中間層の貧困化?

私が考えている相続税の改正は、「富裕層」の一定以上の金融資産に対してである。あくまで、預金や株に投資している分を消費してもらうことで経済を活性化することや、それでも貯め込んだ人には、その分に課税して政府の財源にまわすことが目的なのである。 

だが、今回、民主党政権が発表した内容だと、控除額の5千万円を下げるのだという。これでは、中間層を追い詰めることになるではないか。不動産や保険への課税は金融資産の半分だったはずだが、それでもローンを組んででも東京で一軒家を手に入れた人の場合、持ち出し、あるいは遺族の受け取った生命保険が相続税で消えていく可能性もある。 

「高所得者層への負担増」などという言葉は、いかにも平等社会を生み出しそうだが、この考えは中間層を貧困へと追い込むことになりかねない。他方、富裕層は温存されたまま、というのでは、格差社会を助長するだけだ。 

中間層に打撃を与える民主党政権。頑張った人間が報われず、逆に超富裕な人が優遇されていく社会に日本を持っていきたいのだろうか。それではまるで隣国と同じである。この勢いで、言論の自由まで奪われることになりはしないだろうか。

いや、それだけはなんとしても阻止しなければ・・・。要注意である。

手間隙かける美しさ

ジョージタウン大学にいたころ、韓国の男性外交官と議論になったことがある。何の文脈だったか、「日本のラッピングは過剰で無駄だ」と言い出したからだ。 

日ごろは仲良くアメリカ的価値に首をかしげていた私たちだったが、私はこのとき真顔で反論してしまった。「包装に手間隙かけるのは、日本の文化である」と。 

もちろん、デパートなど日用品の買い物での過剰包装は認めるが、彼の話は、ギフトにおいて、丁寧に包みすぎることが時間の無駄だということだった。

 日本人が丁寧に包装するのは、相手の立場に立って、開けるときの気持ちを想像するからだと考える。受け手もまた、包みを開けながら贈り手の真心を感じ取る力があるからに他ならない。

 中元歳暮もさることながら、香典返しひとつとっても、ただ送りつけるのではなく、何を贈られれば嬉しいか。日持ちがして、収納するのにかさばらず、価値あるものを捜し出し、思いが伝わるラッピングが施されていることこそ、意味があるのである。

 一筆書き添えられていない年賀状に興ざめするのと同じように、少なくとも、受ける側には、その手間隙を汲み取る感性は備わっているのだ。

 相手が喜ぶよう思いを馳せ、そのためには手間隙かける美しさ。これは先輩たちのコミュニケーションにおける知恵であり、日本の誇るべき文化だと私は考えている。 

財源は富裕層の相続税で

素人の浅知恵ながら、財源確保について考えてみた。 

まずは、富裕層の相続税値上げから始める。不動産は50%のままにして、金融資産の3億円以上には、80%の相続税を課すのはどうだろう。それなら生前に貯め込むより、不動産などを買ってお金を流通させるほうが賢明だと考えないものだろうか。結果、経済は活性化するし、外国人による土地不動産の買占を減らす効果も出るはずだ。

 ただし、暖簾を継ぐ子どもや、数年間、在宅介護にあたった子どもには、特例措置を設ける必要がある。現行の法律では、財産は子どもの間で均等に分けられることになっているが、親への貢献度で多く受けとれるようにすべきだ。

 現行の法律では、5千万円+相続人一人につき1千万円まで非課税である。それ以外に富裕層の金融資産3億円を、たとえば3人の子どもが均等に受け取ったとしても、一人に1億円はいくわけだから、それ以上には100%課税してもいいくらいだ。

 とはいえ、日本の場合、親の金融資産はある種、子どもより優位に立つための手段でもあるから、3億以外に自分で自由になるお金は手元に残しておきたいだろう。その意味で、80%としてみたのだが、十分な年金があれば、それも必要ないかもしれない。あるいは生前に毎年、国家に定額寄付をした人にのみ、将来、国家による優雅で手厚い介護が受けられる富裕層向のシステムを構築するというのも悪くない。

次の段階として、以前から主張している「パラサイト税」があるのだが、この話はまた改めて。、

またまた残念なこと

一昨日は久しぶりに東京で穏やかな日曜日を迎えた。あちらこちらの神社で結婚式が執り行われ、新郎新婦そして親族による写真撮影に忙しそうだった。結婚式は神社の重要な収入源。占領期、GHQの神道指令によって、神社は政府の手を離れ、自分たちによる経営を強いられてきた。

某神社では、神殿前で親族の写真撮影が行われ、賽銭箱が脇に置かれていた。つまり、参拝客は新郎新婦と親族に向かって拝まねばならない。祝福したい気持ちはあるが、ご神体の前に立ちはだかれるのには抵抗がある。しばし境内を散歩して待つことにした。

残念なのは、撮影の後である。せっかく皆が手を合わせているのに、ドタバタ音を立てて片付けるスタッフの神経はいかがなものか。都会の喧騒の中、神社にいるときくらい静かで厳かな気持ちでいたいのに、参拝者の思いが理解されず、残念でならない。

そして昨夜はエンジン01教育委員会。鹿児島産牛肉の店が会場だった。私のテーブルでは山本益弘さんが焼いてくださり、数十倍にも美味しく頂戴できた。「山本先生にそんなことをしていただいては」と誰もが焼こうと試みるが、いやいや、下手に誰かが焼いたものを食するのは、益弘さんとて嬉しくはない。こういうときは、素直にお任せして、幸せになるのが一番である。

