祇園祭の帯が欲しくて、京都のアンティークショップを巡ったことがあります。ようやく出会ったのが、この綴帯。月鉾です。
でもねえ、最初は躊躇したんです。だって、夏帯じゃないもの。6月までしか締められないもの。でも、6月末のお茶会には締めてもいいかなあと思って購入しました。お値打ちだったので、二部式に作り替えています。
残念ながら、今月の月釜に行けず、八坂神社本殿脇で撮影してみました。着物は単衣のお召です。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2016年6月 八咫烏の帯 on 向日葵文
先日、向日葵が咲いているのを見たのは、先日訪れた伊勢でしたか。そろそろ京都の花屋店頭にも向日葵の切り花が並ぶようになりました。
向日葵紋の単衣は、今頃がふさわしいのでしょうね。この着物は、実は羽織だったようです。洗い張りをしたらしく、母の箪笥に丸まっていた反物を、染抜きの後、仕立てようとしたところ、羽尺とわかり、真っ青になった私です。だって、いつ着るのでしょうか、向日葵文の羽織なんて。絽ならともかく、暑くて暑くて、平成のいまでは、出番がありません。だから、黒の布で継いで、着物として仕立てたのです。京都なら、どうということない仕事ですが、東京の呉服屋さんは困っていました、私の無茶振りに。いまとなっては、懐かしい思い出です。この日、帯留は黄色の向日葵にしてみました。帯締と帯揚げは、葉っぱの色で。
例の八咫烏の帯、黒白には合うはず。上賀茂での歴史研究会に行く途中で雨に降られましたが、参集殿にて撮影。神紋の二葉葵とともに、八咫烏の帯をカメラに収めてもらったのですが・・・。
襦袢は、蜘蛛の巣文の絽(右は袖から少し見えている写真)。
2016年6月 北斗七星の帯@伊勢神宮外宮
2016年6月 若冲の帯は雨ゆえ諦め、亀甲文で

雨の日のお茶会って、何を着ていいか迷いますよね。
昨年に続いて、蛍の茶会なるものが、亀岡の樂樂荘で開かれました。高級な着物を強いられるような緊張した茶会ではなく、比較的若い人々の集まりで、夜は地鶏や亀岡牛のバーベキュー。その後、川のほとりに飛び交う蛍に会いに行くというもの。
本当は若冲の蛙の帯を締めるつもりだったんんです。昨年の経験では、蛍狩りに出向く川沿いでは、田んぼに潜んでいる蛙の合唱が見事なんですね。漆黒の中、その声と蛍の光を眺めていると、自然のすばらしさを思い切り体感できる。
なのに、京都では土砂降り。「今日は洋服のほうがいいですよ」とご亭主に言われていたものの、茶室に洋服で行くなら、ロングスカートに白いソックス持参。お稽古ならそれでいいけどねえ。それに、雨はスカートの裾も濡れそうな勢い。天気予報を見ても雨雨雨。「じゃあ、濡れてもいい着物をお召になったらどうですか」
困りましたねえ。たっくさんあるのに、単衣は絹がほとんど。上布(麻)は6月の茶席では違和感あるし、襦袢を下に着て浴衣を着るのも、7月まで我慢すべきだし。コートを着れば、絹を着て若冲の帯がいいけれど、バーベキューの油が困りもの。うーん、たしか母が綿の着物と教えてくれた単衣があったはず。急いで家探し、奥から引っ張り出して、着てみました。亀甲文といえば出雲大社。そうだ、亀岡には出雲大神宮がある。亀甲文こそふさわしいじゃない、などと勝手に決めて。
もう少し暑ければ、帯は朱の羅にしたいところですが、しかし、気温も低かったんです、この日。亀岡では22度とあります。なので、安易だけれど、紅い蝶文を締めてしまいました。何より、二部式に作り変えたので、締めるのが樂なんです。
さて、蛍狩りはといえば、今年最初で最後。会えてよかったあ。今年は暑かったので、京都市内では5月に飛び始め、逃していました。
昨年は、向日葵の絽ちりめんを着用。帯にトンボを飛ばして。明治の洋館をバックにいい写真が撮れています(2015年6月参照)。
2016年6月 麦文に夏燕
2016年5月 中村橋之助丈の祝・芝翫襲名

