東京女子大の同窓生が中心の「華の会」からお招きを受けて講演。9月7日ゆえ、まだ羅物です。文様は秋草、萩と桔梗が描かれています。
帯は祖母の蝶文、絽です。萩には蝶が宿ることを京都に来て知りました。だから、この着物には赤か藍の蝶紋を合わせています。
会場は東京のビルの中。しかし写真を撮りそびれたので、数年前のものをご紹介、亀岡の楽楽荘にて。
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
足の指にヒビが入り、歩行困難状態、引きこもりです。当分、靴も草履も履けません。
22日にぶつけて患部がどこかよくわからないまま、万が一ギブスをはめられると動きがとれないので医者には行かず、24日、朝の山鉾巡行から夜中の還幸祭まで、指が当たらない下駄ばきで走り回ったのですが、翌日レントゲンをとると、やはりヒビ。場所がずれていたら手術だったと脅されました。びっこひきひき牛歩状態につき、昨日は東京の会議も欠席。次第にズキズキ痛みが増してきて、京都宅にて籠城中。
例によって治療に最低3週間と言われていますが、痛みが引いたら、左足に白い包帯撒いて、右足は白足袋で、タクシー移動ならお茶会には行けるかもと目論む前向きな私。治療用スリッパに呼応する水色のお草履を、この春、ない藤さんの蔵出しで購入したのを思い出しつつ。
巡行の朝。新町通から御池通に進む鉾を追いかけました。
まずは北観音山。六角の浴衣。そして、南観音山が追いかけます。最後は大船鉾。今年は龍頭が先頭に載っています。御池が混雑しているときの待ちが狙い目。停まっているので、撮影しやすいです。
ペイズリー柄の浴衣は地味ですが、関係者と間違えられるので、叱られにくいメリットがあります。
前祭の山鉾巡行と同じ新町通。後祭の北観音山と南観音山、大船鉾の曳き初めが行われる。
この日は吉田塾受講生として、北観音山の曳き初め、もしくは無名舎2階からその様子を鑑賞することが許されている。最初は2階から鑑賞、その後曳き初めに加わった。
山鉾巡行の見どころはいろいろありますが、最も優雅なのは、新町通の京町屋の二階で、巡行を終えた鉾が南下していくのを見ることでしょう。それには、ご縁がなければ、そこに入ることができない、ある種の特権なのです。今年はそれがかない、しかも浴衣姿の芸妓さんたちとご一緒できたのです。
四条烏丸で山鉾の出発を撮影した後、新しい浴衣に着換えて、楽しみモードに切り替えた今年の巡行でした。
17日の朝。山鉾巡行先頭を行くのは長刀鉾。町会所前から四条烏丸交差点真ん中に長刀鉾を移動させて、お稚児さんが乗るのを待ちます。
強力の肩に乗ったお稚児さんに注目が集まります。今年のお稚児さんは自然体で表情豊かだけど、この瞬間はさすがに少し緊張気味。強力さんが左、右と皆さんにお披露目して、鉾に載せました。このシーンは巡行最後、新町御池で降りる瞬間にも見られます。
一昨年までは、しめ縄斬りの瞬間を撮影するために麩屋町におりましたが(2時間前から陣取り)、昨年からは四条烏丸で、この瞬間をしかと見届けます。
巡行の日、私は脚立持ってカメラ持って走っております。浴衣着ていれば、他の方のカメラにフレームインしても、映像を台無しにしないので。私なりの気遣い。