危機管理を養うには

今週は毎晩、会食モード。外出を控えると気がめいるので、積極的に人に会ってきた。思考回路が活性化して、元気になる。そういう友人を持てたことが、ありがたい。その中の一人が言う。

 「この前、秋尾さんが言っていたあの話、タクシーに乗るたび運転手さんに話すと、大うけですよ」 

「あの話」とは、東京電力では役員になったら必ず、家族と両親を原発の近くに住まわせることを義務付けておくべきだったという私の考えである。家族が人質なら、真剣に危機管理に知恵を絞る。もちろん、ほかの電力会社にも当てはまる。

 危機管理という言葉は、東京電力にも原子力安全委員会にも存在しなかったのではないか。安全、安全と自己暗示にかけて詐欺師と同じメンタリティになっていたとしか思えない。

 水位が下がっていることを危ぶむ声は反対派から出ていたという。なのに、それを放置していた経営者の責任は大きい。

 そもそも米軍並みの防護服がなぜ存在しないのか。一度に100着そろえればコストがかかるが、1年に10枚ずつなら、10年で十分な数が購入できていたはずだ。下請け企業の人であっても、その防護服を着用させれば、被爆という事故にはならずに済んだのではないだろうか。

 福島においては、このまま放水による冷却を続けるしかないという。また大きな地震が来たら、どうすればいいのか。こうなると、日本国民が全員、人質にとられたようなものだ。

せめて周囲をセメントか鉛で巨大な煙突を作るような形で覆うような方法はとれないだろうか。飲み水だけなら我慢ができるが、水道水で食器も洗えないとなれば、ノイローゼになりそうだ。

節電

両親が名古屋人だったおかげで、子どものころから節約観念が身についている。部屋の電灯のつけっ放しも、歯磨きの間の放水も、母が許さなかった。おかげで、新婚家庭に招かれても、案内された部屋を去る際、つい癖で電灯をスイッチオフにしてしまい、呆れられたことがある。

 エアコンが苦手ということもあるが、夏は滅多に冷房はつけず、少し除湿をする程度。冬もエアコンには頼らず、部屋では厚着をしている。本当に寒ければ、ガスストーブ。電気のお世話にはならない。

 計画停電情報に振りまわれた人も多いだろうが、これを機に節電が身につけば、それも進化というものだ。何も「大臣」など立てなくても、日本国民は十分に賢い。

 コンビニのネオンが消えただけで、私たちがどれほど電力を過剰消費してきたか、気づいた人も多いはずだ。東南アジアの国々は首都でもあっても薄暗い。これからの日本は、明るすぎない都市空間に、徐々に慣れていくことになるだろう。

備えあれば・・・

モノだらけの部屋を見て、反省。主婦経験が災いして、安いものをまとめ買いしたくなる。おまけに思い切って捨てられない。最悪だ。

おかげで、しかし被災グッズがあれこれ私の家には存在した。少なくとも懐中電灯と笛と軍手、水運搬パックはベッドサイドにあった。

 「笛はどこで買ったの?」と友人に聞かれても、思い出せない。こうした被災グッズを備えていたのは、阪神大震災を取材したからだ。瓦礫の中でも笛があれば、生存を伝えられると知った。それでも、ここ数年は、危機意識が薄れていた。

 早々に水とお米とトイレットペーパーが店から消えた。幸い、水1ケースとトイレットペーパーは12個パックは手元にあった。西からお米は送ってもらった。とろろ昆布はデパートで手に入れた。カセットコンロのガスの入手が問題だったが、登山用品店で揃えることができた。あとは、手動式ラジオが無いだけだ。ワンセグでも情報は入るというので、停電でも携帯をつなげるために、100円ショップで電池式充電器を購入した。

 移動中に地震が起きるかもしれぬ、と、コンタクトや眼鏡、かぜ薬を大きなバッグに入れて、移動している。火を起こすものなどと毛布や下着、レッグウォーマー、チョコなどを大きなスーツケースに収め、廊下に置いている。本当に倒壊したら、瓦礫の中からモノを探すのは大変だ。スーツケースなら頑丈だから、取り出せる。

