最近は、すっかりアボカド中心の日々である。牛乳と一緒にミキサーに入れ、スイーツが良ければ糖分を加え、食事モードならコンソメを加えるといった具合だ。
インドネシアでアボカドスイーツに慣らされた後、LAではメキシカンばかり食べていたので、アボカドなしでは淋しいのである。
写真は、LAで友人が連れて行ってくれた老舗のメキシカン・レストランで、ワカモーレを作ってもらっているところ。美味しくてたくさん食べると、メイン・ディッシュが入らなくなる。こういうのは、東京では食べられない。
北海道と九州が「中国人観光客をノービザで入れる」計画があるのだという。
気は確かなのか――。
数日前の朝、ワイドショーでこれを聞いたときには、わが耳を疑った。誰がそんな愚かなことを考えたというのだろう。九州や北海道の人々の安全は考慮されているのか。いや、これは日本全国の治安問題である。
しかも、中国の運転免許証で自由にドライブできるのだという。日本の交通ルールを知らない中国人が運転して交通事故が起きたとき、誰が責任をとるというのだろう。これには、さすがに「大丈夫?」と森永卓郎さんがつぶやいたが、スタジオでは誰ひとり異論を声高に発言せずに、次の話題へと移った。
ビザを取得できる中国人だから、日本に来て買い物をしてくれるのだ。ビザなしということは、貧しい人(=お金を落としてくれない人)も、略奪する人も、不法滞在者も犯罪者も含まれる。一度入国したら、九州北海道だけでは終わらない。日本全国に移り住み、窃盗が多発し、善良な日本市民が犠牲になる。麻薬だって、いくらでも持ち込める。
これは、政府が来年創設を目指している「総合特区制度」を受けた流れで、九州観光推進機構は「九州アジア観光戦略特区」を、北海道観光振興機構は外国人の就労規制を緩和する「北海道観光インバウンド特区」を申請しているのだという。
九州については「九州内の離島やハウステンボスなど特定地域に限定して」というが、そのまま離島に住みついた場合、どうなるのだろう。数少ない島の人々が、言葉も通じない中国人がいきなり大挙して住み着いたとき、どうやって共生できるというのだ。
他方、北海道観光振興機構も、ホテル従業員として働きやすいよう外国人の就労規制を緩和するというのだ。これでは、北海道が中国化するのは時間の問題である。既に、北海道の土地不動産は中国人に買われている。中国人がホテルを建設しても、雇われるのは日本人ではなく、本土から呼び寄せた中国人だ。
中国人のノービザ入国問題は、親中総理の福田政権でも浮上していた。放っておけば、現政権下では通ってしまいそうだ。このまま見過ごしてもいいのだろうか。
少なくとも、九州と北海道で暮らす市民の了解を得ることが先決であろう。それを受けいれるなら、犯罪対策など、あらゆる事態を想定をして、心の準備をしておく必要がある。想定の作業は、メディアの仕事である。
どうか目先の「地元の利益」という言葉に踊らされないでほしい。必要なら、ビザを持つ中国人を一人でも多く呼び込むよう知恵を絞ればいいではないか。
昨夜、NHKハイビジョンで、バーンスタイン特集を見た。映画「ウェストサイド物語」が新鮮だった。というより、この映画のテーマがわかっていなかった自分に愕然とする。
最初に劇場で観たのは中学生のときだっただろうか。次は20代前半で観ているはずだが、単なる不良グループの縄張り争いという記憶だけで、本質がちっともわかっていなかった。二度目はテレビで、吹き替えで観たからかもしれない。
バースタインの楽曲と、振り付けの素晴らしさに、つい目を奪われてしまうのだが、これは「移民」の物語なのだ。英語でmigrants を連発しているのに、字幕の「よそ者」という訳に、プエルトリコ人だけが肩身の狭い思いをしていると捉えたらしい。
よくよく見れば、相手はイタリア系移民。WASPに虐げられたマイノリティの物語だというのに、当時の私はイタリア人はほかの欧州人同様、アメリカ社会に同化していると思い込んでいたのだろう。そういえば「ゴッドファーザー」を観たのは、いつだったのだろう。うーん、若かったとはいえ、アメリカという国の成り立ちを理解していなかった自分の無知が恥ずかしい。途中で「トニーがポーランド移民」と兄がマリアに語る場面でさえ、聞き逃したに違いないのだ。
それにしても、バーンスタインは凄い。1990年、ベルリンの壁が開いて半年後の「プラハの春音楽祭」で彼がタクトを振るのを見たことがあるが、作曲家としても、ピアニストとしても、半端でない才能の持ち主である彼に、改めて拍手してしまった。
