祇園祭2020 神さまが氏子地域をめぐる「神霊渡御祭」

担ぎ手の密を避けるために、神輿が出ない祇園祭2020.宮本組と神職によって、神さまが氏子地域25学区をめぐってくれました。有難き事。

かくいう私も氏子地域で暮らしている。この日にまわるとは聞いていが、コースも時刻も非公開。公にすれば密になるという論理は理解できる。が、近くを通ったら手を合わせたいのが氏子の心情。でも、いつなのか、タイミングがわからない。ようやく入手した情報だと、21日で、うちの学区は4番目に書かれている。ならば暗くなってかもと家にいたら、ドーンと太鼓の音が。あれ、もう、いらしたの? 外に飛び出したときには時すでに遅し。実は高倉通を進んでいたのに東洞院通に出たのが仇になり、探しても探してもみつからない。

で、御池通りの北を歩いていたら、背広を着た白髪の紳士に出会った。もしかして、神さまをお迎えするのですか? そうです、18時20分の予定なんですが。と言われた矢先、向こうからご一行が歩いてきた。予定より30分も早く。

そのときの様子です。神さまに手を合わせたいやら、撮影したいやら、忙しい私。いつもは、24日に東洞院通をお神輿が北上していくので、それを待つ。御旅所に通って7日間、毎晩手を合わせるだけでなく、住まいの近くにいらしたお神輿に手を合わせるのがなんともうれしい。だって、神さまが鴨川を渡って、西の氏子地域をめぐってくださるのだから。

2020年7月 祇園祭の茶会

今年は山も鉾も建たなかったので、私が駒形提灯を帯で運んでいました。

22日の夕方の席では、床に、八坂神社の粽「蘇民将来子孫也」。八坂神社と綾戸國中神社のお札。八坂神社は、素戔嗚尊の和魂、綾戸國仲神社は荒魂。本来は、綾戸國中神社のお稚児さんが馬にまたがって八坂神社境内に入るまで、神輿は出してはいけないと伝われています。

2020年8月 仁風庵へ母の上布に朝顔の帯で

初めての仁風庵。鯉山町にある山本仁商店さんのご自宅で、国の指定有形文化財でもある。岐阜で創業した山本仁商店は、大正時代に京都に進出。白生地屋から染色業へ。本宅は、昭和初期に建てられたらしい。1階のお座敷とお庭に目を見張ったまま、2階へ。洋間で三友居さんのお弁当を頂きながら、インテリアに、またまた溜息。下のお茶室で冷たい緑茶を一服。何もかにもが素晴らしい。

母の上布、この数年袖を通していなかったら、茶色いシミが目立つようになっていた。雪晒に出した方がいいだろうか。いつもは桜色の無地とか博多帯を合わせているのだが、今年は朝顔を合わせてみた。

祇園祭2020 大丸京都店にて、祇園祭鉾前で日傘を選ぶ

大丸京都店は長刀鉾町にあります。例年、ウインドウや売り場に、さまざまな鉾が展示されるのです。1階の売り場はもとより、地階や浴衣売り場など、分散されていますが、コロナ禍の今年は、1階に集中していた気がします。

7月も終わりに近づくとセールが始まるので、日傘を購入。記念に、お店の方に撮影してもらいました。

祇園祭2020 宵山のお茶会@太子山秦家

祇園祭宵山を秦家で過ごしました。なんて贅沢なことでしょう。岡崎にある好日居の横山さんと、薬種問屋の末裔、秦めぐみさんによるお茶会だったのです。

ここは太子山町。祇園祭の山鉾町の中でも最も西南にあります。例年なら、路地には駒形提灯が飾られ、秦家がお店の一部を会所飾りに提供し、聖徳太子像が祀られるのです。今年は山鉾は出ませんでしたが、ご自宅で聖徳太子のお軸と鬼子母神さんを祀られ、静かにお茶会が催されました。

聖徳太子と秦氏の関係は、歴史に詳しい人ならご存知ですよね。太秦だけでなく、このあたりにも16世紀から白生地屋を営む秦氏たちが暮らしていたようです。

祇園祭2020 宵山の献茶式と長刀鉾による祇園囃子 龍文の帯で

コロナ禍で、静かに斎行されていた祇園祭。お献茶式は予定より早い時間から始まり、その合間に、長刀鉾による祇園囃子が奉納されました。例年なら、その日の夜、山鉾巡行の無事を祈って、23時ころに奉納されるのですが。お献茶式も、最低限の関係者でのみ、本殿で粛々と行われたのでした。

神さまは前日にお神輿に遷られています。手を合わせて、帰宅したのでした。

長崎原爆忌

今朝は長崎からの中継。コロナ禍の日曜日ゆえ、多くの人が見ているといいのですが。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、核廃絶を望みます。

そんな季節に、レバノン爆破。気になります。

広島原爆忌

広島からの中継を見ています。改めて、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

原爆開発に20億ドル、焼夷弾とB29 開発に30億ドル。アメリカ空軍の独立をかけた空の男たちの彼岸が、米軍を成果主義にかりたて、結果、日本が火の海になりました。詳細は新潮文庫の『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』に書きましたので、ぜひご高覧ください