2019年5月 賀茂競馬へ、合間に河村青嵐会へ、端午の節句(馬と兜)文の帯と菖蒲文の襦袢で

5月5日は賀茂競馬。GQに寄稿しているコラムで、行くと書いたからには、万難を排していくのでありますが、同じ日、神明舎オーナーの富家さんの発表会を見るために、河村能楽堂へ。お能の帯は諦め、端午の節句の帯で。本当は青系の無地がよかったのですが、ほつれている箇所があったので断念。一人でしたので、走る馬を背景に撮影するわけにはゆかず、最後になんとかお役目終わった馬背景に撮影できないかなあと思ってたら、声をかけてくれた人いたのでした。あの、植治12代、小川勝章さんです。家族連れで賀茂競馬にいらしたところ。そこでスマホをお渡しして撮影頂いたというわけです。

端午の節句は菖蒲で清めます。帯を節句文にした私は、襦袢を菖蒲文にしておりました。

2019年5月 令和元年藤尽くし@唐津城

仕立てたばかりの藤の小紋、最初に袖を通すのは、令和元年5月1日と決めていました。唐津神社に参拝し、跡見のお席でお薄を頂いた後、唐津城へGO。藤が見事だとウェブでみつけたからです。京都では鳥羽や平等院の藤の下で撮影可能でしたが、令和元年まで我慢して、この写真となりました。皆さん、跡見のお席で忙しいので、一人タクシーに乗り、運転手さんにスマホを渡した次第。おかげで、メーターの金額がものすごいことに。この後、話題の土地へ移動したのであります。

2019年4月 平成最後のお茶会@唐津やきもん祭へ 牡丹にオナガの帯で

成最後の日に、旧大島邸にて山西和尚様が亭主を勤められるお茶席に呼んでいただききました。

日本料理ひら田さんによる懐石料理は、現代陶工さんたちの器に美しく盛り付けていただきました。一人一人違うので、お隣の器も気になったり、陶工の皆さんの名前を一度きいただけでは覚えられなかったりでしたが、しかし、すばらしい器にため息が出たことは確か。お料理も美味。

続いて、新緑のお庭にある待合で香煎席。柳宗悦のお軸は「サバクヤ心、袱紗サバキツ」。ご亭主・三隅さんの語り、癒されます。

本席の様子は写真に収めたなかったので掲載できませんが、お茶室の写真は、翌日の跡見でお楽しみください。

一席目ゆえ、早起きして着替えたところ、なんと帯枕を忘れてきた私。ホテルの部屋のタオルを使って、この日はひとまず切り抜けました。だから現地和服は最初から和服で通すのが賢いのですが、今回は前日に洋服で新幹線で移動。あまりの土砂降りと、連休中なのに指定がおさえておらず、立ちを覚悟したためです。結果、大阪発の「さくら」は、早々に並んだら座ることができましたので、和服でも大丈夫だったかも。でも、未踏の地はやはり不安材料が多いので、実は洋服が楽なんです。

朱の色無地に、帯は牡丹とオナガの刺繍。この後、唐津焼をいろいろ見てまわりつつ、呉服屋さんで帯枕も購入。お席でご一緒した地元の方々にご案内いただきました。感謝。

夜、皆さんで食事をご一緒してホテルに戻ったら、平成の残すところ10分ほど。あわててテレビをつけて、その感動を共有したのでした。

 

2019年4月 上京大文化祭@北野天満宮へ、桜と菖蒲の帯で

故・建築家・富家宏泰氏生誕百年記念回顧展の会議前に、実行委員の面々で訪れました。まずは朝一、ワンコインで仕出しのチケットを購入して、お茶席へ。少し強い薫風を受けて、釣り釜に旅箪笥、武者小路千家木津宗隆先生によるお席でした。

若葉に囲まれてのお弁当いろいろはいずれも美味で、上京の職人さんたちによる技も拝見し、神明舎へ。現役時代にバリバリ活躍された方々との会議は、いつもインスパイアされることがいっぱいで充実しています。皆さま、ありがとうございました。

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2019年4月 新宿御苑昼下がりを同級生と過ごす、桜と鳥の帯を締めて

一人で観に行った夜桜があまりに見事だったので、新宿高校の同級生を誘って、昼の新宿御苑に向かいました。先生をそそのかして花見に来たことはあったけれど、卒業してから一度も来ていなかった私たち。こんな素晴らしい空間に足を踏み入れていなかったなんて、アホです。隣の高校に3年間も通っていたのにねえ。

隈研吾教授連続講座

隈さんが東大を退官される前に、公開講座が開かれるらしい。ご案内を頂いたので、初回にお邪魔した。

学生時代にアフリカの集落を訪れた話は昔に聞いていたのだが、原先生を交えて当時の写真を見ると、これが彼の原点であることがよくわかった。

その昔、隈さんがTOTOギャラリーで個展を開いたときの挨拶はかなり手厳しかったと記憶しているが、ここまで実績を積んで東大教授でもある隈さんとのやり取りは、まさに立場逆転。老いては負うた子に教えられ、という言葉を思い出した。

会場へは和服で。その後、日本橋の水戯庵で和の仲間たちと懇親会。