教育の話といえば、ゲストスピーカーとして来てくれた文部科学省の人たちと議論白熱。大いにに盛り上がってしまった。一人一人はこんなに熱心に子どもたちの未来を考えているのに、それが生かされない日本の現状は、やはり悲しくて残念である。

銀行から茶室が消えた日

かつて銀行の幹部だった方から、興味深い話を聞いた。ある時期まで、どこの銀行でも支店には必ず茶室があったというのである。社員教育の一環だったのであろう。男性行員は茶室でお茶を点て、女性は華道のお稽古をしていた。帰りには、花材を筒のようにまとめて銀行から持ち帰る姿が当たり前だったのだという。

 だとすれば、茶室はいつその姿を消したのだろう。戦後、日本の住宅から畳が消えたことはGHQによるアメリカ化政策と無関係ではないが、銀行などの企業にまで、その影響が及んだということだろうか。あるいは行内の左翼グループが働きかけたのだろうか。

銀行が茶室を無用のものとした時期は、多くの日本人が日本的なるものから目をそらし、腑抜けになる第2の転換点だったかもしれない。

その時期がいつで、その理由が何なのか。調べる価値がありそうだ。

ラジオ深夜便の反響

木曜日早朝の「ラジオ深夜便」を聴いて下さった多くの方々から、NHKにも書店にも問い合わせを頂いたそうです。関心を持ってくださり、ありがとうございます。

ご注文いただいた『ワシントンハイツ』は来週早々、新潮社から書店に届く予定です。しばしお待ちください。

ラジオ深夜便 ON AIR

夕べは小倉一郎さんの俳優生活50周年を祝う会に出席。会津の末廣の樽酒を頂き、帰宅したころには世の中がぐぅるぐる。帯を解いて、ソファになだれ込む。ベッドで熟睡して、寝過ごすのが怖かったからだ。

朝は4時に起き、ラジオ深夜便を聴く。生放送ではなく、収録した番組で自分が話したことを聴くのは勇気がいるのだが、リスナーの立場で聴かねば、成長も進化もない。おかげで、しっかり目が覚めた。

それから、京都取材の荷物のパッキングを始める。朝7時過ぎの新幹線に乗らねばならぬ。カメラや携帯、もろもろの充電が間に合わず、新幹線でも交替に充電を続け、眠る余裕がないままに京都駅着。

そして夜。取材が終わり、疲れ果てている。テレビでは80年代のビデオクリップが流れている。ブルース・スプリングスティーンやビりー・ジョエルと、懐かしい面々。そういえば、昨日も一昨日も、それより古いオールディーズ漬けたった。それについては、また改めて。

菊池寛賞授賞式

あったかい。12月とは思えない暖かさ。ベランダの楓はすっかり黄金色になり、しかし、早々に何葉も色鮮やかなまま砂利の上に重なっていた。

きのうの朝の激しい雨と、その後の風に揺さぶられ、青山墓地の桜の葉も枝から離れた。墓地を南北に貫く道の風景は、すっかり冬枯れのよう。なのに、この暖かさに、心もからだも戸惑ってしまう。

昨夜は菊池寛賞の授賞式に出席。染司「よしおか」の当主であり、源氏の色の研究者・吉岡幸雄先生が受賞されたからだ。

かつて「よしおか」の東京支店が西麻布にあり、月に一度、先生の講義を聴きに通った。日本の色や伝統について、吉岡先生から多くを教えていただいた。その断片は、archives→日本の真髄→ニッポンの色に記されているので、ぜひご高覧を。インタビューの際、先生と一緒に撮影させていただいた写真が、当時の西麻布の「よしおか」である。

お父上は、帝王紫の研究の第一人者。親子二代で色の研究に勤しまれ、すばらしいの一言に尽きる。改めて、おめでとうございます。

ちなみに、お父さまの研究された貝紫の帯は、右上のkimono→2009年10月で見られます。

週末ラジオで『ワシントンハイツ』

東京に帰ってみると、ベランダの楓がようやく色づいていた。東京は実にあったかい。

週末は丹後と京都を取材して歩いていたので、先々週に収録した番組のオンエアを自分では聴いていない。よって、編集でどこが採用されいていたか、話の内容はわからない。

安藤和津さんが文化放送「TEPCO トークマルシェ」のホームページに放送後記を書いてくれたことから判断するに、主婦時代の話が出ているようだ。どうやら今でも片づけが得意と美しく誤解してくださった模様。

私が家事をてきぱきこなしたのは、20代に結婚していたころのこと。一人で生きるようになって、誰に気兼ねすることなく、私物はどんどん増える一方。モノの散乱ぶりは、ひどいものである。さすがにダウンサイジングを試みようと、京都の書店で片付けのノウハウを記した本を買い込んで、新幹線で読んできたくらいだ。

JWAVEのBOOKBARでも『ワシントンハイツ』を取り上げてくれたらしい。杏さん、興味を持ってくださり、ありがとうございます。機会があれば、お目にかかってお礼を申し上げたい。

砂の畑

 

 丹後には砂地の畑がある。なかでも手をかけた農家の作物は、とりわけ美味。そういえば、三浦半島でスイカや大根が育てられているが、あれも砂地の畑産なのだろうか。写真の上は白菜、下は大根。