白川でのお茶会に招かれました。
川の上に浮かぶ色々な茶室――。まずは、茶友のお煎茶。それから中国茶。かくも美味なプ―アールは初めて。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2017年9月 石清水祭
石清水八幡宮の石清水祭に、初めて参列しました。夜中から徹夜で、翌日の夕方まで続くのです。勅使も最後まで付き合われ、葵祭より難儀なお仕事と推察します。
さすがに寒くなるかもしれぬと、絽でも上布でもなく、単衣の色無地を着ております。八幡なのだから鳩の帯がふさわしいのですが、持ち合わせているのが内裏雛と一緒に描かれているもので、9月には不向きです。よって、鳳凰の綴れで。
偶然にも、染司 吉岡幸雄先生のご一行もいらして、神輿を待ちながら、久しぶりにお話を。
翌朝の放生。神職が鳩を放った後、金魚を二匹、一般参列者も含めて川に放ったのでした。
2017年9月 ヤタガラスの帯で重陽神事に参列、烏相撲観戦
9月9日は重陽の節句。宮中では、陽の数字(奇数)が二つ重なる日に、菊酒を飲んで、無病息災を祈った。
上賀茂神社では、重陽神事の後、烏相撲が執り行われる。神武天皇が東進された折、賀茂別雷神の祖父である賀茂建角身命がヤタガラスに扮して先導したことへの論功行賞として、山城国の一帯を与えられ、賀茂社が建てられたという伝説に基づくものである。宮中で行われた相撲の節会とあわさった神事だとの説が有力だ。
私自身は、延命災難除けの祈祷をしていただき、重陽神事に参列。その後、氏子の子どもたちによる烏相撲を観戦した。烏帽子、白張姿の刀祢が、カーカーカー、コーコーコーと立砂前で飛び跳ねる作法が実に興味深い。
この日こそ、ヤタガラスの帯を締めたいところ。着物には菊文が理想だが、絽と袷しか持ち合わせがなく、単衣ならば、見た目が似ている向日葵で代用することにしている。帯留は、上賀茂神社の神紋である葵。祇園祭の屋台でみつけたもの。売っていたオジサンは、単なるハートというのだけれど、私には葵に見えるのです。指輪もハートモチーフなれど葵に近いものをはめてみました。
右の写真は向日葵文の着物を着て、膝の上に置いたハンカチ。描き方が面白い。
2017年9月 芙蓉の帯
芙蓉の帯。と呼んでいます。紫織庵製。もう10年ほど前に東京でみつけました。矢絣の着物は、京都に来てから紫織庵さんのセールでみつけました。瞬間、この帯が浮かび、即買い。
晩夏から秋にかけて咲く芙蓉と木槿。見分けるのは難しいですね。三条通のソムシの前に咲いている木槿の前で撮影しました。そのあとは伊右衛門サロンで一息。
三条通のこの一角は、かつて大きな呉服屋さんが店を構えていたのです。いずれのお店も、その名残です。
2017年9月 朝顔の帯を締めて南禅寺へ
2017年9月 晩夏なれど、トロピカルな装いで
トロピカルなコーデは、インドネシアのホテルなら似合うのだろうが、京都で最もはまる場所はどこだろう。
と訪れたのが、ここです。10年ほど前に手に入れたバッグと、ない藤さんの草履。やりすぎかと思いましたが、身に着けてみて、気持ちよかったです。
あ、帯留にパームツリーのブローチをつけてみました。
2017年8月 向日葵文振袖@紫織庵
向日葵文のアンティーク振袖を着て、紫織庵の洋間を訪れました。大正時代、武田五一によって設計されたこの建物は、洋間も魅力的。大正ロマン風のこの文様は、この部屋にぴったりでした。
間道の全通帯(紫織庵製)を変わり結びにしています。晩夏なら許されそうな風合いです。帯留は黄色の向日葵。
2017年8月 はづきだから葉っぱ尽くし
立命館大学・朱雀キャンパス近くにあるイタリアン。2階での祝宴前に、記録として撮影。芭蕉の葉を描いた着物に、葉っぱの帯。主役の土岐先生が、「はづきだから、葉っぱ尽くしなんやな」とつぶやきました。
2017年8月 美山「上げ松」
京都では火を用いた神事が多いのに驚く。古にゾロアスター教が入ってきたのだと認めざるを得ない。
「火の用心」で知られる愛宕神社。7月31日に愛宕さんに登り、「火の用心」のお札を持ち帰るの。主に若者が登り、それを受け取って京都の料理屋の厨房には必ずといっていいほど、この「火の用心」が貼られている。
愛宕信仰は京都府の若桜街道沿いに広がり、地蔵盆と期を同じにして、「松上げ神事」が行われている。一般に花背と広河原が有名で、昨年は雲ケ畑に、今年は南丹市美山に出向いた。
美山では3カ所で4本柱松が立てられる。私は2本立てられる盛郷のを選んだ。巨大な松明に見立てた御柱の上に笠と呼ばれる籠を取り付けたものが立てられている。その籠に、まるで運動会の玉入れのように火の塊のようなものを円盤投げのようにぐるぐるまわして投げ入れ、着火する。
広河原など観光客にも知られる地域では30分ほどで終わるように多くの火が投げ入れられるのだろうが、美山は人数が少ないせいか、着火までに時間がかかる。あんなに高くまで届かないのではないか。もう少し、惜しいなどと、ハラハラドキドキさせられるところがスリル満点。着火した後は柱を倒して終わる。
土地のものを食べないと気が済まない私。 「きぐすりや」さんで鮎と地鶏を頂き、大満足。浴衣に着替えて見守った。食事前に現場を見たときには熱中症入り口のような気配で、寒くなることを恐れて、襦袢を着用。
浴衣の文様は、紫式部。9月に街でみつけ撮った写真を加えます。
2017年8月 美山「かやぶきの里」へ
京都府南丹市美山へ。夜に行われる「上げ松」を観るのが目的でしたが、その前に森の京都「かやぶきの里」を案内していただきました。かやぶき屋根の光景を求めて、世界中から観光客が訪れます。丘の上の神社参拝も考えたのですが、この日は37度。さすがにくらくらして、熱中症寸前の私は断念。
かやぶきの里を訪れるなら、絽よりも上布だろうと判断。8月24日では白の越後上布はさすがに寒々しいと考えて宮古上布を選んだのですが、あまりの暑さに浴衣にすればよかったと後悔。ほんと倒れそうでした。
帯は燕文。6月にも締めましたが、秋燕と解釈して締めてみたのですが、いやあ、ここまで暑いと、燕くんたち、まだ日本列島に留まるのでしょう。だとすれgば、帯も夏燕ですね。
































