを見られる人々なのです。そういう存在があっての京都だったと、改めて感じ入った会でした。こうした遺伝子が上手に受け継がれていきますように祈るとともに、京都ビギナーとして改めて感謝をささげます。

またまたハンガリー

難民大移動の映像は、ベルリンの壁が崩壊する直前、東ドイツから脱出した人々の姿を彷彿とさせます。1989年夏、東ドイツの人々を西へと逃がしたのも、ハンガリーだったのです。「ピクニック」を装って、オーストリア国境の鉄線を切りました。陸路での脱出です。事実上、ベルリンの壁は無効となったのです。その後、「自由列車」に乗って、チェコスロバキア経由で西ドイツへと人々は移動していく映像など、日本のジャーナリストにも大きな衝撃を与えます。テレビ局のスタッフも、起きていることを追うのが精一杯でした。あれよあれよという間に、ベルリンの壁崩壊、チェコスロバキア、ルーマニアと東欧各国で民衆革命が飛び火していくのでした。

当時の私は、始まったばかりの「サンデープロジェクト」で中継レポーターを週末に、平日の朝はFM東京でラジオ番組を持っていました。後者は自由にコメントできたにもかかわらず、現地の人々の涙の意味や起きていることの背景を説明できずにいたのでした。翌年春、番組改編を機に、東欧へ旅立ち、人々の声を集めるべく、ホームステイして歩くことにしたのです。

今回の民族大移動を機に、国際社会においてどんな変化が起きるのか。振り返れば、今年が歴史の転換点になることは間違いないでしょう。きっかけを作るのは、いつもハンガリー。気になりますね。

缶詰、腰掛、激痛の日々

3日間、某所で缶詰。番組審査に入っていました。コルセットが出来てくるのは火曜日なので、和服で。ぐるりと一周する帯板がコルセットの役割を果たすのです。

とはいえ、椎間板ヘルニアの私には、きつい作業でした。最終審査は全員で番組を観るので、じっと腰掛けていなければなりません。朝から夜まで、時折5分の休憩と食事のみ。腰痛の身には、なんと過酷な作業でしょう。しかも最終日は雨。痛みは気圧によるので、今日は特に辛いのです。

明日は病院で腰を牽引してもらわねば。