同時に、ついつい体が動きだして踊っている自分にも驚く。「19の手習い」で25歳までモダンバレエを習ったのだが、2年目の発表会でいきなりジャズダンスを振付けられ、「クール」を踊ったのである。若いころ身体に叩き込んだことは、体が硬くなった今日でも音楽に反応する。もっと幼いころから習っていればいまごろ、さぞかし身のこなしが美しかったに違いない。
いや、いまからでも遅くない。少し肢体を鍛え、根底に流れる歴史的背景を把握すべく映画を見直してから死ぬ、というのも悪くない。そう、ハリウッド映画には深いメッセージがこめられているのである。
東南アジア在住の女性実業家が日本に来て摩天楼を見ながら、こうつぶやいた。
「いつも思うんだけど、東京のビルの中で働いている外国人が、実はスパイかもしれないって、どうして皆、考えないのかしらね。日本人ってのんびりしているわよね」
そうなのだ。近代建築の父と慕われている建築家アントニン・レーモンドだって戦前、日本にやってきたとき、インテリジェンスとして働いていたことを示す文書をみつけた私は拙著『ワシントンハイツ』に記した。どこの国でも、スパイの存在は国民に知られている。
TBSが水曜日21時に放映したドラマ「アイリス」は、まさにインテリジェンスの物語だった。韓国では高視聴率を誇ったのに、イ・ビョンホンが主演する韓流ドラマにも関わらず日本で視聴率が伸び悩んだのは、日本人にスパイ物語が馴染まなかったと私は見ている。北朝鮮との緊張関係に置かれてきた韓国の人々に比して、日本人にはスパイに現実味がない、というよりアレルギーがあるのだろう。
私自身、ノンポリで平和ボケの学生だったのだが、世界各地を歩くうちに見方が変わった。だから、若者たちには言いたい。国外に出て、日本を相対化して見る目を養って欲しいと。
どんなに、こちらが嫌ったところで、現実にスパイは存在する。情報を集めて戦略を建てるのは世界の常識だ。私たちがぼーっとしている間に、日本はそうした国々に侵食されつつある。拉致問題だって根っこは同じ。結果、日本という国の存在すら危うくなっている現実を、私たちは直視せねばならない。
帰国してみると、中国問題で、東京にプチナショナリズムが広がっていた。
友人の実家の近所では、いきなり自民党のポスターを貼った家が2軒あるのだという。民主党に任せれば、日本が中国に飲み込まれると敏感に感じたらしい。そこは東京都下で一軒家が並ぶ地域である。
都心でも、あるビルの入り口で若いカップルの、中国が卑怯だという会話が聞こえてきた。それは飲み屋でもなんでもない昼間の日常会話である。
東京で中国人観光客が増えたのは数年前からの現象だが、彼らのマナーの悪さが鼻につき、日本の若者の間に嫌中感が徐々に広がっていた。そこに今回の騒動で、かなり若者のベクトルがナショナリズム的方向に移行している。
ヒステリックになるのは良くないが、しかし市井の人々が中国の脅威に敏感になったとすれば、いい傾向である。安易にアンチ自民で民主党を支持した人々には、それがどういう意味かを考えるチャンスになったであろう。反米感情の果てに待っているのは、中国に飲み込まれる日本の姿にほかならない。いまの民主党政権は、その地ならしをしているとしか見えない。
戦前からアメリカが日本をどうするかシナリオが存在したように、中国も着々と日本支配のシナリオを準備してきている。反米的左翼運動を展開してきたグループは、中国も同じ大国の癖(へき)を持っていることを理解しているのだろうか。
いまの日本に求められるのは、反米でも反中でもなく、小国として大国に飲み込まれない知恵なのである。それを持ち合わせた政党が存在しないことが悩ましいのである。
西海岸取材を終えて、本日帰国。あちらで書き溜めたブログ前半を一気にアップします。写真は追って送ります。
早朝の飛行機に乗り、SFの空港に着く。ホームステイ先も確保できていないので、ウェブ上でNGだったホテルに電話してドタキャン枠を探す。結果、バークレーの小さなホテルでOKが出た。これで取材先に向かえる。ホームステイプロジェクトも解除。
ところが、取材中に電話がなり、オーバーブッキングだと伝えられる。冗談じゃない!しかし、インタビューの途中に取り乱すわけにもゆかない。代わりに、バークレーの会員制のホテルを手配したが、クレジットカードの情報を流してもいいかと聞いてきた。もちろん、ホームレスにならなければ大丈夫。
これが瓢箪から駒。著名な建築家が建てた歴史的建造物だった。どうやらモーガン家のものだったらしい。夜はロビーにあるアンティークのデスクでPCを広げた。デルフィニウムと紫陽花とともに生けられたカサブランカの香りに包まれると、賢くなった気になる。
翌朝、中庭に出る。ここに植えられた熱帯植物を見ると、ここはカリフォルニアだと気づく。少し肌寒くなったので、朝食をとる。ゆったりと流れる空気が欧州風だ。
このままこの空間で原稿を書きたいけれど、ゆくべきところが・・・。