ぎおん楽楽へ。栗の帯を締めて出かけたら、栗が出てきたので、一緒にパチリ。
栗の帯が欲しいと思っていたときに出会った帯。黄金と山吹の取り合わせが難しそうだけど、淡い水色を含んでいたので、昨年仕立てた紬の着物に合わせてみました。
次は茶色の紬に載せてみましょう。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2014年11月 立冬のお茶事と観月祭へ 母の訪問着で
2014年10月 雷文の帯と矢の八掛で、上賀茂神社へ
上賀茂神社は賀茂別雷神社が正式名称です。神代の昔、秀峰神山にご祭神・賀
茂別雷耐震がご降臨されたことを起源としているのです。だから、前に雷の織られている、この帯を締めたくなるのです。お太鼓は若冲の雨龍図ですが。
八掛が面白いでしょ。3本の矢。別に安倍政権に媚びているわけではありません。くもの巣同様、試作品の存在していたので、譲っていただいたのでした。『山城国風土記』逸文では、玉依日売が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命だといわれているのです。
人形仕立てにしようとした貝紫の紬。京都では裾まわしだけで、袖口につけないそうです。が、しかし、袷に見せたい私としては、袖口も必要。もう一度、仕立てに出します。
2014年10月 古希の祝宴へ紫の入った中振袖で
みのもんたさん、古希の祝宴に出席。会場での紫の演出に乞うご期待、との文面に、私が紫一色ではマズイかもと思い、さし色で押さえた次第。
この中振り袖は、肩のところに濃紫の藤。八掛も薄紫。帯揚げは京紫。バッグは紫のビーズ。帯は誉田屋製古箔の竹文。帯留は翡翠の龍。橙の草履は成人式の時のもの、ぜんやさんで鼻緒をつけかえて。
祇園から舞妓さんと芸妓さんが駆けつけて舞を披露。豆鶴姉さんの舞、パーフェクトでした。
お母さんいわく、「あの子ら、この格好で新幹線に乗りましたんえ」。だらりの帯は、お尻の下に敷いて座ったのだとか。


業界の重鎮たちと芸能界の大物が集って盛会でした。みのさんとの2ショット写真もあるのですが、私の顔がいまひとつなので、パネルの写真の前のみ、掲載させていただきますね。
改めて、おめでとうございます!
2014年10月 大麻布再生「麻世妙」プロジェクト発表会へ倭文の帯で
GHQにより日本で生産が禁じられた大麻布。誉田屋源兵衛さんの執念でようやく形になりました。本当は3月掲載のアエラ「現代の肖像」本文に盛り込みたかったのに、間に合わなかったプロジェクトです。エイベックスとタッグを組み、三越伊勢丹が興味を示して今日にいたりました。
三越伊勢丹の大西社長と話す源兵衛さんの着物は麻世妙を何度も染めて箔を貼ってはがしたもの。私の帯は、誉田屋製倭文(しずり)に、紐やリボンやチェーンを通しています。倭文とは、梶の木や麻などで経縞や格子を織り出したもの。この帯がゴールドでモダンな印象を与えるのは、箔が経に使われているためです。
それにしても、エイベックスのメディア集客力はすごい!会場に集った報道陣の数にびっくりでした。エイベクスと大麻という取り合わせも、誤解も含めて、マスコミをひきつけたのかもしれません。
2014 年10月 そろそろ栗の帯を
2014年10月 上七軒歌舞練場へ 母のお召しで
2014年9月 狂言鑑賞、お茶会へ 貝紫づくしで

9月の最終日曜日。お世話になった方の狂言発表会を観に、金剛能楽堂へ。その後、二条駅から亀岡へ。楽楽荘での「茶狂会」に出るためです。夜は地鶏と松茸のすき焼き。
暑い。日差しが強い。サングラスなしで歩けない。単衣でいいのですが、何枚もあるというのに、、ほとんどの袖が五寸丈。五寸といえば、くもの巣文の絽の襦袢。夜は涼しいからと、迂闊にも手入れに出してしまった。わー、三寸を着るしかない
皇帝だけに許されたロイヤル・パープル。その皇帝紫の研究家で知られる吉岡常雄さん直筆の、皇帝紫を使った帯です。。染司・吉岡幸雄さんのお父上です。着物は青山みともさんの貝紫の紬。単衣仕立てです。袱紗も「よしおか」製、紫紺染です。お高いです。
実は、吉岡幸雄先生が菊池寛賞を受賞されたとき、式典にこの帯を締めていきたかったのですが、合う着物



がこれしかなく、単衣なので断念した経験があります。だって、授賞式、12月だったんですもの。そんな時に備えて、八掛をつけて、人形仕立てにしようかな、とも思っています。5月6月には単衣のお召しを着てしまう私は、この着物を9月下旬から10月初頭にしか着ていないのです。だったら、いっそ冬でも着られるように、と考えているわけです。
写真は、陶芸家でもあるご亭主のアイデアで立礼用に設計されたもの。東京の高層マンションで暮らす外国人が部屋に置きたくなりそう。バックの屏風は、日本画家のお父さまの作品。28歳のときに描いたコンドル図屏風「飛翔」(第8回日展入選作)だとか。お菓子の栗も、ご亭主の平金氏自らが拾われ、白餡と練って下さったとか。軸は楽楽荘所蔵の狩野探幽による富士。点前座にはご亭主作の井戸茶碗と喜三郎の「老茄子茶器」。そうです。一富士 二鷹 三なすび・・・。お花は楽楽荘ご主人の中田智さんが生けられました。
2014年9月 逝く夏を惜しみつつ、上布に博多帯
2014年9月 観月茶会、重陽の節句


昨年の重陽の節句には、この着物の存在をすっかり忘れていた私でした。こういうオーソドックスな着物は私好みではありませんが、菊文様ということで袖を通したのです。
奇数(=陽)の最高数「9」が重なる重陽の節句には、菊のお酒をいただきます(写真は昨年のもの。上賀茂神社でふるまわれた菊酒)。だから、菊の文様なんです。上賀茂神社での「重陽神事+烏相撲」には、菊かヤタガラスをまといたくなる。でも、9月9日ではあまりに暑い。だから、菊が描かれた絽を選んだのでした。この日は斉王代とその関係者も列席されるため、結果的には、はんな
り系の着物で大正解でしたけど。
京都では観月会があちこちで催されます。今年の中秋の名月はあまりに早く、重陽の節句の前日でした。よって下鴨神社の茶会にも同じ着物で出向いたわけです。

そもそも、この秋草文様の絽は、この季節のお茶会などで必要かも、と買いおいたのでした。肩のところに撫子、裾には菊のほか萩も描かれています。
個人的には9月初旬までは薄物が大丈夫と解釈しているものの、京都でも許されるかどうか実は不安でした。しかし、観月茶会に出られり方々なのでしょう。午後に街中で絽の着物を召されたご婦人を何人も見かけたので、胸を張って夜に着用したのです。欲を言えば、半襟を少し渋い色にできるとよかったのですが。
帯の写真を撮るの、忘れました。別の着物と合わせた過去写真でお許しを。
追伸:二葉葵が神紋の上賀茂神社と下鴨神社なのだから、葵祭同様、葵文の紗袷でも良かったかも。こちらは来年の課題に。