いま私が日本にいるのは、きっと意味がある。復興に向けて、未来の日本に向けて、何か役割があるのだろう。だったら、備えを万全にして、後にプラスに機能できる存在でありたいと考えている。

夢だったと言われたい

土曜と日曜、外で作業をしていたので、風邪をひいたらしい。どうしよう。いま大きな地震が来て、避難所に行くことになったら、熱が出るかもしれない。

金曜日に花粉症に苦しんだことも含め、やはり免疫力が低下しているのだ。

東京では皆、テレビ報道だけで疲労困憊している。津波の映像を繰り返し見て恐怖を感じ、被災者の姿に涙して、原子炉が爆破するかもしれないと覚悟しながら東電と政府の頼りない会見を固唾を呑んで見守って、停電情報に二転三転振り回されて、被災地のために何もできないままストレスを抱えている。

地震が怖くて毎晩、服を着たまま仮眠状態。私にも圧がかかっている。気持ちを切り替えねばと思う日々なのだが・・・。

すべてが夢だったと言われて、ぐっすりと眠れたら、どんなにいいだろう。東京の私でこうなのだから、被災された方々はどれほどのストレスか。もう、これ以上の揺れが来ないように、原子炉が無事に冷えるように、日本は大丈夫と皆で信じよう。

ハイパーレスキュー隊に感謝

昨夜見た東京消防庁ハイパーレスキュー隊の記者会見。後、しばし涙がとまらなかった。

 細かいデータもメモを見ることなく、記者と目をあわせながら誠実に語られるだけで十分に元気が出てきた。震災以来、総理や東京電力のふがいない会見ばかり見させられてきたからだ。

 プロとはかくあるべき。12日からシミュレーションをしていたという。もっと早くお願いすればよかったものを、政府はそうした申し出をどれほど断ってきた(先延ばしにした)のだろう。

 ここのチームワークに疑いの余地はない。部下の家族に申し訳ないと涙する隊長。「日本の救世主になって」という妻からのメール。かっこよすぎる。だが、本来、為政者がかくあるべきなのだ。

命がけで取り組んでくれた彼らに心から感謝したい。彼らを支えてくれた自衛隊にも、ありがとうと言いたい。どうか、ぐっすり眠ってください。

危機管理意識の温度差

午前中は文部科学省の会議だった。開始時刻までの間、しばし地震について話す。意見交換できると視野が広がり、地震以来のストレスから解放される。 

日本赤十字社には登録スタッフが2万7千人ほどいるのだという。医療従事者など即戦力になる人々ばかりだが、この段階では、そういった人々が現地に送られる。復興の段階になると、被害の大きさに応じて、私たちの寄付金の配布が有識者も加えた委員会によって決まるのだという。

 阪神大震災を経験した日本政府が、日赤のそうしたシステムを学んでいなかったこと自体、「想定外」だ。もっとも、原子炉を持つ東京電力は防護服を常備していないのだから、この国では危機管理意識が大幅に欠如しているのかもしれない、生活者を除いては。

 次は東京が震源地かもしれないと、都民が米やトイレットペーパー、ガソリンを買い急いだのは、そうした日本政府を信用できないからだ。200年に一度の災害のための予算は必要ないと言い放った蓮舫議員が国民に何を呼びかけても説得力はない。自分のことは自分で守るしかない――。そう思わせたのは、非常事態でも自己のパフォーマンスしか考えない菅内閣の閣僚たちなのだから。

本の在庫切れ、しばしお待ちを

『ワシントンハイツ』6刷が8日に完成しているのですが、震災以降の物流の混乱で、アマゾンで在庫切れ、入荷に時間がかかるようです。紀伊国屋書店の店頭やWEB、楽天ブックスにはあるようなので、そちらでお求めいただければ幸いです。時節柄、配送に時間がかかるかもしれません。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。秋尾沙戸子

疑問はいっぱい、でも大丈夫と信じよう

 日本人は凄い。熱い気持ちがこみ上げてきて涙したのは、昨日の朝だった。計画停電の二転三転に怒ることなく、静かに協力するなどとは日本人でなければ出来ない。

けれども、東京電力の記者会見を見ていたら、次第に怒りがこみ上げてきた。原発を扱いながら、最悪の事態のシミュレーションが何もできていなかったのだ。社長の話し振りを見ていたら、広報の対応のひどさが理解できた。トップがこれでは・・・。

