スパイは世界の常識

東南アジア在住の女性実業家が日本に来て摩天楼を見ながら、こうつぶやいた。 

「いつも思うんだけど、東京のビルの中で働いている外国人が、実はスパイかもしれないって、どうして皆、考えないのかしらね。日本人ってのんびりしているわよね」

そうなのだ。近代建築の父と慕われている建築家アントニン・レーモンドだって戦前、日本にやってきたとき、インテリジェンスとして働いていたことを示す文書をみつけた私は拙著『ワシントンハイツ』に記した。どこの国でも、スパイの存在は国民に知られている。

TBSが水曜日21時に放映したドラマ「アイリス」は、まさにインテリジェンスの物語だった。韓国では高視聴率を誇ったのに、イ・ビョンホンが主演する韓流ドラマにも関わらず日本で視聴率が伸び悩んだのは、日本人にスパイ物語が馴染まなかったと私は見ている。北朝鮮との緊張関係に置かれてきた韓国の人々に比して、日本人にはスパイに現実味がない、というよりアレルギーがあるのだろう。

私自身、ノンポリで平和ボケの学生だったのだが、世界各地を歩くうちに見方が変わった。だから、若者たちには言いたい。国外に出て、日本を相対化して見る目を養って欲しいと。

どんなに、こちらが嫌ったところで、現実にスパイは存在する。情報を集めて戦略を建てるのは世界の常識だ。私たちがぼーっとしている間に、日本はそうした国々に侵食されつつある。拉致問題だって根っこは同じ。結果、日本という国の存在すら危うくなっている現実を、私たちは直視せねばならない。

大国に飲み込まれない知恵

帰国してみると、中国問題で、東京にプチナショナリズムが広がっていた。

友人の実家の近所では、いきなり自民党のポスターを貼った家が2軒あるのだという。民主党に任せれば、日本が中国に飲み込まれると敏感に感じたらしい。そこは東京都下で一軒家が並ぶ地域である。

都心でも、あるビルの入り口で若いカップルの、中国が卑怯だという会話が聞こえてきた。それは飲み屋でもなんでもない昼間の日常会話である。

東京で中国人観光客が増えたのは数年前からの現象だが、彼らのマナーの悪さが鼻につき、日本の若者の間に嫌中感が徐々に広がっていた。そこに今回の騒動で、かなり若者のベクトルがナショナリズム的方向に移行している。

ヒステリックになるのは良くないが、しかし市井の人々が中国の脅威に敏感になったとすれば、いい傾向である。安易にアンチ自民で民主党を支持した人々には、それがどういう意味かを考えるチャンスになったであろう。反米感情の果てに待っているのは、中国に飲み込まれる日本の姿にほかならない。いまの民主党政権は、その地ならしをしているとしか見えない。

戦前からアメリカが日本をどうするかシナリオが存在したように、中国も着々と日本支配のシナリオを準備してきている。反米的左翼運動を展開してきたグループは、中国も同じ大国の癖(へき)を持っていることを理解しているのだろうか。

いまの日本に求められるのは、反米でも反中でもなく、小国として大国に飲み込まれない知恵なのである。それを持ち合わせた政党が存在しないことが悩ましいのである。