変わり三つ巴紋 片身替 @祇園祭宵山

またまた先月の写真で恐縮ですが、

#山鉾連合会 元理事長・#吉田孝次郎 先生と、#祇園祭 の #後祭宵山#北観音山の駒形提灯 を眺めつつ。祭友の菊約さんが撮影してくれました。

#変わり三つ巴文#片身替わり
こちらもコーデが難しい浴衣。苦しみました。

誉田屋さんスタッフ総勢で、アキオ向き、と強く勧められたものの、浴衣としては??。たしかに、この色使い、洋服なら私に似合う色で、緑の箔も面白い。が、帯がイメージできず、かつ祇園祭の山鉾との相性がいいとは思えず。ひとつ間違えば、東南アジアの市場着のようにもなりかねず。

でも、三つ巴文は八坂神社の神紋で祇園祭にふさわしく、片身替わりが新鮮だったので、挑戦してみましたが。うーむ。

で、帯が気になりますよね、、、。

芭蕉文の浴衣の金魚の帯で曳き初め

先月の写真で恐縮ですが、
#岩戸山の曳き初め後
浴衣姿の男子が写り込むのは貴重な瞬間。
観光客のオジサンがフレームインすると興ざめなんです。短パンや登山のような服装が多いので、祇園祭の雰囲気が台無しになります。皆さん、もっとオシャレして来てね。
#芭蕉文 の浴衣は #紫織庵 製。#山鉾の前で映える ので #祇園祭 に何度も着ています。少し飽きているにもかかわらず引っ張り出したのは、水玉が描かれていて、#金魚の帯 の前部分、#水泡 と呼応するから。
後ろのお太鼓、金魚です。子どものころ、デメキンとからかわれたことがあるので、絶対に金魚文には手を染めないつもりでした。が、誉田屋さんスタッフに説得されて、つい。藍の着物には合わせられます。

三宅一生さんのご冥福をお祈りします 1

ドイツ語のプリーツプリーズの本に、20世紀末の私のマンションの様子が掲載されています。カメラマンの都築響一さんの連載「着倒れ方丈記」プリーズプリーツ編で取材を受け、それが転載された形です。写真はママでなく、一部を掲載(母の形見となった桐たんす、削ったばかりでピカピカです)。
なで肩の私はキャスター時代、肩パットのある服を選んでいました。NHK「ナイトジャーナル」では、ティエリー・ミュグレーを購入していたのです。高島屋がライセンス契約をし、スーツなど日本人にあうデザインが豊富にあったころです。
その後、週一の関西テレビ通いと東南アジア取材モードになると、プリーズプリーツが主流になります。アジア圏では足を隠せるロングスカートが好ましいのと、移動にかさばらないのとで。(民放はクレジットが入るので、番組衣裳はスタイリストさんが借りてくれていたので)。
このプリーズプリーツ、東京では最初、クリエーター系女性の服で、どこか遠い感じでした。制服と呼びたくなるほど、パーティに行くと、お姉さまたちが黒のドレスに身をまとっていたのです。次第に色のバラエティが増え、私にも似合う色が制作されるようになって、この世界にはまっていきます。
東京の「よしおか」でも講座を持っていらした染司の吉岡幸雄先生には、「からだに優しいシルクを着るべき、アキオさんみたいに化繊を着たらあかん」と嫌味を言われていましたが、プリーズプリーツのワンピとカーデガンのコーデ・エクササイズは、和服の帯と着物のコーデの基礎になっています。
いまでも手元に残しているのに、なぜ着ないかって? お腹が出ているからです。プリーズプリーツは着る人のフォルムに忠実です。特にワンピを着ると、おなかの出っ張りが仇となるのでした。
ドイツ語版のこの本に登場する面白い柄、ほとんど私の手元にあるの、恐ろしいです。少し涼しくなったら、ご供養の意味でも、久しぶりに袖を通してみましょうか。おなかを引っ込める努力とともに。
表参道のお店でイッセイさんと交わした会話については、また改めて。
合掌

お誕生日メッセージありがとうございました

8月10日、無事に誕生日を迎えることができました。メッセージをくださった皆さま、ありがとうございます。ゆっくりお返事致します。もう少しお待ちくださいませ。

体温が37度を超えて焦った誕生日直前。集中力なく、SNSに反応する気力なく、かなり心配したのですが、すぐに熱は引いたので、熱中症の可能性も鑑み、まずは引き篭もり。

近所のかかりつけ医院では、インフルのときにバイ菌のように扱われた屈辱的経験があり(高齢の担当医不在で女医さんが対応)、悪化したときは、どこに駆け込もうかと悩んでおりました。しかしながら、誕生日には熱が下がって一安心。家でおとなしくしています。

さて、毎年、誕生日当日に撮影した等身大のポートレートを掲載してきましたが、病み上がりの顔がいまひとつ。おまけに自撮りが下手な私。そこで、先月開催された祇園祭後祭の写真をアップします(撮影は、北観音山で遭遇した浮羽ひろみさん)。