平岩外四とか那須翔とか、かつての社長だったら、こんなお粗末な反応はしなかったのではないか。もっと危機管理対策はできていたと推察する。電力会社の役員は、原発の近くに家族を住まわせることを義務付けるように、株主が要求すればよかった。家族が人質なら、常に住民目線で安全対策が練られたのだから。

海外にいる知人が原子炉冷却のために消火栓が使えなかったのかと話していた。地震でやられたのかもしれないが、本当は真水で冷やすことが大切なのだという。

日本政府はいまごろ米軍に冷却の応援を依頼したらしい。アメリカから早々に申し出があったのに、断ったのは菅政権だ。事態が落ち着いたら、この責任は追及せねば。

東京電力の初期対応に、菅総理が自分が来るまで待つように指示を出したという説がある。それが本当なら、彼の責任は半端でない。東京電力社長の投げやりな態度は、そうした政府との板ばさみかもしれない。危機を脱したら、責任の所在を明らかにすべきである。

そういえば、岩手出身の小沢一郎氏はいま、どこにいるのだろう。選挙民のために何をしたのだろう。フランス人同様、まさか西に逃げたりしていないと信じたい。

とまれ、原子炉事故は大きくならないと皆でイメージしよう。大丈夫と全員がイメージすれば、物事はそちらに動くものである。

ご冥福をお祈りします

東京で地震を経験しただけでも、夜、眠れない。服を着たまま、スニーカーを傍に置いて、眠ろうとするのだが、不安になる。

ずっとテレビの映像を見ているせいだろうか。わが祖国がこんな恐ろしいことになるなんて、なんで日本なの? と何度も自問し、胸が苦しくなる。

関西テレビで番組を持っていた私は、阪神大震災を取材している。あのときも困惑した。痛かった。スタッフでも被災した人が何人かいて、彼らが異口同音に言ったのは「悔いの無い人生を送りたい」だった。私もまた、明日死んでもいいように、精一杯生きてきたつもりだ。

今回の衝撃は、津波にある。これほどまでに津波が恐ろしいことを、改めて思い知った。インドネシアのアチェよりはるかに近代的な町が飲み込まれていく様を見て、言葉を失った。

あっという間に波に飲まれた人々の無念と、残された家族の悔しさ。そういうものを全部受け止めて、私たちが前向きに生きていくことが、最大の供養であり、遺族への励みとなるのではないか。ポジティブに考えて、すばらしい国づくりに励みたいと思うのだが、今宵は命を落とされた方々のご冥福を心からお祈りいたします。

秋尾沙戸子

東京で揺れを感じて

地震が起きたとき、めずらしく家にいた。扉を開け、玄関でしゃがみこんで、揺れが収まるのを待った。

昨日は秩父、その前は新潟に行っていたので、タイミングがずれていたら、電車が止まって、立ち往生したのではないだろうか。秩父市役所は倒壊したと告げられている。

こういうときは、勤め人のほうが大変らしい。姪も義妹も自宅で無事だったが、弟は帰宅困難者として、会社にとどまるという。テレビでは、築地本願寺や学校が滞在場所として開放すると伝えている。母校の都立新宿高校もその対象らしい。数年前、冷暖房完備の新校舎に建て替わったが、こういう形で都民の役に立てれば、都税も無駄ではなかったということになる。

夕方まで、地域によっては、電話が通じなかった。こうしてネットがつながるのが救いだ。ダウンを着たまま、PCに向かっている。毛皮も必要かもしれない。笛も懐中電灯も。コンタクトと眼鏡は傍に置かねばならない。阪神大震災のとき、私は関西テレビで自分の番組を持っていたが、被災したスタッフが教えてくれた。近視の人間には、眼鏡を枕元に置くことがいかに大切か。

夜になって、コンビニに出向いた。水も米もあるが、非常食がない。パンとおにぎりは売り切れ。カップ麺は残っていた。道路は車がすずなりに。若者たちは三々五々、グループになって歩いて帰宅している。このあたりがどの方向にも渋滞することは少ない。花火大会の後を思わせる不思議な賑わいだった。

テレビを見ていると、津波の怖さを思い知らされる。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。