中村橋之助丈の八代目芝翫襲名パーティに伺いました。奥さまの三田寛子さんと、鳥居ユキ先生のコレクションで時々ご一緒しているご縁で。ユキ先生は、発起人のお一人でした。
長男は中村橋之助、次男は中村福之助、三男は中村歌之助を襲名されます。お父さまの横に、3人の息子さん達が並んだ姿は、本当に美しく、梨園の妻として、3人男子を産んだだけでもリスペクトに価するのに、襲名するまで無事に育てられた三
田寛子さん、ご立派です。歌舞伎ファンとして、感謝。
それにしても、こんな盛会なパーティは初めて。2300人もいらしていたようです。さすが成駒屋さん。大物女優も埋没してしまうほどの、ものすごい熱気。故勘三郎夫人の好江さんが会場入り口あたりに、姉として存在していらしたのが印象的でした。七代芝翫のお嬢さまですから。
祝宴に選んだ着物は、ハイビスカス文。5月末ですから、単衣です。例によって、母が嫁入り道具にあつらえてくれたもの。おめでたいお席ですので、帯は金銀市松です。
なにせ2300人も集まると空間がほとんどありません。やわらかものや振袖が多い中、よほど大胆なデザインでないと、裾の文様まで目がいかないもの。紋のない額紫陽花文に、帯留をオパールの紫陽花がよかったかも。葵文の自己流紗袷がよかったかも、などと勉強させられた夜でした。
2016年5月 皐月なのに30度の茶席に何を着るか

この日、京都は31度。単衣を着たくなるものですが、16時からのお茶席は亀岡にて、日中の最高気温が28度とわずかながら洛中より涼しいのです。夜にはさらに下がるはずなので、悩みに悩んで、見た目が涼しい色の、袷の無地にしたのです。お茶席の後、地鶏のすき焼きが待っていましたから、この日を境に、洗いに出すことを考えて。もちろん、襦袢は縦絽にしています。
ほかのお客様は、単衣をお召しの方が多かったです。
帯は、牡丹に、尾の長い鳥が刺繍されたもの。この日を逃すと、出番は1年後になりそうだったこともあり。あ、でも、来年は酉だから、活躍するかも、です。
祇園ない藤さんの草履・・・。台が橙色の草履でどうしようかと考えあぐねておりましたが、この帯だと大丈夫のよう。
2016年5月 備忘録

蝶が織られた色無地。一つ紋。例によって、嫁入り道具として母が用意してくれたものですが、一度くらいお茶会で着用したでしょうか。どんな玉の輿に乗るかもしれぬと誂えてくれていたのに、普通の人と結婚したので、母の情熱はさめてしまいました。狭いマンション暮らしゆえ、和服は実家に預けたまま。披露宴に出るとき以外、私に和服を着せようとはしていませんでした。面倒ですものね。
蝶文が子どもっぽい気がして、自分で和服生活を始めてからも袖を通していませんでした。でも、いまとなっては、貴重で、面白い地紋ですよね。今年は27度を超える5月から着られる気がしています。
葵と色が同じなので、これを纏って葵祭の最後を飾る献茶式に行ってみようと思ったのですが、都合がつかず、断念。備忘録として、アップしておきます。
2016年5月 葵祭は葵尽くしで
2016年5月 牡丹菖蒲文@祝宴
80年代、母が花嫁道具の一環として誂えてくれた着物の中で、最も地味な付け下げです。
初めて袖を通したのは、母が逝去して数年後。お茶会や対談、観劇で着用して、おそらく今年が4回目。年老いても着られそうな色合いなのと、蒲公英や菖蒲が描かれ季節を選ぶこともあって、着る機会が少ないのです。加えて、合わせる帯が難しい。色を優先して桃色や青色を合わせてみましたが、着物に負けて失敗しています。今回、誉田屋製のこの帯を持ってきてみて、少し重厚感を出せた気がしますが、ベストマッチングかどうか微妙です。さりとて、龍村のキラキラした箔とかを持ってくると、立食パーティでは仰々しいですしね。
文化庁前長官の近藤誠一さんのアカデミア賞受賞を祝う会に招かれ、この着物を着ることにしました。近藤さんは和文化に精通されているので、洋服で伺うわけにはまいいりません。案の定、会場には和服姿がの男女がたっくさん。記念撮影に応じてくださったのは、発起人のおひとり、ノーベル賞に輝いた野依博士。
近藤さんに初めてお目にかかったのは、ワシントンDCでした。Public Dipilomacyについてのお考えが、ジョージタウン大学大学院フェローとして渡米していた私の胸に響き、帰国後、雑誌で「日本の真髄」の連載対談を始めたのです。
この日は東京でも京都でも雨。東京でお世話になっている美容師さんが、研修のためお休みだったので、京都から着物姿で新幹線に乗ることにしました。会場の学士会館は東京駅から遠くないこともあり・・・。だから、着付けも髪も自己流、普段着と同じです。












