後祭の山鉾巡行も終わり、祇園祭もひと段落。神輿洗と疫神社の夏越の祓を残すところとなりました。
土用の丑のころに行われる足つけ神事「みたらし祭」に行ってきました。地下からくみ上げる冷たい水の中に足をつけると、キーンと身が引き締まります。穢れを落とすのが目的の神事。本殿に手を合わせた後、水の中へ。
装いは、ユニクロ製向日葵文の浴衣にラピスラズリ色の付け帯。裾をたくしあげて水に入っているとはいえ、濡れていもいい対策。
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
後祭の山鉾巡行も終わり、祇園祭もひと段落。神輿洗と疫神社の夏越の祓を残すところとなりました。
土用の丑のころに行われる足つけ神事「みたらし祭」に行ってきました。地下からくみ上げる冷たい水の中に足をつけると、キーンと身が引き締まります。穢れを落とすのが目的の神事。本殿に手を合わせた後、水の中へ。
装いは、ユニクロ製向日葵文の浴衣にラピスラズリ色の付け帯。裾をたくしあげて水に入っているとはいえ、濡れていもいい対策。
後祭の巡行は、御池通から始まります。新町通を、八幡山、北観音山、南観音山、大船鉾が北上していきます。今年はそうした山鉾を追いました。
かつて新町通にある大きな町屋には、鉾見台が設けられていました。いまでも前祭では山鉾が新町通を下っていく様子をお見せする家もあるようですが、私は後祭の朝、出発の山鉾を拝見させていただきました。太い電線が大いに邪魔なのですが。
お向かいがマンションに変わってしまい興ざめですが、大船鉾の大きさ、おわかり頂けるでしょうか。大船鉾が通過した後は、私も新町を北上。渋滞している大船鉾の横で記念撮影。ここからも規模が伝わるかと思います。
その後は、御池通の様子をつぶさに観察。
無言詣最終日。家からお神輿のいる御旅所までの往復、誰とも口をきいてはいけないので、撮影してくれる友人には、自宅マンションの玄関から一言も口をきかず、勝手にあとをついてきてもらいました。宵山の山鉾巡り、一旦帰宅してからの無言詣り。7日間欠かさず通し、疲れ果てました。明日は巡行。朝早いのです。
早起きすれば、人も少なく、いい写真が撮れるはずと張り切って出かけてみれば、な、なんと大船鉾にビニールがかかっているではありませんか。皆が集合する10時にならないと、ビニールははずさないのだと言われてしまいました。
気を取り直して北上。南観音山へ。観光客は少ないけれど、自転車と自動車が時々。京都人の日常の営みの風景がそこにありました。
少し遅れて、山が次々建てられます。
写真は黒主山。やはり観光客の少ない朝に、山々を巡りました。
曳初の後、吉田孝次郎さんのお話を伺いながら、しばし談笑。吉田家の2階から曳初を拝見できたのは、NPO美しい京都が運営している「吉田塾」の塾生だからなんです。
吉田家の名物「六角」を頂きながら、軽くアルコールも加わったせいでしょうか。話が弾み、乙女たちが笑いこけております。
3枚目の写真は、私目線で膝の上を撮影。「六角」は北観音山が六角町であることからご先祖が編み出されたようですね。私自身も六角の描かれたガーゼ手ぬぐいを持参、吉田家の家紋「オモダカ文」の浴衣、扇子も含めて、北観音山の法被と同じターコイスブルーでコーディネートしています。
後祭の鉾建ては順次進んでいるのですが、曳き初めの朝は、特に騒がしくなります。懸装品をつけ、車輪をつけて動くようにせねばなりません。そんな山鉾巡りの朝の風景です。